写っているダイバーはサツキマスを追い続けたカメラマン 田口茂です。どうしているだろう。亡くなった倉沢君の同期生で仲良しでした。倉沢・田口と最初に会ったのは、彼らが、知床グランドホテルの横で、雪の中でキャンプをしていたときのことでした。宿代がなかったのでしょう。みんな冒険児でした。歳を重ね、涙もろくなっています。
ここで一応、無謀と冒険、そして探検について、まとめておきたい。
冒険と言う言葉と危険が同義に使われることがある。
僕なりのまとめを整理すると、危険というのは状態、状況であって、冒険というのは行動である。探検は目的、目標である。危険な状況を切り抜けるのが冒険だ。そして探検をやりとげる。カテゴリーの違うことばなのだ。
そして、意図して冒険する場合と、意図しないで危険に追い込まれるな場合もある。
冒険とは、人間の行動、行為の一つの類型であり、探検とは行為によって追い求めている目標である。探検は冒険によって行わなければならないとする人もいるが、それは、冒険族である人類が冒険を行いたいがための理由づけであり、おなじように、学術も探検の理由付けにされる。そして、人類の成し遂げてきた成果のかなり多くは、冒険族の冒険の欲求でなされたものであろう。
先に書いた僕の潜水で、最大の冒険者は、僕たちに、特に僕のように危ない冒険族にダイビングをやらせた宇野寛教授かもしれない。、(退官して、残念なことに故人、)自分ならば、とてもできなかっただろう。
もちろん、人類の成果の大部分は、身体的冒険によらずに達成されているが、自然科学の領域では身体的冒険の成果が多い。フィジカルな冒険、メンタルの冒険、合わせた冒険で人類は進化し、もしかしたら滅亡する。
冒険は無謀性があり、死の危険があるが故に、現代社会においては、できる限りの努力をその危険を排除することに費やさなければならない。
フィジカルな活動として、その典型の一つにダイビングがある。登山もそのうちの一つである。
メンタルとフィジカルについて、2010年に書いたものが、今日のフェイスブックに浮かび上がってきた。タイミングがいいので以下に、収録する、
2010年に書いたブログの読書ノートから引っ張り出した。
最近読んだ本で書き写したのは、[2010年当時)
湯浅健二著 「サッカー監督という仕事、」 新潮文庫
平成16年だから、かなり古い本だ。
書き写したフレーズは、
「サッカー選手にとって重要な要素は、フィジカル(身体)、テクニカル(技術)、タクティカル(戦術)、サイコロジカル(心理・精神)、アンロジカル(つき)。その中で最も重要なのは、自分の持てる力、身体的、技術的、戦術的な能力を十二分に発揮するための土台となる、心理、精神的な部分である。」
「監督に要求されるものは、パーソナリティ(人格、人柄的な魅力)、インテリジェンス(知性、)である。」
「チームを強くするために必要なことは、規制と解放のバランス」 そのままスクーバダイビングに使うと、
「スクーバダイバーにとって重要な要素は、フィジカル(身体)、テクニカル(技術)、海況の判断とチームの技能を考え合わせた運用(タクティカル(戦術)、)サイコロジカル(心理・精神)、アンロジカル(つき)。その中で最も重要なのは、自分の持てる力、身体的、技術的、戦術的な能力を十二分に発揮するための土台となる、心理、精神的な部分である。恐れてはなにもできない。恐れなければ危ない。」そのまんまでもいい。
ツキ、幸運のことをアンロジカル 論理ではせつめいできないこととしているのは、おもしろい。
僕が生きているのはツキ、幸運以外の何ものでもないと書いてきたけど、本当にそうだろうか。
先に書いた宇野先生が僕に言ったことがある。「須賀君、人は、自分だけが特殊だと思っている。だから、特殊だと思うことが普通なんだよ。」ツキ、幸運だと思っていることは別に特殊でもなくて、ダイビングという冒険を繰り返している、ダイバーのほとんど全員がついているのかもしれない。
このあたりのこと、もう少し研究したいけれど、アンロジカルなのだから、 さて、死ぬ一歩手前で必ず立ち止まれるのは、アンロジカル(つき)だろうか。