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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0805 生涯スポーツ3商品スポーツ、競技スポーツ、そして冒険

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 国、文科省の定めた社会体育指導者資格は、地域スポーツ指導者と商業スポーツ指導者という二つのランクがあった。商業の方はお金を稼ぐプロ資格である。それぞれのうちで、C 級、B級、A級のランクがあった。僕は日本で数少ない地域スポーツのA級になったが、別に国が給与をくれるものでもない。ボランティアの資格なのだ。
 とにかく、その地域スポーツ指導者の果たすべき役割は、浦安海豚倶楽部のような地域市民クラブをつくる指導者を想定したものだったのだろう。ダイビングショップのオーナーは、商業か?微妙だ。
 しかし、この浦安市民クラブの土台、仕組みをつくったのは僕ではない。最初の会長さんになった成田さんという女性がプロのプロデューサーであり、彼女のおかげで、このクラブができた。ダイビング業界的感覚では僕をクラブの会長にとか考えるところだろう。僕もそんな風に思っていた。しかし、彼女は、一時たりともそんなことは考えなかったと思う。
 社会体育指導者は、そのスポーツ、たとえばダイビングのプロであるよりも、このようなオーガナイザーのプロであるべきなのだと勉強した。
 市民クラブなので、会長さん、役員は一年で交代する。会長、副会長、会計が三役であり、本当にご苦労様な経営を続けてくれていて、僕は何もしないで、みんなと一緒に生涯スポーツをやらせてもらっている。
 このクラブのこれまでの春秋、移り変わり、あり方を書けば、生涯スポーツの一つのテキストになる。
 このクラブはスキンダイビングのクラブである。このクラブでスキンダイビングを習い覚えて、スクーバダイビングに進んだ人もいるし、すでにスクーバダイバーであった人がスキンダイビングをやろうとしてクラブに入った人もいる。まったくスクーバをやらない人もいる。スキンダイビングとスクーバダイビングのオーバラップするバランスというものは、かなり微妙である。それは、その人それぞれのスタイルである。


 スクーバダイビングの進化形ともいうべきテクニカルダイビングになると、一概に言えないが、スキンダイビングとのオーバラップはほとんど無くなってくる。スキンダイビング、スクーバダイビング、テクニカルダイビング、この三つのバランスがどのようになっていくのか、この業界のキーかもしれない。
 僕としては、自分のスキンダイビングとスクーバダイビングのバランスが好きだが、もはや過去のスタイルだろう。
 
