もう一度学生のダイビングにもどって、スポーツ、冒険 探検の話題を締めよう。 書いてもどうしようもないことを書いているな、と思う、しかし、60年間ダイビングを続けてきて、頭の中にあること、経験は、書き残しておかないと消えてしまう。書くことで知識になる。知識になれば、誰かが使うこともできる。誰も使わなかったとして、それはそれで、ラスト・メッセージとして。 スポーツには、生涯スポーツと競技スポーツがあり、生涯スポーツでも、駆けっこをしたり、ヨーイドンでフリッパーレースもしたりする。だから競技スポーツというよりも、アスリートスポーツ、オリンピックスポーツとでも、言おうか、そういうスポーツと、誰でもできる生涯スポーツ、とわけようか。いやいや、生涯スポーツだってアスリートだ。とするとその区別は、心構えの違いだと思う。決してやめないのが生涯スポーツだ。その特だけの金メダルにこだわるのが競技スポーツだ。生涯スポーツでも金メダルにはこだわるが、なによりも、やめないために努力をする。 高齢化時代を迎えて、生涯スポーツには風当たりが厳しい時代になってきた。このことは、自分が高齢になって、それでもやめないことの風当たりで、予想外だった。 高齢化時代を迎えて、高齢になる僕は、自分の時代になると予想したものだった。たしかに、80歳で80m潜る計画をぶち上げたとき、少し追風が吹いた。でも、実現できなかった。押し切るパワーが自分に無くなっていた。 高齢を阻む壁、死んではいけない。事故になるという壁が高くなる。やめさせようとする力が強くなる。高齢になって死なないのは大変なのだ。自分の能力的には、フィジカルに辛くなるし、メンタルも弱くなる。意地がなくなるのだ。 でも、ダイビングは、とりわけスキンダイビングは、高齢には向いている。 学生のスポーツのことを言うはずでは? そう、生涯スポーツは、学生の時代にスタートするべきなのだ。 この前、学生のダイビングクラブは、フリーダイビングとは、一線を画すべきだと書いた。フリーダイビングをやるならば、フリーダイビングの倶楽部を作って、良い指導者に、良い設備で指導を受けてやるべきだ。 なぜか?これは、一般にも言えることなのだが、スキンダイビングの延長線上にそのままフリーダイビングがあるものではない。 この混同の為に、危うく事故を起こしかけているし、直接ではないけれど、自分の関連施設で一人死んで、施設が倒産した。 スキンダイビングを生涯スポーツとして楽しもうとする人が、スキンダイビングを上達しよう、深く、長く潜りたいと努力する事は危険だ。もちろん自己責任でやるのは何でもありだ。危機管理責任が、管理責任者にかかる学生クラブでは、NGだ。重ねていうけれど、フリーダイビングをフリーダイビングのクラブとしてやることはいっこうにかまわない。そのノウハウは、フリーダイビングの指導者が考え出すことだ。 スキンダイビングとフリーダイビングの違い? 息をとめて潜っていると苦しくなる。それが、時に苦しくないことがある。深く潜りすぎて酸素分圧が高くなっていることもある。連日の練習で息こらえが、長くなっているかも知れない。苦しくなくなってきたところから先が危ない。 一応、自分で目標、枠を作っておく。水深は10mまで、息こらえ時間は1分30秒、余裕を見て1分以内、その枠を越えて苦しくならなかったら、とにかくあわてて、すぐに水面に戻れと言い聞かせている。シャローウォーターブラックアウト、あるいは、そのまま意識を失う。その理由は、スキンダイバーもフリーダイバーも誰でも知っている。 フリーダイバーは、その苦しくなくなってから、その苦しくない状態が続いて、意識を失うまでに、どこまで行けるかを競うスポーツなのだ。 だから、浮上したときにアイムオーケー、正常であることを証明しなければならない。 生死の境界で自分をコントロールすることが、ダイビングの心髄だから、僕だって若かったら、のめり込むだろう。 学生のスキンダイビングは、その向こう側にスクーバダイビングを想定して、そのトレーニングとして行う。だから、苦しい状態のリミット内で行う。リミット内でも、苦しくならなかったら危ない。絶対にバディで交代で監視する。スキンダイビングでは、ブラックアウトは事故なのだ。絶対にブラックアウトしない心がけでする。 一方で、フリーダイビングの向こう側は、フリーダイビングしかない。 フリーダイビングでその安全ネットを外して自由に遊んだら?不世出の女性チャンピオン モルチャノフは、スキンダイビングで遊んでいて亡くなった。 フリーダイビングで撮影をする。科学的な調査をする。ボンベ不要で便利である。これは、完全に自己責任で自分なりの安全策を講じて行っていなければならないが、大学などの研究者が行うダイビングとして、とても魅力的だ。真剣に考える必要があるだろう。しかし、それは学生のクラブ活動ではない。 