演題は三つで、統一的なテーマとしては、リスクマネージメントであったらしい。
①は、亀田病院の鈴木先生の再圧治療についての話で、「潜水のリスクマネージメント」良く整理されたPPのレジュメも配布されていて、減圧症にならないための結論、もしなった場合の処置、すなわちマネージメントについてのテキストとして、使える講演だった。
②吉田章先生の話と③海保の救難課の話は、レジュメの配布が無く、主催者の怠慢であったが、予想していた事でもあり、スクリーンを撮影しやすいところに座をとって、スマホで記録した。後になってみると、印刷されたレジュメは書写しなくてはならないので、何もないのも、まあいいか、なのだが。
②③は、別に知識として加えられるものは何もないが、それだけに、自分の問題として、考え込んだ。それは、自分にとって、そして、潜水業界にとっても、社会にとっても最も深刻な高齢化の問題である。
高齢者がダイバー人口に占める割合は2ー3割であるが、事故者の割合は7割を占める。
だれでも考える解決策は健康診断である。しかし、これは高齢者個人、自分の行動の為の情報であり、判断は自分で下さなくてはならない。高齢は、それだけですでに病気であるから、健康診断の結果は、その病状である。
社会にとっても、高齢者自身にとっても、わかりやすく完全な事故回避手段は、やめること、ダイビングは人間にとって必須なことではないので、65歳になったら、やめることだろう。しかし、個人にとって、その人がダイバーであれば、そのことは事実上の死を意味する。寝たきり老人、しか残された道はない。
多くの人にとって、生きるということは、前を向いてチャレンジすることである。ダイバー、潜水人にとって潜水は止めるわけにはいかない。もちろん、人さまざまであり、これは単に僕の生き方であって、潜水業であっても、親方はダイバーではないので、やめられるが。
やめるわかにはいかない。そういう人たちの最先端に自分はいる。では、どうすればいい。日夜考える。
吉田章先生の挙げた箇条のなかに自己責任があった。自己責任といっても多様である。自分の生死に自分が責任を持たなくてはいけないのは、ダイバーとして当然の常識であり、それを他にもとめる、自分の生死を商品として求めるところに、あるいは商品として売ろうとするところにダイビングの危険があるのだが。
これは、高齢者に限らず、自己責任で生きるダイバーとして、潜水が遊びだった場合の常識だ。(仕事だった場合は別)事故の歴史について別に書いているが、1960年代は、そうだった。高齢化時代を迎えて、もう一度その昔の責任のあり方を考えなくてはいけない。「良き昔」であるならば、呼び戻すことを考えなくては、
自分のダイビングがそういう道を切り開くものでありたいと考える。後7年がんばれば90になる。
先日、主治医の先生に「80歳80m潜水はあきらめましたか」と聞かれた。「あきらめては居ません」と答えた。「90歳90m」と誰かが、言っていたので、そう言おうかと思ったが、「無理だろうな」と思う自分がいる。「無理」つまり、その間に死んでしまうということなのだが、
タンクを背負って立ち上がることができなくなったらスクーバはあきらめる?スキンダイビングだけにする。
80m潜水のハイブリッドは、タンクは背負わずに、ホースで潜るシステムなのだが。