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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0520 スポーツの空気

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 日大アメフトの反則が、巷の、全国的な話題になっている。日大のアメフトといえば、1960年代、日大の伝説的な監督、篠竹さんと、毎夏何日かをともに過ごした。まだ、指導団体などというものが、無い時代だから、僕は個人教授で篠竹さんに魚突きを教えていた。だからダイビングの師ということになる。 篠竹さんについては、前にも書いたが、際限もなく書くこと、逸話がある。虎の頭付きの毛皮をベッドに敷き詰めてあったり、一言で言えば侍、武士道を体現しようとしていた。だから、切腹も斬首もあり? 著書も多数ある。フットボールのパス戦術であるショットガン・フォーメーションの考案者であり、日大フェニックスは、日本最強だった。このショットガンはアメリカのNFLもカーボーイズが真似をして普遍的なフォーメーションになり、後には、関西学院も使うようになった。ショットガンとは、鉄壁のディフェンスで、QBを守り、ランニングバックが散弾銃のように飛び出し、そのどれかにパスをする。一緒に遊んでいたころ、ディフェンスは鉄腕湯村、不世出のランニングバック、吉岡さんも一緒に潜った。僕が書くと、なんでもGOD、古き良き日になってしまうのだが、本当に楽しかった。  今度の反則、QBへのレイトヒットは、プレイがはっきりと終わって、QBが天を仰いで居るときに後ろから襲いかかって倒し怪我をさせた。ビデオ録画で見て、卑怯な暴力行為に見える。反則として拙劣、下手くそであり、みっともない。「殺せ!倒せ!」はフットボールの常套句だから、監督はそんなことを言っただろうが、みっともない、卑怯に見えるということで、篠竹時代だったら、切腹だろう。 篠竹さんは、選手を選ぶ基準として、喧嘩が強いことだと言っていた。たしかにコンタクトスポーツは喧嘩であるが、ルールがない喧嘩はスポーツにはならない。卑怯に見える暴力行為は許されない。真正面から当たって、ルールの範囲で倒すトレーニングをする。 ルールの範囲でも、アメフトは、もっとも危険なスポーツである。スポーツ安全保険もダイビングよりもゼロが一つ多い。かたわら、父母会も熱心である。篠竹さん時代、父母会は、篠竹さんの後援会の様相だった。父母会をまとめるのも、監督の役割であろう。怪我した場合、お母さんを納得させなければ、ならない。怪我は日常で、専属の整形外科のドクターが、ベンチに入っている。今、どのようになっているか知らないが、昔より危険についてルーズになっているとは思えない。母親を納得させなければ、危険なスポーツは成立しないのだ。 これでは、ほとんどのチームが、今後、日大をボイコットするだろう。  日大の監督は、監督の指示と選手の受け止め方の乖離だと言っていると報道されているが、その乖離を無くすことこそが監督の役割なのだ。内田監督は、僕が篠竹さんとおつきあいがあった時代のコーチの中に居た記憶がない。50年前だ。なにぶんにも時間が経ちすぎているけれど。しかし、日大の役員になっている。立派な人なのだろう。どうしたのだろう。不運?勘違い?私見では勘違い、やっていいことの瀬戸際の勘違いだろう。なんでもあり、と錯覚しやすいスポーツではある。  ビデオで見ると、反則で戻ってきた選手をコーチ陣がとがめていない。下手くそな、見え見えの反則をとがめていない。認めている。そんな空気だった。為に、この選手は、反則を繰り返す。  そう、僕は、空気のことを言いたかったのだ。チームの空気、空気こそが監督の責任なのだ。  コンタクトスポーツで、もう一つ大事なのは、相手をリスペクトすること。武士道だ。篠竹さん時代の関西学院の監督は武田健という人、学生時代は名QBで、心理学の専攻、留学してコーチ学を修め、いくつかの良い本を書いている。一冊は僕の愛読書で、ダイビングのコーチングの参考にした。探せばあるかも。※探したらあった。「リーダーシップの条件 武田健 大和書房 1981」もう一度読んでもいい。書いていることは、篠竹さんのコーチングとは正反対に見える。僕はどちらかと言えば、武田型のコーチだった。凡人は武田型がいい。篠竹さんは天才だった。 武田さんと篠竹さんとは、外見的にも気質も正反対に見えた。その関西に敵なしの武田監督が、どうやっても篠竹さんのショットガンを破れなかったのだ。篠竹さんと武田監督は、お互いに尊敬しあっていることは、はっきりわかるように行動していた。「あの人のまねはできない」と。しかし、今、こうなってみると、篠竹対武田のコーチングの違いがやはり、尾を引いているように見える。日大は篠竹型でないと、関西学院には勝てなかった。勝つために無理が生じた。そして、内田監督と島内監督、互いのリスペクトはなかったのだろうか。結果的には無かった。あるとは見えない。※、事件の13日後の今日謝罪したが、関西学院のことをカンサイガクインと言ったとか、また問題にされていた。  結果論だが、チームの空気を作ることができなかったこと、長い間好敵手として定期戦を戦ってきた相手をリスペクトできなかったこと。日大のアメフトは、残念ながらこれで、一区切りだろう。再建に20年はかかるだろう。再建しても、関西学院に勝てるようになるかどうか?  この出来事から、我が身を振り返る、自分のダイビングを見る、事故は空気から起こる。  自分の会社の死亡事故、脇水君の事故、自分は現場には居なかった。原因は不明、しかし、事故が起こる空気はあった。自分たちはサーカスだ、という思い上がり、その空気の中で事故は起こった。