1982 知床で神の子池 を発見する。
自分が探検と冒険の最中にあった。とても、ノートを取って本を読むどころではなかったろかもしれない。読んだ記憶はあるし、形跡もある。 本多勝一に戻って、 冒険の定義として冒頭で「ゆきづまった時の突破口」としているが、これは、日常の常識的な冒険であり、非日常の冒険とはいいがたい。 本多は人間には「人間界には、冒険族。非冒険族という二つの門がある。」動物学の門を持ち出している。すなわち、人種とは違うもっと大きな区別である。僕は、冒険族に属しているから、非冒険族の考え方、価値観など理解できないのではないか、もちろんその逆もある。この間に相互理解などないのだ。正否もない。このことは、今、83歳になって、そうだったのだ。と、思い当たる。そして、これは僕の感慨だが、意外?なことに、人類は冒険族が多い。僕の周辺部、ダイバーという人種は、冒険族だから、その中で僕は自分の価値観が否定されないで生きてこられている。 まず、堀江謙一の「太平洋ひとりぼっち」これが日本人に与えた衝撃は、おおきなものだった。 堀江はパスポートなし、出国許可なしで、吉田松陰のように小さなヨット「マーメード」で、海保の目をくぐり抜けて密出国してしまう。日本のマスコミの論調は不定的で、アメリカに到着したら、逮捕され、強制送還されるだろうというものだった。 ところが、彼はアメリカで歓迎され名誉市民にもなってしまう。この日本とアメリカの落差、日本のマスコミも当然アメリカに追従する。 堀江さんは、日本でも英雄になった。 朝日新聞の賛辞「人類の将来に大きな寄与をする点では、宇宙開発計画などの意義は絶大だが、他方、個人の冒険心が人類活動のささえになっていることは何時の時代にも通じていよう。南極のスコットを今もなお敬愛し続ける英国人の間には、つねに純粋な形でのアドヴェンチャが尊ばれているように思われる。」朝日新聞1962 8月15日 一方、堀江謙一の3か月前、ドラム缶を束ねた筏で太平洋を渡ろうとした、金子健太郎は海保に逮捕されて拘留される。 本多は、金子にもインタビューしている。その後、1974年 金子さんは再度チャレンジして、今度は規則通りに出国したが、日本近海を出ないうちに、時化にやられて、帆を一枚失ってしまい、漂流状態になる。漂流は予期していたことなのだが、腎臓結石にやられてしまう。痛みに耐えかねて、SOSを発信し、外洋航路の貨物船が接近してくるが、コストがかかるのを嫌ってか助けてもらえない。漁船に助けてもらうのだが、本多さんとのインタビューで助けてくれなかった商船を恨みに思うようなことを言っている。恨みを言うならば、止めた海保が正しいが、腎臓結石は僕も経験がある。いっそ、殺してもらいたい痛みだ。今、金子さんはどうしているだろう。ググってみたが出て来たのは、彼のことを書いたブログぐらい。 日本では、冒険は無謀でないときだけ支持されている。だが「無謀でない冒険」とは形容矛盾であった。冒険は本来無謀なものである。100%安全な冒険は冒険とは言えない。大なり小なり失敗の可能性があって、なお実行してみること、試行錯誤の原則にたつこと、賭の要素が入ることが冒険である。日本では実行にあたって、ただの1%も失敗の可能性があってはならない。」 バルサの筏で、南米のペルーから、南太平洋へと渡った、コンティキ号のヘイエルダール へのインタビューでヘイエルダールは、 「私たちにとって、探検という言葉は、普通、冒険的というよりも科学的なものなんでえうがね。人が未知のものを探し求める時、それを探検という事が出来ると思うんです。私たちは冒険だけの意味には使いませんね、私たちの言葉では、冒険だけを意味する探検はごく例外です。探検は何時も科学とか発見を伴っています、また、いつも目的があるはずです。ただ単に冒険のためなどということは無いわけなんです。」 言葉としての探検について、英国と米国の大学生が日本沿岸をカヌー旅行を企て、海保にストップされ太その対応についても書いている。 海保は、日本沿岸というのは、世界でも難所だから、せめて難所の部分だけでも陸行するようにという事で、事実大学生らは、いやいやであっただろうが陸行して無事にコースを完走している。 日本が南極探検を探検と言わずに観測という言葉を当てていることについて、 探検 exploration expedition explore 西堀栄三郎 品質管理の専門家 初代南極探検隊長 何か新しいことをやる場合、たいていは、まず調査して準備してから、それを本当にやるかどうかを決めます。しかし、西堀流によれば、それは全く逆だというのです。なにがなんでもその新しい計画をやることに決めて、しまうのです。 