今の僕の撮影コンセプトは、報告書の、できるだけわかりやすい説明的な写真で、それでもなお、美しいと思えるような写真を撮りたい。
GW ツアーで、大西宅で、その僕の人工魚礁写真集「豊かな海」を出して、飾っておいてくれたり、ニコノスが飾ってあったりしたので、この写真集を撮った1997年ごろ、フィルム最後の時代の話で盛り上がった。そのころ、大西はうちの社員でいたし、GWツアーの中心の小久保(東大教授)は、僕のカメラ持ち(アシスタント)で沖縄などに連れて行った。僕の当時のダイビングは、かなり命がけに近かった。そのころ「危ないからやめよう」とは、「危ないから生きるのやめよう」と同じことだと思っていた。今でもそう思っているけれど、よく、東大の天文学者を連れて行ったものだと振り返るけど、今、はやりの言葉で言えば、絆だ。そんなことで、撮った写真の一枚、一枚を見て、潮に流されかけたこと、お金がなくて、タコスとハンバーグをちょっとしたごちそう、次郎長ずし、とか ステーキは大ごちそうであったことなど話しあった。
そのころの僕のカメラは、ニコノスⅤ型、レンズはUWニッコールの20mmワイド、これだけ、これですべてだ。水中での僕の目は20mmになっている。20mmの眼で見て、とにかく、少しでも被写体(主に魚)に接近する。水中撮影は、接近できるか、できないかが成否なのだ。あとは、フィルムでどんな色がでるか、青のグラディーションと、その中での魚(被写体)の色。
フィルムはフジのベルビアが中心で、現像はクリエイト東京 だった。ストロボはsea&seaのDUO シリーズ、(イノンはその後で愛用した)そのニコノスを2台持って行く。1台は自分で持ち、一台はアシスタントが持つ。
小久保博士と撮影した浮魚礁 知念沖
僕は「下手な鉄砲も、数打ちゃあたる」スタイルのカメラマンだったから、36枚二台、72枚は必ず撮る。
それで、小久保がそのアシスタントをした。一緒に来たのだ。ギャラは払っていないからアルバイトではない。沖縄、オーストラリアでのグレートホワイトなど、自費参加のアシスタントだ。今も昔も、自慢するわけではないが、お金はない。お金は一過性のものであり、江戸っ子は宵越しの金を持ってはいけない。お金ができれば、道具(カメラなど)を買ってしまう。今は宵越しの金もないから、カメラも買えない。自慢できることではないが。
「豊かな海」から、土肥 大藪魚礁
「豊かな海」から、鮫が集まって有名な伊戸の近く平砂浦
今、伊戸にも大きなハタが出ているけど
そこで、
「撮影」、と言ったとき、どんな撮影をなんのために、どんな風に(予算、態勢など)やるか、まず考えて、そして決めなければ、エンドレスにお金が出て行ってしまう。
それはそれとして、物欲、買い物欲は、楽しいもの、人によっては生き甲斐になるのだから、否定しない。僕だって、まだ、未来があったときには、先に書いたように、稼いだ金のほとんどは機材につぎ込んだ。
今は、元を取るまで生きられない。買った端から、大西博物館へ直行させるわけには行かない。
最後に作ったカメラ、ペンタックス6x4. 5ブローニーのレフ、大西行きにしようかと思っていたが、フィルムが復活しそう?ならば、もう一度夢を?
