2月28日、: 27日に辰巳のプールがあったので、一日おいて、28日、これで潜ることができれば、さかなクンの番組の撮影はめでたく終わる。 ということで、27日、これさえなければ一泊二日ですむのに、二往復三日にしたのに、来てくれた人は5人、あとから飛び入りがあったので7人だけ、寒かったし疲れていたのでちょっと泳いでジャグジーに入って終わりにしようかと思ったのだが、それでも、一応の練習をしてしまった。 で、朝起きて調子がよかったのだが、山本さんの車に乗ったとたんに眠くなり、あっというまに館山に着いてしっまった。 今日は、人工魚礁の潜水のまえに、荒川さんが神主の衣装を着て、高根神社に参るというシーンがあったために、遅い到着でもよかったのだが、早くついてしまった。その上に、千葉大学のグループを間にいれてしまっているとのことで、潜るのは11時30分ごろになるということ。でも、のんびりするのは嫌ではない。 海はべた凪の予定だったが、そうでもなく、少し波がある。しかし問題になるほどのことでもなかった。 潜水の前に、僕のインタビューの撮影がある。一昨日もインタビューを撮ったのだが、頭の中の準備がなく、それも潜ったあと、まだ頭が正常にもどっていないうちでのインタビューだったので、どうしようもない出来で、撮り直しを、僕のほうからも求めたものだった。 そこで、考えたのだが、考えたコメントは、これは長すぎる。長すぎるけど、切ってもらったかまわない。 ここに書くのも長すぎて疲れるのだが、人工魚礁とは、いったい何?ということを知ってもらいたいので、概略を書くことにする。 魚、いや、魚だけでなく生き物は、理由もなくどこにでも居るものではない。これが基本である。隠れ場所、これは人間で言えば家、住処である。餌、食べ物のあるところ。餌も動物であれば、何かに隠れ付いていることが多いから、これは、住処と一致する。 原始時代から、魚を採って食べていた人は、魚の居るところを知って漁をした。石の陰、石のあるところに魚がいる。石を置けば魚が集まる。採るのに都合の良いところに石を置く。一個だけのこともあるだろうし、山と積み上げることもある。これを投石と呼んだ。江戸時代になると、これを組織的にやる例が出てきた。 以後、投石が魚や、エビをあつめる主要な手段となったが、昭和になり、投石の代わりに、土管を入れれば、隙間ができ、容積が大きくなり複雑になる。複雑であった方が、魚の居場所が増える。部屋数が多い方が良いのだ。やがて、土管の横腹に穴をあけたり、立方体をコンクリートで作って、沈めたりすることも始めた。これが人工魚礁である。 そして第二次世界大戦、戦後、食糧難、食料である魚を増やすことが急務である。魚を増やすための手段のその一は、卵から稚魚を孵して放流して保護する。しかし、これができるのはほんの一部の魚である。他の、大多数の魚について、人間ができることは、人工魚礁と投石より他にない。 投石が良いのか人工魚礁が良いのか、費用対比効果が論じられた。人工魚礁の効果を調べる。潜水して調べる。見てくる。確認してくる。1958年頃それはスクーバの役割になった。僕が大学を卒業する頃であり、僕が潜水してする仕事、ライフワークの一つになった。 1970年代、沿岸漁業整備開発法という法ができて、人工魚礁の設置が加速された。全国津々浦々、日本列島の海で、天然の礁、磯がないところは人工魚礁で埋め尽くそう。海の万里の長城的プロジェクトである。 ここから、波左間を例にとって話を進めよう。内房、館山周辺は良い漁場だが、元来岩礁地帯が少ないい。波左間にも高根と呼ばれる良い自然礁があるが、その規模は小さい。1981年、水深10ー15m地帯に80cm角の人工魚礁ブロック192個が投石のように入れられた。乱積みである。これは、僕の好きな魚礁で、魚もイセエビも多く、水深が浅いので、のんびりできる。今度、3月23日にはここに行こうと思っている。 続いて、1983年、80センチ角のやや沖に車の廃タイヤを束ねたタイヤ礁が入れられた。車の時代である。タイヤは腐らない。錆びない。半恒久的である。魚礁として処分できれば一興両得である。幸いにして、と僕は思う。タイヤの何か成分がほんのわずかだが海を汚染する。ということで、日本全国の海がタイヤで埋め尽くされることがなくなった。良かった。 タイヤ礁が続いたならば、1998年に設置された今回の番組のターゲットであるドリーム魚礁も産まれなかった。 ドリームは2m角のコンクリートブロック165個を熟達した作業ダイバーでもある波左間海中公園の主である荒川さんが、枕設作業の誘導をして6列3段にきっちり積み上げたものである。 適当に水面から落下させた乱積みと、ダイバーが誘導してきっちり積み上げたものとどちらが良いなどと考える。魚にとってどちらが良いか?、魚がどちらでも良いというならば、手間のかからない乱積みの方が良いに決まっている。だから、立方体のコンクリートブロックのほとんどが乱積みであり、整然と3段に積まれているのは、ここで見るだけと言って良い。 人間、ダイバーにとっては、整然と積まれている方が断然良い。奥まで入って行かれる。奥には美しいソフトコーラル(うみとさかなど)が生えていて、竜宮城である。だから、ドリーム。 岸から沖に向かうに従って、コンクリート立方体の形が大きくなっていく、まず。