大学生クラブの周年行事が続いている。学習院が50年、海洋大学が60周年、関東学生潜水連盟が50年、そして中央が50周年 少し前には法政が50年、芝浦が45周年だった。 光栄なことに、これらの全てに招待されて、ご挨拶する事ができた。60年前の最初から関わっているということと、2003年から2013年まで、SAI というプログラムを作って関東学生潜水連盟を支援したこと。JAUSでも、前記の歴史のある学生クラブの監督をシンポジュウムに招いての発表をお願いした努力が買われたのだと思う。残念なことは、獨協大学などいくつかの歴史のある大学の発表ができないままになっていることだが。SAIが打ち切られたこともあって、バトンを「監督・コーチの集い」に渡して、2014年度のシンポジュウム報告書で、その時点の学連の全てを特集して収拾したのだが。
とにかく、自分の立ち位置でできることを一生懸命にやった。SAIのような活動は、行われた時点では成果になっても、継続した活動の内では過ぎ消えて行くものであり、結果にはならないが、強いて言えばその成果として、このような集まりにご挨拶、あるいは記念誌に書かせていただくことになった。 これら関東学生潜水連盟・大学のクラブが50年続いているということは、一つの文化になっていると思う。大事にしなければならない。大事にすることが、後述する安全管理、危機管理につながる。 あと、自分が生きて居られる月日がどのくらいあるのか知ることはできないが、最後まで、できる努力は続けたい。
さて、中央大学50周年だが、40周年の時にも呼んでいただき、お話をした。その時には、自分の50年間のダイビングライフ・冒険の日々をお話ししたが、今度はどうしよう。 ちょうど、自分の母校、東京海洋大学のことで、これでよいのかと思い悩んでいたこともあり、安全管理と危機管理のことを中心テーマとして、それ以前の昔話、そして、これからのことを並べてお話することにした。 講演はパワーポイントを使う。自分の耳が遠いこともあって、字を伴わない講演はほとんど理解できない。字も大きくする。他の人の講演を聞くとき、自分は、映写されたスライドを携帯で写して、後で見る。その時に字が大きい方が良い。 そして字のPPだと、最後の最後まで直しができる。 ここでもPPを図として出して説明する。講演は時間の限りがあるので、簡潔にまとめたが、ブログの説明の方が長いと思う。 なお、ご挨拶の部分は省略する。
中央のOB(第8代)である鶴町君が僕の会社に就職した、1977年のことだ。 鶴町が入社の時、ダイビングは何時死ぬかわからないロシアンルーレットみたいなものだが、良いか?と話した。その言葉が気に入って入社したと後で聞いたが、その最初の仕事で、発電所の排水トンネルで一緒に潜っていたオジサンが死んでしまう。 今振り返れば、ロシアングーレットになってはいけない、というべきだった。 ※ロシアンルーレットの話は、次に書こうと思っている冒険論、スポーツ論にも関わってくるので、あえて出した。
写真の左端が鶴町。 そのころ僕は、アリステ・マクリーンの冒険小説が好きだった。今でも好きだが、一番好きなのは「女王陛下のユリシーズ」巡洋戦艦ユリシーズの話だが、北海の荒波が船に凍り付いてしまう世界だ。なんかそんな雰囲気の写真だ。※こんな脱線は講演では,話さなかったが。
会社としては、これは一部分だが、鶴町と一緒に行った、撮影ロケのリストだ。 赤字で示したのは、ロケではなくて事故だが、この事故が、僕のダイビング人生の転換地点だった。この事故は、常識的には自分に何の責任もない。父兄の一人として責任を追及する側かもしれない。しかし、この練習の指導をした子、学生は僕のダイビング指導の間接的な弟子だ。事故が起こった練習のコンセプトは僕たちが作ったものだ。責任があると考えて、遺族、お父さん、お母さんに何通か手紙を書いた。その過程の中で、学生の活動全体を俯瞰してアドバイスする者が必要だと感じた。 しかし、その後すぐにニュースステーションの制作がはじまり、従来の調査業務と同時にテレビの撮影業務も行うために、学生のことなど省みる暇もなかった。そして、同じような流れの中で、青山学院の事故が起こる。母校の水産大学でもヘリコプター搬送の事故が起こる。これらのことを全く知らないで僕は時を過ごす。
