8月5日から10日の今日まで、鹿児島にやはり早稲田大学の中尾研究室と同行して、採集エキスぺディションにでていた。 主たる目標は、甑島のクロマチュウムの採集、そして、いつもの海綿の採集調査だ。
メンバーは中尾先生、町田君、須賀、石川がいつものメンバー、それに、中尾研究室の昆虫おたくの石田君、そして、阿部君が参加した。阿部君の得意技は何か知らないが、僕のめんどうをよくみてくれた。
いつも失敗の繰り返しが旅、だが今回最大の失敗は、持って行ったコンピューターがタブレット、ASUSのキーボード付きのスライダーだったことだった。ブログを書いていて、撮ったはずの写真が、保存の段階できえてしまったりして、悔しいことがいくつか。主には、これまで3回の甑島潜水行で毎回船をだしてくれた、スーパー漁師、浜田さんの水中銃が消えてしまったことで、調査の本筋には関係ないトピックスだが、ブログ的には痛かった。
このことなどもあり、やはりサブのコンピユーターは買い替える決心をした。アンドロイドは僕にはつかいこなせない。ともかく、旅に出発しよう。
甑島、貝池、での紅色硫黄細菌、クロマチウムの採集
0805
羽田空港へは、早めについて旅のはじまり。
鹿児島空港は本当に山の中、不便。昔は海辺だったのが、山のなかに新しい空港を作った時には、しばらくは苦情が絶えなかった。しかし、ずいぶん昔の話だ。
天文館通りに近い、ホテル「REM 」最新型の安宿?だ。なんでも整っていて便利できれいだ。
大分遅い夕食は、天文館通。
べつに行く当てもなく、 すぐに客引きに捕まるようにして良くわからないとこに入った。地下で、きれいな店で、スナックのつくりだが、メニューは、居酒屋だ。
僕の旅は、民宿か、ダイビングサービスの宿泊、東京では下町(東京の田舎)だから、銀座等に酒を飲みに出ることは皆無に近い。だから、地方の大都市にくるとおのぼりさん的になる。こういう店も、たくさんあるのかもしれない。
居酒屋なのにショウタイムがある。ショウタイムといっても、少し小綺麗なウエイトレスのお姉さんがカラオケで歌う。二曲目になると、お客も、お姉さんのリードで、立ち上がって頭の上で手を降る。こちらも、町田はノリの良い奴で、立ち上がる。そのうちに中尾先生もノリかけた。カラオケは、このショウタイムには、お客は歌わない。歌えばカラオケスナックになってしまうからだろうか。からおけショウタイムが終わるとお姉さんは、鍋のお世話をしながら、ホステス風に話をする。
ホテルはネットが繋がるので、わけのわからない居酒屋の動画を送ったりしたので1時近くになってしまった。
8月6日
ホテルでの朝食はなくて、8時出発、途中で
吉野家、特朝定食
困ったことに、学生がフェリーの予約を東京でしていなかったので、満車でキャンセル待ちの7番目、とにかく行くしかない。
フェリー乗り場で、車の中で月刊ダイバーの原稿を書いていたが、なんとかキャンセルまあ待ちでのることができた。
3年目の甑島だ。これで、三回目、前回は3年前になる。
漁協でお世話してくれていた参事さんは、若い人と交代、いつも船をだしてくれている浜田さんが打ち合わせに来てくれた。明日は、彼の船を使う。
軽トラに水中銃が載せてある。浜田さんは、魚突き漁をやる。この島で一人だけ、潜水漁の許可を持っているのだとか、スクーバで魚を水中銃でとる。そんな許可があるのだ。僕の親友だった川俣の弟子だから、最初に会ったときから意気投合している。川俣は、鹿児島の人で1967年の日本潜水会の創立メンバー、減圧症で車椅子になり、それでもまだ海に執念を燃やしていたが、亡くなって久しい。
タンクが届いたので、潜水の準備をする。今回の忘れ物は、まず、スノーケル。マスクマウントのマスクは、スノーケルを外して、別に持っている。自分の車の中には、スノーケルは、何本もころがっている。今日は自分の車がそばにない。この言い訳はもう古いと石川さんに言われる。
