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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0423 ダイビング事故の歴史 11

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何時起こった事故だったのか、そして細かい記録、後になって後処理に関わったので、裁判の記録とか、持っていたのだけれど、どこかに、保管紛失した。 それで、詳しいことは書けない、方がいいのかもしれない。 海中開発技術協会では、専務理事の工藤さんが中心になって科学者のためのダイビング講習、並びに資格検定を計画していた。 講師陣は、海中開発技術協会の理事を中心としてもと日本潜水科学協会、そしてその周辺の人を集めれば、そうそうたるメンバー、日本で望めるすべてにちかいものになる。僕は海中開発技術協会の理事だったけど、詳細は知らなかった。そして、僕もそのメンバーには加えてもらっていなかった。
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 前の前の回、二冊を一冊にしたマニュアルを紹介した。僕はその編集制作者だが、声はかからなかった。いや、自分から何かさせてくださいと言えば、させてくれたかもしれないが、言わなかった。  その科学研究者のための講習、だったと思う。その講習の最初の実技で、一人死んでしまった。こういう時、普通は事故と言うが、僕は、事故と言うよりも、死んでしまったと言うのが正しいと思っている。強いて言えば、その死んだ人が、来たことが事故だったのだ。思えば海中開発技術協会の第一回目の実技講習、江東楽天地のプール講習で死んでしまったが、それと同じで、海だとはいえ、別に流れも波もない、いわゆる限定水域での第一回目の講習だ。何をするための潜水かわからないが、きっと潜ってみるだけのチェックダイビングのようなものだったのだろう。とにかく潜水して、死んでしまった。 1957年の江東楽天地の時は、責任を追及されることはなかったが、1984年だ。遺族が海中開発技術協会を訴えて来た。専務理事がその筆頭で訴えられた。なぜか会長、副会長は被告にはなっていない。 死んだのは、科学者でも学生でもなく、タクシーのドライバーだったと思う。サイエンスダイバーの講習になぜタクシードライバーが入って居たのかわからない。多分、資格を問わない、誰でもOKだったのだろう。訴えた遺族は、その人の妹だった。多分、奥さんは居なかったのだろう。  どう考えても、講習を企画した側、海中開発技術協会の責任があるとは思えない。事故の殆どは、運営者側が悪いとは思えないのだが、このときに受講資格は、たしか潜水士の資格を持っている事だったと思う。Cカードを持っていることと言う条件は無かった。まだ、1984年は、Cカードというものが、資格に相当するものかどうか、そこまでの市民権はえていなかった。JUDFの資格は認定証であり、Cカードではない。今では同じものだが、自分たちJUDFとしては、同じとは思っていなかった。 もちろん、JUDFの資格も持っていない。ダイビングが出来る人か出来ない人だったかもわからない。主催者に落ち度があるとすれば、その一点で、しかし、それはかなり致命的な落ち度だったと思う。  それから4年後 1988年だった。※記録が見えなくなっているので、時系列が違うかもしれないが1989年より前である。 昭和63年 1988年の役員を見ると、会長代行が佐藤賢竣さん   昭和59年 1984年の役員を見ると、大臣格の会長、園田直衆議院議員は消えている。この年の4月に没している。副会長の森川さん、専務理事が工藤さん、太田さんだ。 事故の関係で昭和60年 1985年には役員の改選はなく、その翌年の昭和61年、1986年には、有力議員の森美秀氏が会長を引き受けてくれているが、専務理事は、太田さん、工藤さんは消えて、今泉さん(ガス屋さん)北島さん(高校の先生)保坂さん(全日本潜水連盟の関係から理事になった)になっている。 その森美秀先生も1988年に没、会長代行が佐藤賢竣(旭式マスク式潜水)そして次の平成元年に河野洋平先生が会長になっている。 その河野さんが会長を引き受ける状況として、訴訟継続中では、引き受けてもらえないということになった。 僕に言わせれば、そんな会長などどうでも良いと思うのだが、それがダイバー根性でいけない。何かをするには、看板が必要なのだ。 河野洋平氏に会長を引き受けてもらうためには、事故、訴訟を解決しなければならない。 訴えられている専務理事の工藤さんは、責任など全くないとがんばっている。僕たちの時代のダイバーとしては、当然で、寝不足で深夜走ってきたタクシードライバーが死んで、なぜ主催者が責任をとらなければならないのか、である。もう一人の専務理事太田さんは、保険にも入っていない、ノーガードだったことは、管理者である専務理事の責任である、たしか、そんなお考えで、自分なりの責任はとると言っていた、はず。 僕と、全日本潜水連盟の専務理事であった渡辺信宏、それとマーブ赤沢の平林の三人が、この事故処理に当たった。なぜ、平林なのかというと、マーブ赤沢の当時の金主、上島健司氏に事故処理のお金を出してもらおうという計画だった。このあたりの空中戦 策謀はおもしろいけれど、ここには書かない。とにかく、須賀、渡辺、平林の3人で解決にあたることになり、裁判所にも何回か行った。 結局、工藤さんが折れて、示談金を工藤さん、太田さん、上島さんで出していただいて、解決する。 このことでわかった、自分として肝に銘じたのは、ただやってきて死んだだけ、その人を跳ねなかった、水に入れた責任だけで1000万近い示談金を取られるということだ。 プロデュースと座学の講習だけを工藤専務理事がやって、実技は全日本潜水連盟に丸投げすれば、良かった。しかし、それは工藤さんのダイバーとしての矜持が許さなかったのだろう。工藤さんはこのような、死にさえすれば、縁者が訴えて、かなり満足できる賠償金を保険会社から受け取れる、非論理的なダイビング指導から足を洗って、アクリルハウジングのDIVを作って成功された。賢明だったと思う。 

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