① いわゆる純娯楽的楽しみなものと、②少し固いというか考えさせられるもの、③そしてダイビング、海についての勉強。三つのカテゴリーだ。
①の純娯楽が読む量が一番多い。こんなことをしていて良いのだろうか、残り少ない時間なのに、と思うことしばしばだが、テレビというものを必要以外見ないので、まあ、良いだろう。ということにしている。
③の勉強的な読書は、現在ペンディング、読みかけは「藻場とさかな:小路敦」メバルについて詳しい。藻場など周りにないお台場になぜメバルが今年は多いのか。どこかに藻場があるのか、それとも藻何相当するなにかが?もちろんそんなことの答えは、この本にはないだろうが、とにかく、メバル稚魚に詳しい。図書館で借りたが、必要図書だと思ってアマゾンに発注した。これは、まだ読みはじめだ。
②として、内山樹「街場の文体論」文春文庫を真ん中あたりまで読んでいる。
この本は、ノートをとって読みたいがそんな時間はない。「人は、書きながら考えている。」「エクリチュール」「メタ・メッセージ」など。 ①②だが、特に①は同じ作家のものは全部読む。
須賀しのぶ という作家、同じ須賀という苗字だから、気になっていた。もちろん親類ではない。須賀敦子さんという作家もいて、もう亡くなって20年になる。「さん」付けにしたいような作家だが、全部読むようなおつきあいは目下のところできかねている。でもそのうちにとは望んではいる。
図書館で借りてきた。「神の棘」ⅠとⅡ、二巻にわかれている大部だ。第二次世界大戦前夜のドイツ、ヒットラーが台頭して、弾圧がはじまるころ、その弾圧をする側のナチス親衛隊の若者と、その友人のカトリック修道士を主人公にしたかなり辛い話だ。話は1936年、コミュニストの摘発から始まりユダヤ人の弾圧、カトリックの弾圧、抵抗に続いていく。人種、思想、宗教による弾圧、抵抗を真に体験したことのない日本人の若い女性作家が書く、どんな人なのだろうと、このごろではネットでみると顔写真がバラバラでてくる。別にちゃらくはないが、今風の若い顔が出てきた。それはそれとして、Ⅰ、前巻の方は、特に引き込まれはしないが、苦労なく読み進む感じ。Ⅱ、後の巻での中頃、ヨーロッパ戦線での虐殺とそしてイタリーでの戦闘については引き込まれた。読みながらだけど、トルストイの戦争と平和の戦争シーンに匹敵するのではないかとまで思った。
民族同士が戦い殺し合って、そして国境を接しているヨーロッパという地域のことを考えた。そして、日本と隣の国との関係がどのように転回していくのかわからないが、隣の国の人の感覚では、弾圧者日本だったのだろうな、と今更のように思ったり。
終わりの完結の仕方、終わり方は、親衛隊主人公がクールに絞首刑になり、修道士は司祭になっていて、最後の日に面会する。そして、親衛隊主人公の妻が、彼女は実はユダヤ人だったというどんでん返しは、とってつけたような不自然さがあり、そんなことはしなくても、充分に読めるのに、もっと別の終わり方の方がいいかと感じたが、それはまあ、感想だ。 もう少し、この人の本を読んでも良いと、「革命前夜」文春文庫を買った。東ドイツ、バッハの国に留学するピアニストの若者の話だ。これから読む。あまり、一気には読まないでぽつりぽつり、最後まで読めそうだ。そういう読み方ができる本が良い。 と思ったのだが、引き込まれて一気に読んでしまった。音楽の描写、若い音楽家の描写は良いのだが、これも、ラスト、もっと自然に終わらせた方が良いのに、謎解き、意外性を持ち出してしまう。
でも、小説を読んだ、という気持ちになれて、満足はしている。もう一度読み返すか?といえば、たぶん、しばらく後になれば。
この人の本はファンタジーだから、無理はあっても良いので、ほとんど読み返している。所々だけど。 上村菜穂子「明日はいずこの空の下」読了、良いと思うような、物足りないような、でも、もう一度読むだろう。
続けて、「物語ること、生きること」読んでいる。 こんな風に読書ノート、だらだら続けるのも悪くないな、と思った。 「物語ること、生きること」読了、これはおもしろかった。代筆というか、インタビューをまとめたものなのだが、そのように思わせない。
この人の文化人類学者としてのフィールドサーチやら、なぜ、文化人類学者になったのか、など書いている。
文化人類学という学問に僕は興味を持って行いた。海女、海士の研究をするとすれば、それは文化人類学なのだ。この人のファンタジーを読んだきっかけは、書いているのが文化人類学者、それも片手間ではなくて、二足の草鞋といえる学者だったからだった。 ここまで書いたのが、5月12日だった。
②内田樹(うちだ たつる)街場の文体論 ノートをとって読んでも良いと思っているくらいなので、少しずつ読んでいる。今、70%あたり。
②内橋菜穂子「隣のアポリジニ」70%
5月27日現在。