8月7日分
甑島、平良港での潜水。
船長の浜田さん、一人だけでの繰船、漁師はたいてい一人で、すべてをやるが、一人で出来る限界の大きさで、12人は乗れる登録だ。
ダイバーとして上手だと、技術的に尊敬するのは、目下のところうちの(JAUSの)久保君だが、浜田さんはこれに並ぶ。もちろん、フリーダイバーとしては篠宮くんとか、ドルフィンダイビングでは、とかそれぞれ感心するダイバーは何人も居る。カメラマンは作品が勝負だし、好き好きだから、技術的な評価とは別の評価だが、一緒に泳いだ経験がある鍵井君には感心した。久保君に匹敵する。JAUSのメンバーとして、中川も、井上慎也も、杉森もそれぞれ感心する。
ダイビングの技術とは、ローカルルールの占める割合が大きい。ローカルルールを集めたブックがほしい。JAUSの仕事の一つだ。
そして、浜田さんだが、潜水しようとする位置に着くと大きなアンカーを投げ込む。アンカーロープは、水深の何倍とかの長さが必要だとか本にはかいてあるが、これは船の大きさとアンカーの重さとの比のもんだいでもある。浜田さんのアンカーは十分に重いから、60度ー80度、ほぼ真上に船をおくことが出来る。僕は、原則として、アンカーロープを潜降索としてはいけないと書いているし、潜水士テキストでも潜降索は別に降ろす。アンカーを潜降索にしたことによる事故もいくつかある。しかし、浜田さんのアンカーは潜降索に使って大丈夫な重さ、大きさがある。こんな大きいアンカーをレクリエーショナル・ダイビングで使えない理由は、ダイビングポイントの海底をぶち壊してしまうからだ。
アンカーロープは、ほぼ垂直
こんなアンカーを思い切りよくぶち込むのは、ローカルルールである。浜田さんの領域での方法である。この島でスクーバを使っての潜水漁の許可は浜田さん一人である。もっとも、浜田さんも、今ではあまり潜水漁には熱心では無いようだ。秋のカジキ漁とか、養殖の管理潜水の方がお金になるらしい。マグロ養殖で網が破れて、マグロが逃げれば大損害である。網が破れた、すぐに来てくれと言ったらすぐに行かなくてはいけない。
中尾先生は船酔いでダウン。船酔いの薬を決して飲もうとしない人だ。僕は、どんどん薬は飲んで、元気に潜水する。しかし、このくらいのうねりでは、薬なしでも酔わないけれど。
潜水は、僕たち3人と、浜田さんがつきあってくれる。僕は、昨日、BC.ポケットの、後ろに入れたウエイトで後ろに倒れ、見苦しかったので、BC.の前のウエイトケースにウエイト2キロを二つ、4キロを付けた。BC.にウエイトをつけるのは,好きではない。船の上でタンクを引き上げてくれる人の労働量が増える。忘れ物をしたため、ベルトが一本足りない。こういう時に体験しておこう。
高い船縁
落としたウエイト
船外機ボートとか、ゴムボートと違って、船が大きいので、船縁が高くサイドロールで飛び込むと爽快だ。久しぶりに、飛び込んだ水面で見下ろすと海底が見える。BC.の空気を抜いて、スムースに沈んで行く。ところが、そのとき、高い船縁から飛び込んだ衝撃で。BC.の前に付けていた4キロのウエイトがおちてしまっていた。別に欠陥ではなく、ロックのしかたがわからずに甘かっただけなのだが、とにかく落ちて、そのことに気づかなかったということは、3mmのウエットで、スチールの10リットルならば、僕は、ウエイトなしでも良いのではないか?。落ちたウエイトは、石川さんがひろって来て、とりつけてくれた。もちろん、その分重くなったので、空気をBC.に入れてバランスをとった。僕の体の全質量は4キロ増加したわけだ。
甑島の海岸は、岩壁である。海底地形も岩の切り立った地形で豪壮である。ラインの巻き尺は50mなので、透視度が20mもある時には、調査範囲としては短すぎる。いちおう50mのばして、その先へ行くか、その片側に進む、戻って来るときの目印である。