 今年、海豚倶楽部で、沖縄本島に年に一度のツアーを行った。とても楽しかったが、高齢者のスキンダイビングが異端のように受け止められている空気だった。ライフジャケット型の浮きを着けて、沈まない、潜らないスノーケリングが推奨されている。
 ここに至って理解した。スノーケリングは、中田さんの定義の商品スポーツとして、ジャストに成立する。ジャケットを着けて、潜らせないということで、一般向けの役務商品としての条件を満たすことができる。スキンダイビングは、生涯スポーツ、スノーケリングは商品スポーツなのだ。
 たとえば、僕たちの泊まったホテルを朝に出発する水納島スノーケリングツアーという商品がある。バーベキューも付いて、1000円と割安だ。しかし、スキンダイビングは、認められない。このあたりのメカニズムが理解できていなかった僕は腹を立てたが、今や沖縄のビーチは、商品スポーツの場なのだ。海豚倶楽部が毎年のように通っていた慶良間の座間味も同じようなことになっているという。
 スキンダイビングのできる場所は次第に狭められていく。狭められれば混雑するから、ビジネスになる。西伊豆のヒリゾ浜などは、駐車場に車を止めるのが早朝でないと困難と言う状態である。 また、中田さんの本からの引用だが、ダイビングは致死性スポーツ、すごい言葉を繰り出すものだ。しかし、当たっている。文科省のスポーツ事故の会議に出たことがある。ダイビングでは、事故というと死亡事故、他のスポーツの事故は、突然死をのぞけば、
※突然死の可能性はすべてのスポーツにある。建設労働者でも、冒険者でもそれはあるから、別に考える。
 突然死をのぞけば、一般のスポーツは、最悪で脊椎損傷、あとは、アキレス腱とか骨折、格闘技でも殺してしまうことはない。それにつけても脊椎損傷の可能性があるアメフトで、あの空気は許されない。空気は監督の責任だ。日大は秋のシーズン出場停止が解けなかった。その理由の一つが、他のチームの安全の為、だった。殺人集団だと決めつけられたのだ。
 危機管理を誤ったため、日大全体が危ない。 話を元に戻して、ダイビング事故と口にすると、それは、死亡事故を指すことが多いのだ。つまり、致死性だ。 たいていのスポーツに適性というものがある。
 ダイビングについて適性のない、危ないなと見える人が、100人に一人ぐらいはいる。適性の無い人はやろうとしないことが多いのだが、それでもやる人が居て、その多くは体験の段階でやめていく、やめなくても、昔のような小人数のクラブ組織であったならば、みんなのケアで、なんとか克服してダイバーの形になる。生涯スポーツならば対応可能と言うことなのだが、商品で3日間で卒業、19800円とかいう講習は、体験して自分に適性があるのかどうか、適性判定のための商品であろう。
 適性の無い人が、やめもせず、商品だから、適性の無い人への個別のケアもなく、続けた場合悲劇がおこる。
今の海豚倶楽部は、倶楽部としてスクーバは、やらない。今年の沖縄では、スクーバをやる人は別に残って、スクーバを楽しんでいた。
 始めた当初は、スキンダイビング、そしてスクーバダイビングへと段階を踏んで行こうと考えていた。しかし、どうしてもスクーバへの適性の無いメンバーがいる。スキンダイビングならば、何の問題も無く安全にできる。
 また、スクーバダイビングは、60歳以上から始められることは勧めない。60歳以上ではじめてインストラクターになった方もいるから、熱意と適性があれば、可能だが。 息こらえ素潜りのスポーツとしては、バリバリの競技スポーツになったフリーダイビングがある。競技スポーツと生涯スポーツのクロスオーバーは、悪いことではなく当然なのだが、水に潜るダイビングの場合、その境界部分での安全管理が難しい。スキンダイビング・セーフティでは、改訂版でその境界を明らかにしようとした。スキンダイビングは、最大水深が8ー10m、潜水時間1分未満を限界とすることにした。
 競技としての、あるいは競技練習の安全管理設備とガードがない息こらえ潜水は、スキンダイビングの範囲を超えるべきではないと思うが、成人が自分の考える安全策の範囲で行うならば、フリー、自由であるべきだろう。限界が定められていても、自分のプライドでそれを越えることは、嫌いではない。それを、角幡唯介の言う、脱システムの冒険と呼べるかどうか、僕は、立派な冒険だと思う。
 僕が考える冒険とは、商品スポーツ、学生スポーツでは禁忌であるが、定められた線、限界を自分の考え、責任で、自分の意志で越えることはある。そこにシステムがあっても、それを越えれば、脱ぎ捨てれば冒険である。冒険を推奨しないが、禁止とは言いたくない。

 
 一般的な基準としては、危険に類することは、スポーツとして可能な限り安全ネット(システム)を張って行うとして、これは、脱システムの冒険ではない。なんとかシステムを作り上げて挑もうという行動である。
 具体的に言えば、大深度潜水、沈船ダイビング、洞窟潜水、僕の時代には、これらは自由に自分の責任で危険を冒して冒険できた。死ぬのは自由だ。今はテクニカルダイビングと呼んで、システム潜水ではない形でこれを行おうとしている。システム潜水とは、船上、からホースで送気し、通話機からのトップ(船上)の指揮で潜水する方法で、安全管理の責任は船上のトップにある。高気圧障害防止規則では、40m以上の潜水はこの方式で行うことになっている。
 テクニカルダイビングとは、混合ガスの使用が必須になるほどの深度に、混合ガスでスクーバで行う潜水である。システム潜水が安全第一であるとするならば、テクニカルダイビングは、システムの枠から出たと言う意味で冒険的な潜水である。
 真正な、すなわち無謀性を重視する冒険ではない。また、安全を追求するので、冒険と言う言葉をかぶせられることを嫌って、テクニカルと呼んでいるのかもしれないから、冒険と呼ぶと怒られるかもしれないスポーツである。
 ここで、テクニカルをスポーツと呼んだわけは、スポーツでないならば、システムダイビングで行わなくてはならないからである。そのことにはまた別の問題はあるが。テクニカルで業務をしては、いけないのかとか、
 
 ダイビングをスポーツとしての視点で考えている。僕の場合、ブログは考える道具であり、書きながら考えているから、結論ではないし、矛盾も出てくる。結論に向けての議論なのだ。

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