調査や準備は次の問題であります。従って、調査・準備を先にする場合には、その結果によっては計画を中止することがよくあるのに対し、まずやることを決めてから出発する場合は調査の結果如何によって中止はしません。調査は「よりよく」成功させるためにものであって、やるかやらぬかを判断するものではないのです。なぜか、それは計画が新しいものであるからです。新しいことは、これまでに全く無かったことです。従って、成功までの課程でなにが起こるか見当がつきません。予測しないことが必ず起こる。なにが起こるかすべて予測できるようなものは、新しいことではあり得ないでしょう。となれば、そんな計測不可能なことのために「準備」するなど、馬鹿げています。そして、予測しなかったことが起きた場合に発揮されるものこそ、創意工夫なのであります。 ※学生のダイビングで、若い人の命が失われると、こんなことをやっていて良いのだろうか、禁止するべき、あるいは、自分のやっていたケーブルダイビングシステムでやらせようとか思う。しかし、今の形で大学のダイビングは、やることが既成事実なのだ。やる香やらないかではなくて、「やる」なのだ。ただし、学生のダイビングは新しいことではなくて、50年の歴史があることなのだ。その歴史から、調査・準備をしなければ、逆に、忘れてはいけないことは歴史!! ※現代2018における探検は、宇宙、深海の他にはないのか。角幡のチベットの奥地、ツアンボー渓谷などの探検は、自己満足、ノンフィクションが売れる、という以外に何もない。むしろ、エベレスト営業遠征記録、「空へ」の方が、読み物として僕は面白かった。角幡のツアンボーも悪くなかったけれど 誰も知らないようなチベットの山奥に入って行って、自分が死にかけただけだかから、読み物としてインパクトがない。読み物としての冒険ノンフィクションは、確かには人が死ぬような無謀さがなければならず、だから、ノンフィクションを書く冒険家にとって、無謀さが冒険成立のカギになる。 ※自分としてまとめるのは次として、今、考えていること。言葉の捉え方は人それぞれだが、「無謀」を売り物にするのはわかりにくい。困難、もしかしたら命を落とすかもしれない困難であっても、まず、やると決めたら、行けるところまで行くというのは良い。やると決めたらやる。死んでしまえばそれはそれでいい。しかし、「死ぬのを計算に入れた無謀」には賛成できない。脇から、他所から見て、あれは危ない、死ぬな、という状況でも本人は死なないと思って突き進んでいる。これならば理解できる。「死ぬなよ」と応援できる。そして、目標を達成できずにその直前でたおれたとしても、それは本懐だ。生きるために常に最大の努力をはらう。「空へ」というエべレスト営業遠征の遭難を書いた本を読んだ。それぞれ、生きる努力をして、計算もしつくしたつもりで、間違いがあって死んでいく。 さて、ダイビングだが、失敗すれば死ぬ可能性はある。だから、冒険だろう。決して失敗はできないので、もしか失敗しても生き残れるように二重三重に安全策を張り巡らす。無謀は許されない。必ず生きて戻る。そういう冒険だと思う。無謀だとは思えない死亡率であることから、社会で存在が許されている。ダイビングの上手下手だが、死んだ奴は下手で、生きているから上手なのだと嘯いていたが、プロの冒険者も死んでは敗者だ。植村さんは好きだったのだが、残念なことに敗者だ。「冒険と日本人」には、植村さんとの対談もでていたが、彼は、南極探検に科学的な意味を付加しようと一生懸命努力している。冒険だけでは、冒険も成立しないのだ。 スポーツは冒険ではないと断じていて、スポーツの側も、冒険の要素、すなわち無謀な生命の危険を禁忌している。堀江さんの冒険も、太平洋シングルハンドレース、スポーツになったら、海保も大協力だった。太平洋をシングルハンドのヨットが往来するようになり、ドラム缶で太平洋を横断するような冒険はアホか、となった。ヨットにスポーツの要素があったからだ。一方、、フリーダイビングのバーチカルブルーなどは競技スポーツーとして認められることは無い。オリンピックスポーツになることは無い。生涯スポーツの衣を着ることによって、スポーツとして社会に認知されている。生涯スポーツというと、なにか老人スポーツのイメージがある。ゲートボールのおかげというか、国のアッピールの仕方が間違ったのだろう。冒険スポーツというジャンルを作れば、その中に入るのだが、冒険がスポーツを禁忌し、スポーツが冒険を禁忌する。 無謀でなければ冒険ではない。日本では無謀でない冒険しかみとめられない。 無謀がキーワードのようだ。次に無謀について書こう。