1994年になって、海洋大学第40代のころから、ようやく少し時間ができてきたのか、水産大学(現 海洋大学)に関わるようになった。 そして、2000年ごろから、学生の練習を直接、間接にみるようになり、幾つかの事故、もしくはニヤミスを知る。そして、学生の合宿が飲み会の場になっていることも知る。そこから、学識経験者(東京医科歯科大学の真野先生、順天堂大学の河合先生ら)が関わる学生の安全対策行事、SAIを始める。関東学生潜水連盟には、安全対策主将会議というおなじような行事があるだが、学生潜水連盟は伝統的に独立独歩、社会人の干渉をうけないというポリシーがあり、この主将会議をSAIと重ねることができなかった。※学生だけですべてを行うというのは決して悪いことではないが、重大事故の危機管理となると、手におえなくなってしまう。学生連盟の危機管理、は、事故を起こした部の「除名」であった。除名から自分の力で立ち上がらなければ続けられない。法政は見事に立ち上がった。
※、法政は娘の潮美の部であり、僕にとって、親子の関係だ。だから、例に出せる。
ダイビングのロシアンルーレットは、だいたい、16000発に一発弾がでる?(ダイバー16000人に一人ぐらい死亡事故が起こっていた。今はもっとすくないだろう)。そのピストルを頭に当てている、など父母が同意できるものではない。学生の場合には、パーフェクトですと言える安全管理が必要である。それでも、ダイビングに、パーフェクトということはない。しかし、社会が認めてくれるような危機管理ができなければならない。冒険小説の世界は認められない。
最近、アメフトについて、日大というマンモス大学を揺るがすスキャンダルがあった。日大アメフトは伝説の監督 篠竹さんと親交があったことから、眼をはなさずウオッチ、といってもネットを通じてのウオッチだが、眼をはなさず見た。そのことも、ここに書いていることに大きく影響している。 まず、空気だが、関学のQBを反則で壊してもどってきたプレイヤーを迎えたベンチの空気、倒れた相手の安否を、爪の先ほども案じている空気はなかった。 アメフトは危険なスポーツだから、壊れて還ってくる子供を迎える父母と監督・コーチとのやりとりが多くなる。父母会を作ってコミニュケーションを強く保っていないと、子供はやめさせられてしまう。そして、その父母会の結束はとてもつよく、子供たちが卒業した後までそのつきあいは続く。日大ももちろん良い父母会があった(篠竹さんの時代)し、今でもあるに違いない。そして、相手の関西大学にも、あるに違いない。「殺せ!」「壊してこい!」と言ってもそれはルールの中でのこと、反則して殺してこいといったらそれはもはや、大学スポーツではなくなってしまう。その行為、危険な反則を全員が是認しているようなベンチの空気だった。この空気が連続的に報道されて、ほぼ日本人全員が、おそらく日大のOBも、これはない、と思ったはずだ。そして、その後の危機管理がこれ以上ないと思われる拙劣さだった。
大学ダイビングクラブも。危機管理の処理を誤ると、現在の社会の中で、どのようなことになるのか、考えて置かなくてはいけない。
アメフトは父母会を作れる。事故の多くが負傷であるから。ダイビングの事故は、その多くが生死である。父母会は作れない。だからこそ、きっちりと向き合わなければいけない。向き合う態勢を作っておかなくてはならない。それは1982年の事故で痛感したことだった。対応する時間は無かったが、反省だけは十分にしたし、後になって、その反省に基づいた行動もした。いわゆるレジャーのダイビングクラブと大学のクラブを分けるのはその部分である。
1982年の事故は突然死の部類にはいると思う。誰もその場で予測しえなかった。例えば、柔道で締め落としたら死んでいたような状況であったと思う。ダイビングでもブラックアウトは珍しくなく起こり得る。ブラックアウトで引き揚げたら、蘇生しなかった。
突然死を確実に防ぐ方策は事実上ない。でも、自分の身体のこと、身体中で起こる変化を注意深くサーチしていればわかる。予知できる。と僕は思っている。その微妙な変化を自分で察知したとして、それは、コーチ、上級生には察知できない。だから、自分が察知した時点で直ちに活動を停止して退避するルールを徹底させておかなくてはならない。それが、1982年当時には無かった。繰り返してはいけない。
ダイビングでなくても、多くのスポーツで、トレーニングでここまで神経質になったら、スポーツにならないかもしれない。だから、突然死は少なくない。およそ、保険というのは、統計的に事故の起こる確率をよく研究して金額が設定されている。日体協がやっているスポ安保険は、すべてのスポーツで使われていて、おそらく、大学のダイビングクラブでもほとんど全部加入しているはずである。そのスポ安保険での加入は、一人当たり、ダイビングは1800円、アメフトは11000円だ。アメフトの方が高いのは、けがが多いからであろう。(60歳以上は保険料は安くなるが補償金額も安くなる)
死んだ場合には2000万円が支給される。ところが、それが突然死だった場合には、180万円、葬祭費用しかでないのだ。これで、一概には言えないが、少なくとも突然死は希なことではないと想定しているのだろう。