何でもそうなのだが、特にダイビング関係については、自分が何をしようとしているのか、明確に把握していて、その準備を整えることが、成功と、命を長らえる、つまり安全のために必須である。
探検と冒険との差、ちがいについて考えたことがある。探検には、必ず記録が伴う。記録の為の冒険が探検だろうか。その記録とは、撮影を意味する。1912年にか書かれたコナン・ドイルの「ロスト・ワールド」は、写真が失われてしまったために「失われた世界」になり、その存在が証明できなかった。今は「ジェラシック・パーク」になっているけど。今度、新作がでるので、見に行こう。
撮影が無くて、紀行文だけをかいているのは、文学であり、小説家として名が売れている人の紀行文は、僕の好きなジャンルだ。特に村上春樹の紀行文、滞在記は好きだ。その村上春樹でも、雑誌などに載せる記事としては、写真が必須なので、奥さんがスナップするか、カメラマンが別について行くということになる。実は僕はこの奥さんの写真が好きで、「風のなりゆき」という写真集を持っている。カメラは重くていやだけど、夫のために撮ってやろう、だから、どーでも良いけど、自分の感性だけで撮っているという姿勢が好きだ。その感性(なりゆき)が写真にでている。
探検には写真撮影が必須である、本物の失われた世界的生物は、ネッシーが有名だが、僕は、ニューギニアの怪獣「ミゴー」の探検を兄貴分の白井祥平が計画したので、乗ったが、その計画とは、どうやってその撮影をするかであった。
※結局これは某テレビ局がやって、当然、何にも居なかった。撮れなかった。居るかもしれないけど。
とにかく、探検も調査も撮影であるが、撮影調査の中で、非日常であり、冒険の要素が強いものが探検なのだ、と僕は考えている。逆に、調査とは日常的な撮影探検であるが、できることならば、危険は最小限度にとどめたいので、探検とは言い難いかもしれない。
僕のやっている撮影はこのようなものであり、それを科学的な要素、価値があるものにしていきたい。その対象として人工魚礁を選んだものが人工魚礁研究会である。
今、自分の目指しているプロジェクトは、人工魚礁とそしてお台場の撮影調査である。お台場は、どう頑張っても探検にはならないけど。
今回のGWツアーで、富戸の人工魚礁をボートダイビングに選んだのは、人工魚礁研究会の一端である。
実は、ここに、こんなに大きな、大がかりな人工魚礁があるということ、昨年まで知らなかった。知ったので、今年も行くし、来年も目標にしたい。
プロの撮影については先に述べたが、アマチュアの水中カメラマンの場合(好きな言葉ではないけどカメラ派ダイバー)、その目指すところ、目標だが、大きく分けて三つになる。
①コンテスト、展覧会などに出展する。
②家族、友人たちに見せられるような、記念撮影をする。SNSもその中にはいる。
③何か、科学、産業、の役に立てたい。
この③の延長線上で、僕たちの人工魚礁研究会がある。
さて、次にそのための機材、そして機材にかける費用だが、①については上限はない。②③については、支出は少なければ少ないほど良い。
ここで書いているカメラ、及びそれによる撮影手法の研究は、②③である。もちろん、①の人が②③に参加することは、望ましいことである。
使うカメラはコンデジ、Olympus TG-4、5、かNikonAW1300、そしてウエアラブルカメラである。
②③であっても、撮った写真は、人に見せるため、使うために撮る。フェイスブックなど、そして研究報告書、場合によっては書籍、印刷物に使う。ハイブリッド写真集もありだ。
まぐれ当たりで、展示会、コンテストなどに出品して、高位の評価をうけることもあるだろうが、基本的に、これは目指さない。このあたりは紙一重だとおもうのだが、アマチュアグループの展示会、あるいはコンテストであっても、高位を目指すならば、それを目指して、考え計画し、準備して撮るのでなければまぐれ当たりである。まぐれ当たりは、目指すものではない。
さて、そこで、今僕の目標は③であり、②との共通項があるから、一番広い範囲とも言える。
今の自分の機材ラインアップだが、Olympus TG-4、NikonAW1300 各一台(昔使ったキヤノンとか、リコーsea&seaは使える状態だがここでは除外)ライトはフィッシュアイのFX2500 イノンの750 2台、そして今回これから問題にするストロボ類
ウエアラブルカメラは、GOPRO2が2台、これは4台使っていたのだが、1台は流失、1台は死んでいる。SJ4000の新しい型が2台、古い(これは使わない)が2台、AKASO7000が1台。ウエアラブルカメラがやたらに多いのは調査のために設置して、失う可能性が高いからである。その割には失っていない。
※「秘境ニューギニアの旅」白井祥平著1977 三修社
アマゾンでありました。怪獣 ミゴーについて書かれた、唯一の文献です。