浜田さん
目印ライン
つきあって潜ってきてくれた浜田さんは、もちろんBC.のようなごちゃごちゃした抵抗のあるものは使わない。ハーネスですっきりしている。と知っている。ところがハーネスではなくて、ジャケットを着ている。ん!スタビジャケットを使うようになったのかとよく見ると、スタビでもBC.でもない。ジャケットのようなハーネスだ。ハーネスよりもぴったりしている。メーカーは、どこが作っているのだろう。あとでよく見せてもらおうと思っていて、忘れてしまった。これで自由自在に敏捷に動く。形もすっきりしている。僕の昔の潜水だ。水平姿勢だとか、ストリームラインだとか習いはじめてから、恰好がおかしくなった。最近、久保君が自分の娘にダイビングをおしえているが、きっと上手だろう。子供の時からやれば、たちまちできる。僕の娘はできない。大学生ならすぐにできるようになる。町田は上手だ。
浜田さんは、水中銃を持ってはいたが、魚は突かなかった。突いていない理由を聞くと、「アラが居ったけれど、岩の中に入ってしもた。」という。穴に入った魚を突くと、出すときに傷をつけてしまって価値がさがる。それよりもなによりも、今日は魚突き商売ではない。いいのが居て、銃がないために逃がすのは、ハンターの衿持がゆるさない。そして、格好をつけるために持っているのだろう。格好いい。浜田さんは、あっちの方向に行けと指差す。自分は反転して反対側に行ってしまった。ガイドならば自分についてこいというのだろうが、なんだろう。面白がって潜っているのだろう。食べられる貝を何種類もたくさん拾って来てくれた。そのために潜ったのか?
彼の持つ銃の構造をアップを撮ったのだが、遊びの映像だからとタブレットに取り込んで、バカ(僕が?)アンドロイドのおかげで消してしまった。昔、東亜潜水機で銃のデザインもしたことがある僕がみて、最高の銃だ。僕が魚突きをすることは、今後も絶対に無いが、もしも、やっていたとすれば、、、、使ってみたい。手作りの銃だから、すごい。ところで、石垣の素潜りウミンチューの河村さん(FBのともだち)はどんな銃をつかっているのだろう。そのうちに聞いてみよう。
突く魚はアラ、ハタの類である。ハタの種類は多く、それぞれに地方名がある。沖縄、八重山では覚えきれないほどの種類があるが、九州、このあたりでは、どれでもアラですましてしまうみたいだ。シンプルでいい。 浜田さんの漁は、潜水漁の多くがそうであるように、バディシステムとは縁がない。助けることもないし、助けられることもない。一人の船に一人の自分だから、死ぬときがくれば死ぬだけだ。さっぱりして気持ちが良い。
豪壮な地形だが、目指す海綿はあんまりなくて、上がった。問題は、高い船縁にどうやってよじあがるかだ。浜田さんの梯子は、もう一段足してくれれば足がかかるのだが、最低限度に切り詰めてある。それでも彼はこの梯子を使わずに船によじ登り、僕たちが登れないとせせら笑う。そのために短くしてあるのだろう。たぶん、彼は、船尾のどこかに、秘密の上がるところをつくってあるのだろう。
前に、梯子のないヨットから全員が飛び込んで上がれなくなったホラー映画があった。町田は、タンクもウエイトもあげてもらってのことだが、梯子を使わないで、懸垂で上がって見せた。浜田さんへの対抗心か?僕だって、片手が船縁にかかりさえすれば、上がれた時代があった。30年昔だ。
今の僕は、まず片足、左のフィンを脱ぐ。懸垂と右足のキックで、右膝を梯子の最下段に乗せる。フィンのない左足を上げて、最下段にかけて右足のフィンを持ち上げて船縁にかけて何とか上がった。実はこのとき、右足のフィンを学生が取ってくれたのだが、取らなくてもあがれる。