その空気は、監督である社長である僕の責任である。 この事故を生涯背負わなければいけないと考えた。内田監督も背負わなければならないだろう。僕は背負って、歳を重ねた。 僕が「ニッポン潜水グラフィテイ」をだした記念会で脇水のお父さんがあいさつしてくれた。先頃、サカナくんとの番組、別に知らせなかったのに、脇水のお父さんが見ていてくれて、便りをくれた。僕の応援を続けてくれている。  学生のダイビング、アメフトよりはスポーツ安全保険の保険金額は少ないものの、危険なスポーツと認識しなければならない。 2003年頃、東京水産大学潜水部の何人かを全日本潜水連盟のインストラクターにするべく直接にコンタクトした。僕が全日本潜水連盟の理事長の時代だ。彼等には、問題は無く、良かったのだが、彼等を通して見た学連のダイビングの空気に心配を感じた。そして学連には加入していないサークルだったが、大瀬崎で事故を起こした。その事故に関わった「はごろも」のオーナーが、空気が悪いという。 合宿とか活動が、飲み会に見えた。そして、大人、監督やコーチがしっかりしているところと、皆無のところがあった。ちなみに、学連には大人は加わっていない。大人、監督、コーチの居ないところは空気のコントロールができない。大人とは、何かトラブルがあったとき、ダイビングの場合は死亡だが、あの人がバックアップしていたのだから、避けがたい事故だったのだろう、と思われる人のことだ。単に成人しているということではない。 空気のコントロールがなく、大人の指導者がない。それが、2003年の関東学生潜水連盟だった。 2003年、僕は東京医科歯科大学の真野先生、順天堂大学の河合先生にお願いし、関東学生潜水連盟の学生を集めてSAIという計画を始めた。SAI、スチューデント・アシスタント・インストラクターという意味だ。最上級性を教育して指導ができるようにしようと考えたものだった。 これは、まだまだ、資格にこだわっていた、僕のミステーク、アシスタントインストラクターという資格をどうするかが問題で、結局資格は作らずに講演会だけを連続した。真野先生、河合先生がバックアップしてくれる大人であったのだ。 その学生とのつきあいの中で、学連の17大学の中で、監督、コーチが明確に決まっている倶楽部と決まっていない倶楽部があることを知った。そして、その両者に付き合い、交流がないことも知った。 2010年にJAUSをつくり、そのシンポジウムの中で、学生連盟の各大学の監督・コーチに講演してもらうことを始めた。そして、学生連盟の監督コーチのいる大学といない大学をセフティについては、同じテーブルに付かせたい。そう思っているうちに2013年、SAIが消滅した。学生の自主的な開催にまかせていたのだが、その年度の学生がSAIをやめて、あるショップの機材のデモ会に換えてしまい。真野先生の話のかわりに、ベテランインストラクターの講演に換えてしまったのだ。つまり、大人のかかわりを否定して、業界を採ったのだ。学識経験者、大人のバックアップの意味がわからなかったのだ。学連には、安全対策主将会議というのがあり、これで十分だと思ったのだろう。危機管理の発想はわからなかった。それは、無理からぬことで、学生との付き合いの常である、2003年から、2013年まで、10年やったから良いだろう、と諦めてしまうことが、僕の悪いところだ。 2014年のJAUSのシンポジュウム報告書で、SAIで残してきたことの要約、どんな練習をしているのか、そのプログラムなどを各大学の主将クラスに書いてもらい、その時点でのアンケートデーターも集めた。常々、ローカルルールの重要性を説いているが、これが、学生倶楽部の現状報告、ローカルルール集になるだろうと。これが僕にできる最後のメッセージのつもりだった。 残念なことに、この報告書2014年版は、関東学生潜水連盟の各大学には、活用してもらえていない。無視はされないまでも、学生には継続はない。これを書いてくれた年度が卒業してしまえば、それで消える。各自、自分の大学のスタイルとテキストがあり、それを横並びの他大学のそれと比べて考えようと言う気持ちはなかったのだろう。 それは、それで、仕方がないとあきらめ、2016年のシンポジウムで、これまでJAUSのシンポジュウムで講演をしていただいた各、コーチ、監督に集まってもらってフォーラム形式の意見交換を行い、この続きで監督コーチの集いという形ができたが、監督、コーチのいない大学、あるいは、監督が居ても監督どうしの個人的つきあいのない大学のコーチは出てこなかった。 そして、関東学生潜水連盟は50周年を迎える。僕は、これまでの努力と功績?を買われて、その報告書に大きなスペースで書かせてもらうことができた。せっかくだから、部数が余ったらいただきたいと申し入れたが、それはそのままになっている。 監督、コーチの集いは、何回か続き、よい形のワークショップになったと思っていたが、今は、砂漠に水が吸い込まれるように消えている。  自分としては、関東学生潜水連盟をまとめることはできなかったが、いくつかの大学とより親しいおつきあいができるようになり、それぞれ、個々との対応で良い空気ができるようにお手伝いしてゆくが、これを一つの形にまとめようとすることは、無理、である。  さて、空気とは、具体的に考えると、反則(安全)に対するそのチームの基本的な考え方であり、ダイビングについては、やはりどこかで、大人でダイビングの恐ろしさがわかっている人が、見守ってくれていないと危ない。 今、母校の水産大学、今の海洋大学の空気が心配である。指導を任せている全日本潜水連盟の空気が悪くなっている。それが影響しないかと心配している。杞憂に終わればいい。 こう書いておけば、ブレーキになるかもしれない。

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