もしも、学生のクラブで誰か一人が飛び離れてスキンダイビング能力が高かったら、できるだけ、力をセーブするように命じるとともに、決して彼から目を離してはいけない。深く潜らせてはいけない。なぜなら彼がブラックアウトしたとき数秒以内に助けに入れるダイバーが居ないからだ。 また、誰か突出して上手なスキンダイバーがいる場合も注意だ。 海洋大学、当時は水産大学で水平に75m潜れる人がいた。大学で50mは、人並みだが、40mあたりで意識を失うことが普通にある。苦しければ大丈夫だが、少し練習すれば苦しくなくなる。危ない。僕の考える学生のリミットは、水平40m 水深10m、潜水時間1分だ。それでも目を離したらいけない。 水産大学では、75mのダイバーがいたために、練習方法が向上した。水平に25m潜ってターンして、戻る途中でマスクを外してクリヤーして50m潜る。ブラックアウトが続出したと聞く。ブラックアウトの体験ができるとても良い練習エキササイズだと思う。 僕が監督だったらすぐに止めさせるが、そのころ、僕は、自分の仕事が忙しく潜水部に接近していなかった。そして、事故が起こり、ヘリコプターで搬送された。この事故について何も報告が残っていない。事故の内容、結果よりも、その結果が残されていない、発表されていないことが、海洋大学潜水部最大の汚点だと僕は思っている。報告がないと言うことは、本当かどうかわからない。都市伝説かもしれない。だったとして、大学のクラブが事故を都市伝説などにして、良いわけがない。 僕の信念だが、事故、あるいはニヤミスは、大事な経験で、それを記録、文書に残しtげ、知識として誰もが共有できるようにしなければならない。 海洋大学には、同じような都市伝説がもう一つあった。他大学の事故報告を自分たちの事故のように後輩に伝えていて、後にかかわった僕が真に受けて大学当局に調査をお願いしたりした 他大学での事故も知識として共有することは悪くないが、それが都市伝説になると困る。 大学のダイビングクラブの事故の多くはスキンダイビングに関わって起きている。そして大学のダイビングの練習はスキンダイビングを中心として行われている。これは、やめたくない。スキンダイビングは継続的に行うダイビングのトレーニングの基本であり、生涯スポーツであり、レスキューの基本であり、自らの命も救った例が少なくない。 それでも、たとえば今後、フリーダイビング関係者、フリーダイビングができるインストラクターなどが大学のダイビングクラブの指導をすることがあるとして、そのとき、学生を決して必要以上に上達させてはいけない。スキンダイビングの限界以上に上達させてはいけない。だから、手綱を引き締める方向で指導してもらいたい。 さて、東京海洋大学潜水部で、OB会名誉会長として僕は、OBの誰かを監督、コーチを正式に任命するようにと、ボールを投げた。 大学の潜水クラブで安全管理、危機管理が必須であることは言うまでもないだろう。管理に管理責任者がいなくてはならないことも当然だろう。何かがあったとき、死亡事故でなくて、溺水入院であっても、管理責任は問われる。 死亡事故が起こり、危機管理に失敗すれば学長の首が危ない。 アメフトでは、アンスポーツマンライクコンタクトで危機管理に失敗し、大学の評判を地に落とすことになった。スポーツマンにあるまじき行為を監督、コーチが指示して、その結果の危機管理が、スポーツ王国である日大ができなかった。 なお、言わずもがなだが、危機管理とは最悪の事態を想像、想定してその対策を講じておくことだ。60周年を迎えた海洋大学の場合。60年大丈夫だったから、これから先も大丈夫ということはなく、むしろ、確率的には、これまでで幸運部分を使い果たしているから、今後が危ないとみる方が論理的だ。 顧問の教員というのは決まってるが、先生は学校を代表して見張っている立場だ。顧問の先生は、危機管理責任者ではなく、危機管理態勢がないことが先生の責任となる。教員が監督を、危機管理責任者を兼ねる場合もあるだろうが、それは、その人がまず監督であって、そして職業が教員であるということだ。教員の顧問は別のはずだ。 誰も監督を引き受けなければ、僕が、死ぬまでの間引き受けてあげる。と言えば、何とかするだろう。言わないけれど。 僕の考えるダイビング部の監督の理想は熊本の故坂田監督だった。 僕が作った2014年版のJAUSの学生ダイビングについての報告書を高く評価してくれた。亡くなる寸前に、12月の室内選手権にきてくれて、少し話をすることができたが、今ここに書いているようなことをじっくり話して、考えを聞きたかった。 惜しい人を亡くしてしまったが、彼の蒔いた種子は着実に育っているようだ。 監督とは何をするかと言えば、まず危機管理の責任者だ。責任者として具体的に何をするか、その部分は人それぞれだが、自分の考えと実例を書く 続く