その突然死について、起こらないように、上記したように、自己責任で対処するように徹底するとともに、(自分の内側のサインに敏感になること)起こった場合の危機管理、ガードを固めて置かなくてはならない。
2014年、SAI をやめることになった。2013年、学生たちの行事として定着しつつあったと思っていたのだが、学生はあるショップの機材モニター会を優先した。大学生のダイビング、行事だから、学生に命令強要するようなことはしなかった。学生の場合、学生がやる気をなくしてしまえば終わりなのだ。そして、真野先生の健康もすぐれなくなり、お亡くなりになって、終結した。
その代わりではないが、SAIの終わりを記念して、2014年のJAUS報告書を関東学生潜水連盟特集的に作り、その時点での学生のアンケート、各大学の安全基準、マニュアルなどを載せた。印刷代を20万かけて、大量に作った。
ここから先中央大学の講演から少し外れる。
2014年のJAUS報告書の中で、青山学院大学のマニュアルは、とてもしっかりしたものだった。
今でも、青山学院海洋研のホームページを見ると、このマニュアルだけが、ポツンと載っている。
非常に残念なことに、青山学院は部員が集まらずに休部状態になってしまっている。ハウジングメーカー・フィッシュアイの大村さんは、夫妻で、このクラブ出身である。なんとかならないものか、と少しばかり考えたが、切れた絆はつながらないのだ。
学生のクラブは、新入生が居なくなると、終わってしまう。
海洋大学の場合、僕がかかわってからだが、部員が一人だけになったこともある。それをなんとかしのいだのが、僕のバックアップの効果だと思っているが、なんとか繋げて、50周年で、OB会を作った。それまでOB会は無かったのだ。
大学のダイビング活動は、いわゆる部活、中央も、学習院も芝浦も、法政もそして海洋大学も、獨協大学も、50年近い歴史を持つクラブは、部活の形である。大学では、サークルという緩やかな組織もある。前述した2002年にSAIができた時に、作った動機になった事故はサークルの事故であった。
サークルの方は、だいたい街場のショップが絡んでいるから、担当したインストラクターの賠償責任保険で解決できるだろう。場合によっては、そのサークルは解散し、名前を少し変えたサークルとしてリスタートすれば良い。
一方で50年の伝統は、たとえ事故が起こっても守り通す危機管理を想定していなければならない。そのことが、安全管理と相乗効果をもたらして事故を防ぐことになると信じているが、事故の起こる確率に優劣はつけにくい。
各大学のサークル事情を述べるとなると、これは別の話になってしまうが、大学雑居、ネットで会員を募集するインカレサークルというのがある。
この数年、部活の関東学生潜水連盟も勢いをとりもどしていて、それぞれ、10人-15人の新入部員を確保できているが、大学雑居のインカレサークルは、数十人、いや100人ちかい入部者を集める。インカレサークルの主催者細谷さんとも親しくしているが、たいへん優れた、頭のいい人であり、その安全性について、むしろインカレサークルの方が高いと思われる部分もある。街場のダイビングショップのクラブより年齢層がそろっているから、安全管理がやりやすいとも思う。
ダイビング業界にとって、学生は大きなマーケットだろう。グランブルとかいうマンガもあった。
これは既に述べたのだが、目指す目標 自覚
自分の命を自分で握っている:人間的な成長
バランス感覚 恐怖心と思い上がり(自信)のコントロール。
ダイビングはメンタルなスポーツ:考え抜いて行動する。
母校の海洋大学でも、つきあいを続けていて、一年生と三年生では、別人になる。ならなければいけない。一年生をまもる責任を持たされる。
いうまでもなく、サークル活動であっても、目的、目標を人格の形成とすることに、何の差支えもないが、そんな堅苦しい目標を設定しないところが魅力で有り、人を集めるのだろうから、難しいだろう。「安全にダイビングを楽しむ」それだけで、立派な目標なのだが、ダイビングは安全ではない。自動的に、上に記したような効果が得られてしまう。そこを外すと、サークル活動は危険なものになるだろう。父母にかかわる賠償責任、危機管理は、それだけで、命を守るものではないのだから、ガイドダイバーが居ても、インストラクターが居ても、自分の命は常に自分が握っている。
50年、一つの文化と言える歴史を持つ部活動とサークル活動の差は、目的、目標の設定であろう。それぞれの、部がそれぞれの目標を設定しているはずである。中央は「海洋研」というタイトルに集約される。つまり、ダイビングで何をするか、その目標設定が大事だと思う。
書きすぎて、特に後半部分、ピントがずれてしまった。講演は時間制限があるので、もう少し、締まったものだった。にちがいない。