スノーケルがなくてもなんとかなるだろう。次に、ウエイトのベルトが一本足りない。いつもウエイトを持ってくる中尾先生が、今回は持ってこなかった。 僕が、タバタの新しいBCを持って来ているので、ウエイトは、それにとりつけられる。舟に引き揚げてもらうときに重いので使う習慣がないが、なんとかなる。ダイビング道具の忘れ物は、ダイビングサービスに行くときは、借りれば済むが、こんな時には何とかする他ない。
車で今回の目的であるクロマチュウム採集のため貝池へ向かう。
甑島は、上甑、中甑、下甑、三つの島で成り立っている。僕たちが来ている漁港は、中甑の平良である。上甑と中甑は橋で繋がっている。貝池は上甑の地図上で上側に位置していて、長い連続した砂嘴が、海と内側の池を仕切っている。眺めの濱と呼ばれている。この浜の地形で、海と砂嘴で仕切られているいくつかの池のうちの一つが貝池だ。以下は、3年前に撮ったものをYOU TUBEに載せた時の説明である。 http://www.youtube.com/watch?v=bMznKk2Q8xE
上記のアドレスでも、 ユーチューブで、次郎須賀で検索しても出てくる。なぜ須賀次郎にしなかったのかはわからない。3年前のことだ。
これは、今見てもすごい映像だ。とおもう。その映像の説明が下記
「鹿児島県 甑島には、不思議な池、貝池がある。看板によれば、「上の方は周囲から流れ込む雨水により薄くなって低塩分の水が覆い、底の方は、春から夏の間に静かに侵入した海水が停滞して、海水の層になっています。この海水の層は、酸素が無く、多量の硫化水素を含んで、特別な微生物しか生息できない状態になっています。その海水の層と上層の低塩分の水の層との境目(深さ約5メートル)には、約20センチメートルの厚さで光合成細菌が濃密に分布し、水中には赤紫色のカーペットを敷いたように、全面に広がっています。この光合成細菌は地球誕生後の極めて早い時期の、今から約30億年も前に出現した原始的な微生物の仲間で、その後の生物発展の歴史の中で、画期的に重要な役割を果たしたといわれています。」
このクロマチユウムは、30億年前、地球がまだ放射能に覆われていたころから生きていた種だといわれている。中尾先生が何かの研究に使うので再度採集に来たものだ。
池の真ん中にブイが浮いている。これはNHKが取材したときに浮かべたものらしくそれが残っている。なお、貝池は大変に危険であることと、重要な自然なので、潜水は厳しく禁止されている。学術研究の場合だけ許可される。
危険な理由は、クロマチユウムの層の下は、猛毒とされている硫化水素を含む水が沈澱しているからだ。3年前にこの池に潜った時は、フルフェースマスクを使って、水深12mの底まで行くことを計画した。しかしクロマチユウムの層の下は、完全な暗黒、真っ黒な水であり、臭いもして、フィジカルな本能的な生命の危険を感じて、行けなかった。こんな時に、どうしても行けないという安全装置があるので人間は生きていられる。戦争では、この安全装置を外すことがある。カミカゼがそれだろう。ここでは安全装置を外す必要はない。どうせ、底までは行かないのだからと今回はフルフェースを用意しなかった。中尾先生によれば、フルフェースの方が、マスクの中に侵入してきた硫化ガスを吸い込む可能性があるので危険だ。マウスピースならば水を飲み込むことさえしなければ大丈夫だという。同じようなものだが、同じならば重いフルフェースを持ってくる必要はない。
僕たちの潜水を祝うかのように、晴れていた空がかきくもって、篠つくような豪雨になった。このごろ問題になる豪雨ではなくて、ただの夕立だろう。
僕はスノーケルがないので、BCD の空気を入れて背泳ぎの仰向けで泳ぐ。300mぐらいあるので、むしろこのほうが楽だ。顔を上げて方向の確認をする必要もない。
スノーケルは忘れたが、採集した水の袋を運搬するために、幼児用の浮き袋を買って持ってきた。これはなかなか役に立った。