全員が上がると、浜田さんはラインホイラーでアンカーを巻き上げる。大きなアンカーも苦もなくあがり、ガタンと台座に収まる。この一連の動作がかっこいい。後は全速で突っ走る。
舟の使い方を含めて、そして水の中での動作も含めて、浜田さんの潜水が好きだ。ノスタルジーかもしれない。
念のために重ねて言っておくが、ダイビングの安全は、決して一人にしないことだが、潜水漁師とか、命知らずの研究者が一人になる。その結果、自分は死なないが、周囲が同じことをやると死ぬ。彼らは、自分が死ななければ良いのだ。学生を潜らせる世界ではない。
二回目の潜水は、中甑と平良を結ぶ橋のちかく、波静かな場所にアンカーを入れた。中尾先生も元気になり、みんなでお弁当を食べた。
海底は5m未満の造礁珊瑚で、遊覧船がスノーケリングにくるところだ。3年前にこの位置に近く、橋の向こう側に潜ったがオニヒトデの巣窟で、造礁珊瑚は食い尽くされていた。ここにも特大の立派なオニヒトデが1個体だけ居た。やがて、オニヒトデが増えて、造礁珊瑚はなくなるかも知れない。その頃は、向こう側の造礁サンゴが育っている?ここには、オニヒトデ退治とか珊瑚の移植などという発想は無い。ほっとけば、オニヒトデと珊瑚のサイクルがくりかえされるのだろう。全部のサンゴを食い尽くせばオニヒトデも飢え死にする。次に出てくるのは、オニヒトデが先か造礁サンゴが先か、鶏と卵ではない。餌が先だ。
もちろん、オニヒトデを殺して造礁珊瑚を守るサンゴレンジャーに反対はしない。映画になって、自然は人間が守らなければいけないという教えになった。箱庭的にサンゴを移植して、みんなで守り育てるのも良い。陸上にだって原生林もあれば、見事な植林もある。芸術的な庭園もある。庭園を維持するのはお金と時間がかかる。
ここでは結論はいわない。結論は無いのだ。
昔、衛星チャンネルという放送枠で、勝手に撮って、勝手にしゃべる番組を24本やらせてもらった。そのときプロデューサーに、須賀さんは話をまとめるからよくないといわれたことがある。見る人が考えることが一番、まとめてわかってもらうのは次善の策だ。もちろん、時と場合によるが、時と場合、言葉を換えるとバランス感覚、そんなことを真剣に考えた昔があった。
甑島、平良港での潜水。
船長の浜田さん、一人だけでの繰船、漁師はたいてい一人で、すべてをやるが、一人で出来る限界の大きさで、12人は乗れる登録だ。
ダイバーとして上手だと、技術的に尊敬するのは、目下のところうちの(JAUSの)久保君だが、浜田さんはこれに並ぶ。もちろん、フリーダイバーとしては篠宮くんとか、ドルフィンダイビングでは、とかそれぞれ感心するダイバーは何人も居る。カメラマンは作品が勝負だし、好き好きだから、技術的な評価とは別の評価だが、一緒に泳いだ経験がある鍵井君には感心した。久保君に匹敵する。JAUSのメンバーとして、中川も、井上慎也も、杉森もそれぞれ感心する。
ダイビングの技術とは、ローカルルールの占める割合が大きい。ローカルルールを集めたブックがほしい。JAUSの仕事の一つだ。
そして、浜田さんだが、潜水しようとする位置に着くと大きなアンカーを投げ込む。アンカーロープは、水深の何倍とかの長さが必要だとか本にはかいてあるが、これは船の大きさとアンカーの重さとの比のもんだいでもある。浜田さんのアンカーは十分に重いから、60度ー80度、ほぼ真上に船をおくことが出来る。僕は、原則として、アンカーロープを潜降索としてはいけないと書いているし、潜水士テキストでも潜降索は別に降ろす。アンカーを潜降索にしたことによる事故もいくつかある。しかし、浜田さんのアンカーは潜降索に使って大丈夫な重さ、大きさがある。こんな大きいアンカーをレクリエーショナル・ダイビングで使えない理由は、ダイビングポイントの海底をぶち壊してしまうからだ。
アンカーロープは、ほぼ垂直