0、8、そして、ここではドリームの2m角だが、他所では、1。5m角というのが角型魚礁の主流であった。整然と積み上げるのが面倒ならば、一個を大きくしてしまえば良い。3m角、6m角、やがて8m角というのが出てくる。大きくなると壊れやすくなるので、芯に支柱がX字型に入っている。これは、ある魚礁メーカーの特許になっていて、FP魚礁と呼ばれている。 波左間では、2011年に3m角20個がドリームの隣、6m角10個がその少し沖に、これは2009年に入っている。FP魚礁である。 これらのコンクリートブロックは岸から沖へだんだん大きさを成長させていったのだが、これとは別に、2008年、やや沖に離れた水深45mのところに高さ15mの鋼製のタワーのような魚礁、同時に水深35mのところに高さ12mの同じく鋼製のタワー、が入れられた。2009年に高さ9mの鋼製の大きな魚礁が水深35mに入った。これがC魚礁と呼ばれていて、今回、28日に潜る目標の魚礁である。その翌年2010年に高さ6mがやや岸に寄った水深30mに入っている。
これら一連の鋼製魚礁は、コンクリートが岸から沖へと進んで行ったのとは逆に、沖から岸へと年を追って枕設されている。これは、沖を通り過ぎようとする回遊魚、ブリ、カンパチ、ヒラマサなどを定置網に誘導しようとするランドマーク、ステーションの役割を果たさせようとしたものである。この効果は確かにあると漁協では、言っている。 深さが深くなると魚礁も高くならないと魚を集める効果が少ないという考えがあるのだが、高くするとコンクリートを積み上げるのでは、費用の点で無理である。そこで鋼製になったものだ。 これら誘導を目的とする魚礁は、定置網の延長線上で半ば漁具として位置づけられている。 魚礁の役割は大別して、魚を増やそうとする増殖型と、この漁具型に分かれる。ここ波左間ではコンクリートは増殖型、鋼製は漁具型と考えて良い。そんなにはっきりと効果が区別できるものでもないが、コンセプトとして分けて考えてられている。 波左間はこのようにすべての型の魚礁が見られる。人工魚礁の展示場といってもいい。人工魚礁の研究は人工魚礁の歴史でもあり、今の研究の関心は、遙か沖合に設置される超大型の魚礁に移ってしまっているが、魚礁の研究をするには絶好の場所である。 これを全部このようにコメントしたわけではないが、だいたい、こんなようなことをしゃべった。 さて、だいぶ道草をしたが、☆★☆ 潜るところは、大きな鋼製の魚礁、高さ9mの魚礁Cだが、潜ってみると9mどころではない、もっと巨大に見える。 フルフェースマスクで、オーバーウエイトだが、オーバーは覚悟の上だ。潜り込めなかったら、収拾がつかない。オーバーは何とかなる。 潜る寸前、フルフェースマスクをつけるとき、顎のバックルが壊れてしまった。バックルの予備を持っていない。一度、岸まで船をもどしてバックルを変えた。これを経験を積むという。 潜るとき、いつでも恐怖心がある。怖いのだ。怖くても躊躇することはない。常に突撃なのだが、怖い。遠い昔の若い頃、恐怖心とは、どんなものなのか知らなかった。つまり、なにも考えていないということになる。幸せだったが、そんな状態の時に人は死ぬ。幾つかの危機一髪を助かって生き残ったことを幸運という。恐怖心を感じ、それを大事に思うようになったのは、50代からだろうか、以来、常に怖い。 頭から飛び込んで、すぐに潜降ロープを掴む。荒川さんが、ロープを近くしてくれたので助かる。ロープがあるから墜落はしないが、ロープを掴んでも、体が安定していない感覚がある。筋肉と平衡感覚が衰えているのだ。加齢のためだ。下手なのではない。と負け惜しみを言う。 深さ30m、高さ、見た目で12m以上あると思うのだが、9mの鋼製の魚礁だ。魚礁の上で、しゃべるコメントを考えていたので、それをしゃべったつもりだが、どうだろう。はっきりとした記憶がない。
魚礁の一番下まで行って、井田さんのカメラに写る。さかなクンは、NHKの決まりで、出演するタレントは、水深20mまでとか、上の方にいる。ツーショットを撮らなければいけない。体の自由がきかないオーバーウエイトの身で、さかなクンを追う。魚礁の中をくぐり抜けて、井田カメラが良いポジションに来たのだが、さかなクンはカメラに気づいていない。足を引っ張って止めた。止めると直ちに写されるポーズになる。これはたいしたものだ。
もう一回、魚礁の上面で、彼が何かをGOPROで撮っていたので、このまま引き留めてカメラを待ち、これも絵としては決まったと思う。そんなこんなで、自分のコメントがない。さかなクンへの呼びかけだけだ。まあ、仕方がないだろう。残圧が80になった。深いので減圧停止は必須と考えて、浮上にかかる。 浮上も恐ろしいのだ。波がさほどにないので何とか自力で立ち姿勢で船に上がれると良い。 フィンをはずしてもらって上がろうとすると、膝が伸びない。重くて立てないのだ。8キロのウエイトベルトをはずしてもらって、梯子を登り、支えてもらって舟に乗った。 昼食には、イカ刺しとカツ丼という、ミスマッチだが、おいしく食べた。さかなクンは撮影が終わったら、プロダクションだから、付け人、担当プロデューサー、自社の車でさっと帰る。また、いつかどこかで、(好きな言葉)