潜降する。透視度は2mか、3年前よりも悪い。水深4mほどで水が熱くなる。中尾先生がスントのダイコンではかって37度とか、風呂とおなじだ。この熱い層の下がクロマチユウムで水の色が紅い。この赤い色の水にクロマチユウムがいる。水をビニールパックにいれて採水する。本格的な採水器も考えたが、重くなるのでやめた。そのかわり、採集した水の袋を載せて運ぶ浮き、幼児用の浮袋を用意した。
3年前は、クロマチユウムが絨毯を敷き詰めたようになっていて驚異だったのだが、今回は絨毯になっていない。季節変化なのだろうか。
3年前のように、クロマチュウムが固まっていないので、手応えがない。何度か繰り返し潜って採水した。暗黒の下まで行きたい誘惑に駆られる。しかし、する必要のないことをして、もしものことがあれば、申し訳が立たない。思いとどまった。
メンバーは中尾先生、町田君、須賀、石川がいつものメンバー、それに、中尾研究室の昆虫おたくの石田君、そして、阿部君が参加した。阿部君の得意技は何か知らないが、僕のめんどうをよくみてくれた。
いつも失敗の繰り返しが旅、だが今回最大の失敗は、持って行ったコンピューターがタブレット、ASUSのキーボード付きのスライダーだったことだった。ブログを書いていて、撮ったはずの写真が、保存の段階できえてしまったりして、悔しいことがいくつか。主には、これまで3回の甑島潜水行で毎回船をだしてくれた、スーパー漁師、浜田さんの水中銃が消えてしまったことで、調査の本筋には関係ないトピックスだが、ブログ的には痛かった。
このことなどもあり、やはりサブのコンピユーターは買い替える決心をした。アンドロイドは僕にはつかいこなせない。ともかく、旅に出発しよう。
甑島、貝池、での紅色硫黄細菌、クロマチウムの採集
0805
羽田空港へは、早めについて旅のはじまり。
鹿児島空港は本当に山の中、不便。昔は海辺だったのが、山のなかに新しい空港を作った時には、しばらくは苦情が絶えなかった。しかし、ずいぶん昔の話だ。
天文館通りに近い、ホテル「REM 」最新型の安宿?だ。なんでも整っていて便利できれいだ。
大分遅い夕食は、天文館通。
べつに行く当てもなく、 すぐに客引きに捕まるようにして良くわからないとこに入った。地下で、きれいな店で、スナックのつくりだが、メニューは、居酒屋だ。
僕の旅は、民宿か、ダイビングサービスの宿泊、東京では下町(東京の田舎)だから、銀座等に酒を飲みに出ることは皆無に近い。だから、地方の大都市にくるとおのぼりさん的になる。こういう店も、たくさんあるのかもしれない。
ホテルはネットが繋がるので、わけのわからない居酒屋の動画を送ったりしたので1時近くになってしまった。
8月6日
ホテルでの朝食はなくて、8時出発、途中で
吉野家、特朝定食
困ったことに、学生がフェリーの予約を東京でしていなかったので、満車でキャンセル待ちの7番目、とにかく行くしかない。
フェリー乗り場で、車の中で月刊ダイバーの原稿を書いていたが、なんとかキャンセルまあ待ちでのることができた。
3年目の甑島だ。これで、三回目、前回は3年前になる。
漁協でお世話してくれていた参事さんは、若い人と交代、いつも船をだしてくれている浜田さんが打ち合わせに来てくれた。明日は、彼の船を使う。
軽トラに水中銃が載せてある。浜田さんは、魚突き漁をやる。この島で一人だけ、潜水漁の許可を持っているのだとか、スクーバで魚を水中銃でとる。そんな許可があるのだ。僕の親友だった川俣の弟子だから、最初に会ったときから意気投合している。川俣は、鹿児島の人で1967年の日本潜水会の創立メンバー、減圧症で車椅子になり、それでもまだ海に執念を燃やしていたが、亡くなって久しい。
タンクが届いたので、潜水の準備をする。今回の忘れ物は、まず、スノーケル。マスクマウントのマスクは、スノーケルを外して、別に持っている。自分の車の中には、スノーケルは、何本もころがっている。今日は自分の車がそばにない。この言い訳はもう古いと石川さんに言われる。