こんなアンカーを思い切りよくぶち込むのは、ローカルルールである。浜田さんの領域での方法である。この島でスクーバを使っての潜水漁の許可は浜田さん一人である。もっとも、浜田さんも、今ではあまり潜水漁には熱心では無いようだ。秋のカジキ漁とか、養殖の管理潜水の方がお金になるらしい。マグロ養殖で網が破れて、マグロが逃げれば大損害である。網が破れた、すぐに来てくれと言ったらすぐに行かなくてはいけない。
中尾先生は船酔いでダウン。船酔いの薬を決して飲もうとしない人だ。僕は、どんどん薬は飲んで、元気に潜水する。しかし、このくらいのうねりでは、薬なしでも酔わないけれど。
潜水は、僕たち3人と、浜田さんがつきあってくれる。僕は、昨日、BC.ポケットの、後ろに入れたウエイトで後ろに倒れ、見苦しかったので、BC.の前のウエイトケースにウエイト2キロを二つ、4キロを付けた。BC.にウエイトをつけるのは,好きではない。船の上でタンクを引き上げてくれる人の労働量が増える。忘れ物をしたため、ベルトが一本足りない。こういう時に体験しておこう。
高い船縁
落としたウエイト
船外機ボートとか、ゴムボートと違って、船が大きいので、船縁が高くサイドロールで飛び込むと爽快だ。久しぶりに、飛び込んだ水面で見下ろすと海底が見える。BC.の空気を抜いて、スムースに沈んで行く。ところが、そのとき、高い船縁から飛び込んだ衝撃で。BC.の前に付けていた4キロのウエイトがおちてしまっていた。別に欠陥ではなく、ロックのしかたがわからずに甘かっただけなのだが、とにかく落ちて、そのことに気づかなかったということは、3mmのウエットで、スチールの10リットルならば、僕は、ウエイトなしでも良いのではないか?。落ちたウエイトは、石川さんがひろって来て、とりつけてくれた。もちろん、その分重くなったので、空気をBC.に入れてバランスをとった。僕の体の全質量は4キロ増加したわけだ。
甑島の海岸は、岩壁である。海底地形も岩の切り立った地形で豪壮である。ラインの巻き尺は50mなので、透視度が20mもある時には、調査範囲としては短すぎる。いちおう50mのばして、その先へ行くか、その片側に進む、戻って来るときの目印である。
浜田さん
目印ライン
つきあって潜ってきてくれた浜田さんは、もちろんBC.のようなごちゃごちゃした抵抗のあるものは使わない。ハーネスですっきりしている。と知っている。ところがハーネスではなくて、ジャケットを着ている。ん!スタビジャケットを使うようになったのかとよく見ると、スタビでもBC.でもない。ジャケットのようなハーネスだ。ハーネスよりもぴったりしている。メーカーは、どこが作っているのだろう。あとでよく見せてもらおうと思っていて、忘れてしまった。これで自由自在に敏捷に動く。形もすっきりしている。僕の昔の潜水だ。水平姿勢だとか、ストリームラインだとか習いはじめてから、恰好がおかしくなった。最近、久保君が自分の娘にダイビングをおしえているが、きっと上手だろう。子供の時からやれば、たちまちできる。僕の娘はできない。大学生ならすぐにできるようになる。町田は上手だ。
浜田さんは、水中銃を持ってはいたが、魚は突かなかった。突いていない理由を聞くと、「アラが居ったけれど、岩の中に入ってしもた。」という。穴に入った魚を突くと、出すときに傷をつけてしまって価値がさがる。それよりもなによりも、今日は魚突き商売ではない。いいのが居て、銃がないために逃がすのは、ハンターの衿持がゆるさない。そして、格好をつけるために持っているのだろう。格好いい。浜田さんは、あっちの方向に行けと指差す。自分は反転して反対側に行ってしまった。ガイドならば自分についてこいというのだろうが、なんだろう。面白がって潜っているのだろう。食べられる貝を何種類もたくさん拾って来てくれた。そのために潜ったのか?