もう一度学生のダイビングにもどって、スポーツ、冒険 探検の話題を締めよう。 書いてもどうしようもないことを書いているな、と思う、しかし、60年間ダイビングを続けてきて、頭の中にあること、経験は、書き残しておかないと消えてしまう。書くことで知識になる。知識になれば、誰かが使うこともできる。誰も使わなかったとして、それはそれで、ラスト・メッセージとして。 スポーツには、生涯スポーツと競技スポーツがあり、生涯スポーツでも、駆けっこをしたり、ヨーイドンでフリッパーレースもしたりする。だから競技スポーツというよりも、アスリートスポーツ、オリンピックスポーツとでも、言おうか、そういうスポーツと、誰でもできる生涯スポーツ、とわけようか。いやいや、生涯スポーツだってアスリートだ。とするとその区別は、心構えの違いだと思う。決してやめないのが生涯スポーツだ。その特だけの金メダルにこだわるのが競技スポーツだ。生涯スポーツでも金メダルにはこだわるが、なによりも、やめないために努力をする。 高齢化時代を迎えて、生涯スポーツには風当たりが厳しい時代になってきた。このことは、自分が高齢になって、それでもやめないことの風当たりで、予想外だった。 高齢化時代を迎えて、高齢になる僕は、自分の時代になると予想したものだった。たしかに、80歳で80m潜る計画をぶち上げたとき、少し追風が吹いた。でも、実現できなかった。押し切るパワーが自分に無くなっていた。 高齢を阻む壁、死んではいけない。事故になるという壁が高くなる。やめさせようとする力が強くなる。高齢になって死なないのは大変なのだ。自分の能力的には、フィジカルに辛くなるし、メンタルも弱くなる。意地がなくなるのだ。 でも、ダイビングは、とりわけスキンダイビングは、高齢には向いている。 学生のスポーツのことを言うはずでは? そう、生涯スポーツは、学生の時代にスタートするべきなのだ。 この前、学生のダイビングクラブは、フリーダイビングとは、一線を画すべきだと書いた。フリーダイビングをやるならば、フリーダイビングの倶楽部を作って、良い指導者に、良い設備で指導を受けてやるべきだ。 なぜか?これは、一般にも言えることなのだが、スキンダイビングの延長線上にそのままフリーダイビングがあるものではない。 この混同の為に、危うく事故を起こしかけているし、直接ではないけれど、自分の関連施設で一人死んで、施設が倒産した。 スキンダイビングを生涯スポーツとして楽しもうとする人が、スキンダイビングを上達しよう、深く、長く潜りたいと努力する事は危険だ。もちろん自己責任でやるのは何でもありだ。危機管理責任が、管理責任者にかかる学生クラブでは、NGだ。重ねていうけれど、フリーダイビングをフリーダイビングのクラブとしてやることはいっこうにかまわない。そのノウハウは、フリーダイビングの指導者が考え出すことだ。 スキンダイビングとフリーダイビングの違い? 息をとめて潜っていると苦しくなる。それが、時に苦しくないことがある。深く潜りすぎて酸素分圧が高くなっていることもある。連日の練習で息こらえが、長くなっているかも知れない。苦しくなくなってきたところから先が危ない。 一応、自分で目標、枠を作っておく。水深は10mまで、息こらえ時間は1分30秒、余裕を見て1分以内、その枠を越えて苦しくならなかったら、とにかくあわてて、すぐに水面に戻れと言い聞かせている。シャローウォーターブラックアウト、あるいは、そのまま意識を失う。その理由は、スキンダイバーもフリーダイバーも誰でも知っている。 フリーダイバーは、その苦しくなくなってから、その苦しくない状態が続いて、意識を失うまでに、どこまで行けるかを競うスポーツなのだ。 だから、浮上したときにアイムオーケー、正常であることを証明しなければならない。 生死の境界で自分をコントロールすることが、ダイビングの心髄だから、僕だって若かったら、のめり込むだろう。 学生のスキンダイビングは、その向こう側にスクーバダイビングを想定して、そのトレーニングとして行う。だから、苦しい状態のリミット内で行う。リミット内でも、苦しくならなかったら危ない。絶対にバディで交代で監視する。スキンダイビングでは、ブラックアウトは事故なのだ。絶対にブラックアウトしない心がけでする。 一方で、フリーダイビングの向こう側は、フリーダイビングしかない。 フリーダイビングでその安全ネットを外して自由に遊んだら?不世出の女性チャンピオン モルチャノフは、スキンダイビングで遊んでいて亡くなった。 フリーダイビングで撮影をする。科学的な調査をする。ボンベ不要で便利である。これは、完全に自己責任で自分なりの安全策を講じて行っていなければならないが、大学などの研究者が行うダイビングとして、とても魅力的だ。真剣に考える必要があるだろう。しかし、それは学生のクラブ活動ではない。 