2010年に読んで書き写した部分をどこからか発掘してきた。で書き写したのは、
湯浅健二著 「サッカー監督という仕事、」 新潮文庫 2004
書き写したフレーズは、
「サッカー選手にとって重要な要素は、フィジカル(身体)、テクニカル(技術)、タクティカル(戦術)、サイコロジカル(心理・精神)、アンロジカル(つき)。その中で最も重要なのは、自分の持てる力、身体的、技術的、戦術的な能力を十二分に発揮するための土台となる、心理、精神的な部分である。」
スクーバダイビングに使うと、
「スクーバダイバーにとって重要な要素は、フィジカル(身体)、テクニカル(技術)、タクティカル(戦術)海況の判断とチームの技能を考え合わせた運用、サイコロジカル(心理・精神:パニック)、アンロジカル(つき)。その中で最も重要なのは、自分の持てる力、身体的、技術的、戦術的な能力を十二分に発揮するための土台となる、サイコロジカル、心理、精神的な部分である。恐れてはなにもできない。恐れなければ危ない。」とか、いうことになるのか。
これまでは、「スクーバダイビングの要素は フィジカルとメンタルで、どちらかといえばメンタルが重要である」とか、書いてきた。そのメンタル部分を「海況の判断とチームの技能を考え合わせた運用(タクティカル(戦術)、)サイコロジカル(心理・精神)」とわけて表現した。わかりやすくなったと思う。
面白いのは、アンロジカル(つき)で、僕が今生きていてダイビングを続けているのは、つき、以外の何物でもないとおもっていた。さて、死ぬ一歩手前で必ず立ち止まれるのは、アンロジカル(つき)なのだろうか?その辺になにか鍵がある。
アンロジカルをツキ、幸運としているが、不条理、「なんでこんなことになるの」という不運、事故、と考えることもできる。
むしろ、語感としては、不条理、不運のほうが合っているしわかりやすい。
不条理、アンロジカル、論理的でない事故を防ぐには、論理的でない部分、アンロジカルをできるだけ排除する。論理的な、ロジカルな行動の追及、すべての活動、不運を想定して危機管理をする。という順序になる。今、僕の頭の中にあるロジックだ。