彼の持つ銃の構造をアップを撮ったのだが、遊びの映像だからとタブレットに取り込んで、バカ(僕が?)アンドロイドのおかげで消してしまった。昔、東亜潜水機で銃のデザインもしたことがある僕がみて、最高の銃だ。僕が魚突きをすることは、今後も絶対に無いが、もしも、やっていたとすれば、、、、使ってみたい。手作りの銃だから、すごい。ところで、石垣の素潜りウミンチューの河村さん(FBのともだち)はどんな銃をつかっているのだろう。そのうちに聞いてみよう。
突く魚はアラ、ハタの類である。ハタの種類は多く、それぞれに地方名がある。沖縄、八重山では覚えきれないほどの種類があるが、九州、このあたりでは、どれでもアラですましてしまうみたいだ。シンプルでいい。 浜田さんの漁は、潜水漁の多くがそうであるように、バディシステムとは縁がない。助けることもないし、助けられることもない。一人の船に一人の自分だから、死ぬときがくれば死ぬだけだ。さっぱりして気持ちが良い。
豪壮な地形だが、目指す海綿はあんまりなくて、上がった。問題は、高い船縁にどうやってよじあがるかだ。浜田さんの梯子は、もう一段足してくれれば足がかかるのだが、最低限度に切り詰めてある。それでも彼はこの梯子を使わずに船によじ登り、僕たちが登れないとせせら笑う。そのために短くしてあるのだろう。たぶん、彼は、船尾のどこかに、秘密の上がるところをつくってあるのだろう。
前に、梯子のないヨットから全員が飛び込んで上がれなくなったホラー映画があった。町田は、タンクもウエイトもあげてもらってのことだが、梯子を使わないで、懸垂で上がって見せた。浜田さんへの対抗心か?僕だって、片手が船縁にかかりさえすれば、上がれた時代があった。30年昔だ。
今の僕は、まず片足、左のフィンを脱ぐ。懸垂と右足のキックで、右膝を梯子の最下段に乗せる。フィンのない左足を上げて、最下段にかけて右足のフィンを持ち上げて船縁にかけて何とか上がった。実はこのとき、右足のフィンを学生が取ってくれたのだが、取らなくてもあがれる。
全員が上がると、浜田さんはラインホイラーでアンカーを巻き上げる。大きなアンカーも苦もなくあがり、ガタンと台座に収まる。この一連の動作がかっこいい。後は全速で突っ走る。
舟の使い方を含めて、そして水の中での動作も含めて、浜田さんの潜水が好きだ。ノスタルジーかもしれない。
念のために重ねて言っておくが、ダイビングの安全は、決して一人にしないことだが、潜水漁師とか、命知らずの研究者が一人になる。その結果、自分は死なないが、周囲が同じことをやると死ぬ。彼らは、自分が死ななければ良いのだ。学生を潜らせる世界ではない。
二回目の潜水は、中甑と平良を結ぶ橋のちかく、波静かな場所にアンカーを入れた。中尾先生も元気になり、みんなでお弁当を食べた。
海底は5m未満の造礁珊瑚で、遊覧船がスノーケリングにくるところだ。3年前にこの位置に近く、橋の向こう側に潜ったがオニヒトデの巣窟で、造礁珊瑚は食い尽くされていた。ここにも特大の立派なオニヒトデが1個体だけ居た。やがて、オニヒトデが増えて、造礁珊瑚はなくなるかも知れない。その頃は、向こう側の造礁サンゴが育っている?ここには、オニヒトデ退治とか珊瑚の移植などという発想は無い。ほっとけば、オニヒトデと珊瑚のサイクルがくりかえされるのだろう。全部のサンゴを食い尽くせばオニヒトデも飢え死にする。次に出てくるのは、オニヒトデが先か造礁サンゴが先か、鶏と卵ではない。餌が先だ。
もちろん、オニヒトデを殺して造礁珊瑚を守るサンゴレンジャーに反対はしない。映画になって、自然は人間が守らなければいけないという教えになった。箱庭的にサンゴを移植して、みんなで守り育てるのも良い。陸上にだって原生林もあれば、見事な植林もある。芸術的な庭園もある。庭園を維持するのはお金と時間がかかる。
ここでは結論はいわない。結論は無いのだ。
昔、衛星チャンネルという放送枠で、勝手に撮って、勝手にしゃべる番組を24本やらせてもらった。そのときプロデューサーに、須賀さんは話をまとめるからよくないといわれたことがある。見る人が考えることが一番、まとめてわかってもらうのは次善の策だ。もちろん、時と場合によるが、時と場合、言葉を換えるとバランス感覚、そんなことを真剣に考えた昔があった。