スノーケルがなくてもなんとかなるだろう。次に、ウエイトのベルトが一本足りない。いつもウエイトを持ってくる中尾先生が、今回は持ってこなかった。 僕が、タバタの新しいBCを持って来ているので、ウエイトは、それにとりつけられる。舟に引き揚げてもらうときに重いので使う習慣がないが、なんとかなる。ダイビング道具の忘れ物は、ダイビングサービスに行くときは、借りれば済むが、こんな時には何とかする他ない。
車で今回の目的であるクロマチュウム採集のため貝池へ向かう。
甑島は、上甑、中甑、下甑、三つの島で成り立っている。僕たちが来ている漁港は、中甑の平良である。上甑と中甑は橋で繋がっている。貝池は上甑の地図上で上側に位置していて、長い連続した砂嘴が、海と内側の池を仕切っている。眺めの濱と呼ばれている。この浜の地形で、海と砂嘴で仕切られているいくつかの池のうちの一つが貝池だ。以下は、3年前に撮ったものをYOU TUBEに載せた時の説明である。 http://www.youtube.com/watch?v=bMznKk2Q8xE
上記のアドレスでも、 ユーチューブで、次郎須賀で検索しても出てくる。なぜ須賀次郎にしなかったのかはわからない。3年前のことだ。
これは、今見てもすごい映像だ。とおもう。その映像の説明が下記
「鹿児島県 甑島には、不思議な池、貝池がある。看板によれば、「上の方は周囲から流れ込む雨水により薄くなって低塩分の水が覆い、底の方は、春から夏の間に静かに侵入した海水が停滞して、海水の層になっています。この海水の層は、酸素が無く、多量の硫化水素を含んで、特別な微生物しか生息できない状態になっています。その海水の層と上層の低塩分の水の層との境目(深さ約5メートル)には、約20センチメートルの厚さで光合成細菌が濃密に分布し、水中には赤紫色のカーペットを敷いたように、全面に広がっています。この光合成細菌は地球誕生後の極めて早い時期の、今から約30億年も前に出現した原始的な微生物の仲間で、その後の生物発展の歴史の中で、画期的に重要な役割を果たしたといわれています。」
このクロマチユウムは、30億年前、地球がまだ放射能に覆われていたころから生きていた種だといわれている。中尾先生が何かの研究に使うので再度採集に来たものだ。
池の真ん中にブイが浮いている。これはNHKが取材したときに浮かべたものらしくそれが残っている。なお、貝池は大変に危険であることと、重要な自然なので、潜水は厳しく禁止されている。学術研究の場合だけ許可される。
僕たちの潜水を祝うかのように、晴れていた空がかきくもって、篠つくような豪雨になった。このごろ問題になる豪雨ではなくて、ただの夕立だろう。
僕はスノーケルがないので、BCD の空気を入れて背泳ぎの仰向けで泳ぐ。300mぐらいあるので、むしろこのほうが楽だ。顔を上げて方向の確認をする必要もない。
スノーケルは忘れたが、採集した水の袋を運搬するために、幼児用の浮き袋を買って持ってきた。これはなかなか役に立った。
潜降する。透視度は2mか、3年前よりも悪い。水深4mほどで水が熱くなる。中尾先生がスントのダイコンではかって37度とか、風呂とおなじだ。この熱い層の下がクロマチユウムで水の色が紅い。この赤い色の水にクロマチユウムがいる。水をビニールパックにいれて採水する。本格的な採水器も考えたが、重くなるのでやめた。そのかわり、採集した水の袋を載せて運ぶ浮き、幼児用の浮袋を用意した。
3年前は、クロマチユウムが絨毯を敷き詰めたようになっていて驚異だったのだが、今回は絨毯になっていない。季節変化なのだろうか。
3年前のように、クロマチュウムが固まっていないので、手応えがない。何度か繰り返し潜って採水した。暗黒の下まで行きたい誘惑に駆られる。しかし、する必要のないことをして、もしものことがあれば、申し訳が立たない。思いとどまった。