もしも、学生のクラブで誰か一人が飛び離れてスキンダイビング能力が高かったら、できるだけ、力をセーブするように命じるとともに、決して彼から目を離してはいけない。深く潜らせてはいけない。なぜなら彼がブラックアウトしたとき数秒以内に助けに入れるダイバーが居ないからだ。 また、誰か突出して上手なスキンダイバーがいる場合も注意だ。 海洋大学、当時は水産大学で水平に75m潜れる人がいた。大学で50mは、人並みだが、40mあたりで意識を失うことが普通にある。苦しければ大丈夫だが、少し練習すれば苦しくなくなる。危ない。僕の考える学生のリミットは、水平40m 水深10m、潜水時間1分だ。それでも目を離したらいけない。 水産大学では、75mのダイバーがいたために、練習方法が向上した。水平に25m潜ってターンして、戻る途中でマスクを外してクリヤーして50m潜る。ブラックアウトが続出したと聞く。ブラックアウトの体験ができるとても良い練習エキササイズだと思う。 僕が監督だったらすぐに止めさせるが、そのころ、僕は、自分の仕事が忙しく潜水部に接近していなかった。そして、事故が起こり、ヘリコプターで搬送された。この事故について何も報告が残っていない。事故の内容、結果よりも、その結果が残されていない、発表されていないことが、海洋大学潜水部最大の汚点だと僕は思っている。報告がないと言うことは、本当かどうかわからない。都市伝説かもしれない。だったとして、大学のクラブが事故を都市伝説などにして、良いわけがない。 僕の信念だが、事故、あるいはニヤミスは、大事な経験で、それを記録、文書に残しtげ、知識として誰もが共有できるようにしなければならない。 海洋大学には、同じような都市伝説がもう一つあった。他大学の事故報告を自分たちの事故のように後輩に伝えていて、後にかかわった僕が真に受けて大学当局に調査をお願いしたりした 他大学での事故も知識として共有することは悪くないが、それが都市伝説になると困る。 大学のダイビングクラブの事故の多くはスキンダイビングに関わって起きている。そして大学のダイビングの練習はスキンダイビングを中心として行われている。これは、やめたくない。スキンダイビングは継続的に行うダイビングのトレーニングの基本であり、生涯スポーツであり、レスキューの基本であり、自らの命も救った例が少なくない。 それでも、たとえば今後、フリーダイビング関係者、フリーダイビングができるインストラクターなどが大学のダイビングクラブの指導をすることがあるとして、そのとき、学生を決して必要以上に上達させてはいけない。スキンダイビングの限界以上に上達させてはいけない。だから、手綱を引き締める方向で指導してもらいたい。 さて、東京海洋大学潜水部で、OB会名誉会長として僕は、OBの誰かを監督、コーチを正式に任命するようにと、ボールを投げた。 大学の潜水クラブで安全管理、危機管理が必須であることは言うまでもないだろう。管理に管理責任者がいなくてはならないことも当然だろう。何かがあったとき、死亡事故でなくて、溺水入院であっても、管理責任は問われる。 死亡事故が起こり、危機管理に失敗すれば学長の首が危ない。 アメフトでは、アンスポーツマンライクコンタクトで危機管理に失敗し、大学の評判を地に落とすことになった。スポーツマンにあるまじき行為を監督、コーチが指示して、その結果の危機管理が、スポーツ王国である日大ができなかった。 なお、言わずもがなだが、危機管理とは最悪の事態を想像、想定してその対策を講じておくことだ。60周年を迎えた海洋大学の場合。60年大丈夫だったから、これから先も大丈夫ということはなく、むしろ、確率的には、これまでで幸運部分を使い果たしているから、今後が危ないとみる方が論理的だ。 顧問の教員というのは決まってるが、先生は学校を代表して見張っている立場だ。顧問の先生は、危機管理責任者ではなく、危機管理態勢がないことが先生の責任となる。教員が監督を、危機管理責任者を兼ねる場合もあるだろうが、それは、その人がまず監督であって、そして職業が教員であるということだ。教員の顧問は別のはずだ。 誰も監督を引き受けなければ、僕が、死ぬまでの間引き受けてあげる。と言えば、何とかするだろう。言わないけれど。 僕の考えるダイビング部の監督の理想は熊本の故坂田監督だった。 僕が作った2014年版のJAUSの学生ダイビングについての報告書を高く評価してくれた。亡くなる寸前に、12月の室内選手権にきてくれて、少し話をすることができたが、今ここに書いているようなことをじっくり話して、考えを聞きたかった。 惜しい人を亡くしてしまったが、彼の蒔いた種子は着実に育っているようだ。 監督とは何をするかと言えば、まず危機管理の責任者だ。責任者として具体的に何をするか、その部分は人それぞれだが、自分の考えと実例を書く 続く