4期上の先輩から送っていただいた本の紹介です。大場先輩は、アワビ種苗生産の先駆者であり、定年退官してからは、ヘルメット式潜水漁業史の本を3冊書いておられます。
大場 先輩 「房総のカジメとアワビで成った財閥 (森家と安西家):崙書房」送りいただきありがとうございました。 おもしろくて、一気に読んでしまいました。 半地元で、自分の知っていることと、混ざり合って、そこに、ああそうだったのかという新しい知見も重なります。 海藻を焼いてヨードをとると言うことは知っていましたが、詳細は知りませんでした。そこに、葉山の海から海藻を焼いて誕生する鈴木家から、味の素が生まれる。田辺製薬も、シオノギも海藻を焼いて誕生する。 海藻を焼いてヨードをとることから、アルミニウムへ飛んでいく。 しばらく、乙浜の調査もしていましたので、乙浜は、今でもカジメが豊かに見えますが、昔も乙浜はカジメが豊かだったのですね。刈っても刈っても、無尽蔵に生えてくるのだろうか、そして、アワビについては、漁業権の売買、最後に器械根に稚貝放流に行ったのは、もう20年の昔になりますが、まだ、資源はもどらないのでしょうか。 自分としては、最新ダイビング用語事典に続いて、「ダイビングの歴史」を書き始めています。年表を確立して、その年表にコラムをはめ込む。それとは別にまとまった小史をいくつか添える。今、小史 スクーバ事故小史を進めていますが、次には、沿岸漁業とスクーバダイビングのかかわり合いの歴史、これは、「海はだれのもの」という摩擦からはじまり、小さな舟での漁の減衰に反比例してレジャーが頭をもたげてくる。水産の中にいやでもレジャーを取り込まなければならなくなっているのに、身動きができない官の縄張り問題。そして、なるようになっていく。それで良いのですが。房総のアワビ潜水漁業も腕の良い海女がみんな80歳を越したとき、ITQでスクーバでとるようになり、資源管理、種苗放流もその流れで新しい漁師が、自分の区画に、自分たちでやる。それが、1970年代に僕たちが夢見た海の畑の図式になるのではないかと思ったり、でも、決して日本ではそうならないでしょう?、オーストラリアでは、もう昔からそのスタイルで、スクーターに乗ったフーカーダイバーが、決められた量を自分の好きな時に獲って、一人、数千万の水揚げをしているのに、と思ったりします。でも、安西家の管理は、そのITQに近かったのでは。だから財を成すことができたのでしょう。 ヘルメット式の漁業は、コラムの部分の参考は、全部、先輩の著作からの引用になりますので、何時のことになるのかまだ見えないのですが、監修をお願いするか、書いていただいた方が手間はかからないと思ったりします。何時になるかわからないと言いつつも、自分に残された時間はわずかです。 日本水中科学協会のシンポジュウムで2017年は撮影ハウジングの小史を、2016年にはマスク式潜水式の小史をやりましたので送らせていただきます。下書きのつもりですが、マスク式潜水はおもしろいので、膨らんでしまいそうです。 館山の波左間にはよく行きますが、ガチガチの余裕のない日常で、お目にかかる時間はありそうもないので、DM便になります。 ご自愛くださいなどと、自分を振り返ると言えないので、死ぬまで走り続けることを願います。 須賀次郎
大場 先輩 「房総のカジメとアワビで成った財閥 (森家と安西家):崙書房」送りいただきありがとうございました。 おもしろくて、一気に読んでしまいました。 半地元で、自分の知っていることと、混ざり合って、そこに、ああそうだったのかという新しい知見も重なります。 海藻を焼いてヨードをとると言うことは知っていましたが、詳細は知りませんでした。そこに、葉山の海から海藻を焼いて誕生する鈴木家から、味の素が生まれる。田辺製薬も、シオノギも海藻を焼いて誕生する。 海藻を焼いてヨードをとることから、アルミニウムへ飛んでいく。 しばらく、乙浜の調査もしていましたので、乙浜は、今でもカジメが豊かに見えますが、昔も乙浜はカジメが豊かだったのですね。刈っても刈っても、無尽蔵に生えてくるのだろうか、そして、アワビについては、漁業権の売買、最後に器械根に稚貝放流に行ったのは、もう20年の昔になりますが、まだ、資源はもどらないのでしょうか。 自分としては、最新ダイビング用語事典に続いて、「ダイビングの歴史」を書き始めています。年表を確立して、その年表にコラムをはめ込む。それとは別にまとまった小史をいくつか添える。今、小史 スクーバ事故小史を進めていますが、次には、沿岸漁業とスクーバダイビングのかかわり合いの歴史、これは、「海はだれのもの」という摩擦からはじまり、小さな舟での漁の減衰に反比例してレジャーが頭をもたげてくる。水産の中にいやでもレジャーを取り込まなければならなくなっているのに、身動きができない官の縄張り問題。そして、なるようになっていく。それで良いのですが。房総のアワビ潜水漁業も腕の良い海女がみんな80歳を越したとき、ITQでスクーバでとるようになり、資源管理、種苗放流もその流れで新しい漁師が、自分の区画に、自分たちでやる。それが、1970年代に僕たちが夢見た海の畑の図式になるのではないかと思ったり、でも、決して日本ではそうならないでしょう?、オーストラリアでは、もう昔からそのスタイルで、スクーターに乗ったフーカーダイバーが、決められた量を自分の好きな時に獲って、一人、数千万の水揚げをしているのに、と思ったりします。でも、安西家の管理は、そのITQに近かったのでは。だから財を成すことができたのでしょう。 ヘルメット式の漁業は、コラムの部分の参考は、全部、先輩の著作からの引用になりますので、何時のことになるのかまだ見えないのですが、監修をお願いするか、書いていただいた方が手間はかからないと思ったりします。何時になるかわからないと言いつつも、自分に残された時間はわずかです。 日本水中科学協会のシンポジュウムで2017年は撮影ハウジングの小史を、2016年にはマスク式潜水式の小史をやりましたので送らせていただきます。下書きのつもりですが、マスク式潜水はおもしろいので、膨らんでしまいそうです。 館山の波左間にはよく行きますが、ガチガチの余裕のない日常で、お目にかかる時間はありそうもないので、DM便になります。 ご自愛くださいなどと、自分を振り返ると言えないので、死ぬまで走り続けることを願います。 須賀次郎