その雑多、雑文、エッセイというのだろうか、では村上春樹が好きだ。彼の小説の方は、ノルウエーの森、以来しんどくなって読まない。小説、といって読むのは、チャンバラかファンタジーで、これはもう上村菜穂子のフアンだ。なお、好きとか、フアンだとか言うのは、2回以上同じものを読むということを意味する。
村上春樹にもどって、ああ、この人のこと前にも書いたな、と気づいて、まあいいか、いいだろう。
「やがて哀しき外国語」たぶん二度目、を読み終えたタイミングで、本屋で「ラオスになにがあるのですか」たぶん、そんな題、を見て、買いたいとレジに歩きかけた、のだけど、108円になるのを待とうと止めた。やっぱり今、買うだろうなと思いながら戻ってきて、本棚を探して、「シドニー」を取り出した。2000年のシドニーオリンピックの話だ。読みはじめた。スポーツについて、オリンピックについて、書かれたものの中で、好きな一冊だ。400mを走るキャシー・フリーマンのところまで読んだ。これが、この本のクライマックス。そして、いいなと、本を閉じた。いつでも、どこでも、本を閉じられる。夢中になって読まなくても良い。
僕はキャシーフリーマンのこと、テレビで見た覚えがない。そのことは残念だ。キャシー・フリーマンは、アポリジニで、女子400mを走る。民族の誇りを懸けて、金メダルをとると決意して走る。終盤の爆発的なダッシュ、トップでゴールインして、そのまま靴を脱ぎ、うずくまってしまう。やがて我をとりもどして、オーストラリア国旗とアポリジニの旗を持って、グラウンドを走る。表彰台で彼女がオーストラリア国家を泣きながら歌ったとき、オーストラリア人もみな泣いた。そのことを、村上春樹は書いていて、彼の感動が伝わってくる。 今の僕にとって、いつでも閉じて、また開いて、適当なところでまたやめられるという本がいい。また、自分の仕事の企画書書きに戻っていかれる。
魚礁調査について、企画書を書いている。
企画書に行き詰まったら、また、戻ってこよう。
それにしても、「シドニー」は、鮫にサーファーが食われる話が度々出てくる。オーストラリアは、鮫と毒蛇の国なのだ。それは、僕についても同じで、鮫を追って南オーストラリアのポートリンカンに行った。鮫の事になると僕もいろいろある。だから、鮫の話はやめよう。
そして、この本はオリンピックの巨大化に疑問をなげかかている。オリンピックは、すべてギリシャでやれば良い。日本の高校野球だって甲子園だけでやっている。甲子園が決まり、聖地なのだ。 さて、東京オリンピックだけど、僕としては、近くに大きなプールが増えることは良い事なのだが、どうだろう。 昔のオリンピックの時、東亞潜水機に勤めていて、南千住にあったプロ野球スタジアム、スタジアムの名前も、ホームにしていた球団も忘れたけど、そのスタジアムで、なんだかこれも忘れた球技をやった。村上春樹の「シドニー」でも書いていたが、オリンピックでなければ人々が見ない競技というのがある。それだった。そんな競技でも、並んでチケットを買った。そして、それを見なかった。だから忘れたのだけど、舘石さんに強引にさそわれて、南伊豆の入間に潜りに行ってしまった。やっぱり、南千住のオリンピックに行けば良かった。かな。 今度のオリンピック、85歳になる。生きているだろうか。ぎりぎりだろうな。
さて、オリンピックを離れて。
人工魚礁の企画を書いている。
営々と日本の海全体に人工魚礁を沈めて、皮肉なことに人工魚礁の数に反比例して、漁が減って行った。人工魚礁で漁をする漁師が減ってしまったためなのか、それとも本当に魚が減ったのか、わからない。もし、1990年代に僕たちがこれからやろうとするようなフォーマットの調査が出来てあれば、そのことがわかる。一か所、例えば波佐間付近で魚の量の増減と、種類数の増減がきっちりわかれば、それは、東京湾での魚の増減、全国数か所で、増減を記録できれば、日本の魚の増減、と相関があると思っている。20年後のことを目指して、今からその調査を始める企画だ。 東京の次のオリンピックに、僕は生きていないだろうけれど。
そういうことどもを、いい文章で書けたら良いな、と今僕は思っている。
最後は立松和平風の言い回しになってしまった。立松和平のこと知らない人が殆どだろう。1980年代、ニュースステーションで日本の海をぐるっと、一緒に旅をした作家で、今はもう居ない。
こんな文を書いたとき、いつも立松さんの言葉で締めくくる。
「途があるならば、途の尽きるところまで行くのが旅の心だ。」
実は立松さんがこのように書いたのか、どこに書いたのか記憶にない。ニュースステーションのナレーションだったのかもしれない。だから、途なのか道なのか定かでない。途と道、ずいぶん違うと思うんだけれど。これは、村上春樹風かな。