マリンダイビング誌 50周年 おめでとうございます。
僕は、1956年に、初めてタンクの空気を吸ったのだが、正式の潜水講習は1957年に受けて、その足で潜水部を作った。だから水産大学の潜水部は60周年になった。とにかくマリンダイビングは50周年、50年と言えば半世紀だ。
マリンダイビング創刊号は、前には持っていたのだが、わけあって人にあげてしまった。まだ、ダイビングの歴史などに本当に入れ込んでいないころだ。今は痛恨の思いでいる。創刊号からのマリンダイビングを書写させてもらう約束を舘石社長としていて、何時でもどうぞと言われているのだが、行けばきっと50年分を見ることになるから、容易なことではなく、足踏みしている。 僕はまだ今の、その50周年記念誌をみていない。まだ図書館だか新刊なので借りられない。で、ここに出してきたのは、1980年の11月号、 この1980年という年、今、C-カードとかなんとか、言っているけれど、そのC-カード元年がこの1980年あたりなのだ。C-カードの累積発行数は、1980年を原点としている。 それまで、僕たちの潜水の講習修了は、免許証だった。免許証は国の法律規則に則って発行するものだから、適切な名称ではないとかなんとか言われて、C-カードになった。別に免許証ではいけないと国から指摘されたわけでもなんでもない。自発的にC-カードになってしまった。お花だって、踊りだって免許だから、潜水が免許だって良いじゃないかと僕は反論したが、C-カードになってしまった。免許証は自己責任の時代、C-カードは管理責任の時代等と憎まれ口をきいたが、レクリエーショナルダイビングは、大略、管理責任なのだから仕方が無い。 あ、自己責任というと何か偉そうだから、自業自得ともいう。 このマリンダイビング・1980年11月号がその自業自得時代最後のころと言える。その頃の潜水がどんな風だったのか、今の人たちに見て、読んでもらいたい。この号は潜水事故大特集なのだ。 僕もわけあって、ここしばらくブログなどで遊んでいられないことになってしまったが、なんとかがんばって紹介しよう。 潜水事故大特集の中身、 「フカシ治療は是か非か」という特集がある。ある意味これは、減圧症の本質、真実にせまっていると言える。まず「ふかし療法で私は死にかかった」これを書いた植木君は、全日本潜水連盟の四国のボスで、親しくしていた。減圧症になるとどうなるか、かなり壮絶な記録である。例えば、ひどい下痢をして、肛門が開いたままになってしまう。とか、ふかしで、何とか病院送りに出来るところまで回復して、病院に搬送する。 もう一つは、「わたしは、ふかしで減圧症を克服した」これは、直してしまった例。もう一つ、これは現全日本潜水連盟の会長で、当時、安全対策協会会長の岸部先生が、ふかし療法で、北海道での罹患を、電話で指示して治してしまう。もちろんこれは緊急時のことで、なんとか再圧室まで搬送することが必須なのだが,とにかく、軽微なところまでなおしてしまう。電話で指示してなおしてしまうというところがすごい。タイトルは「ふかし治療を医学的に解明する」岸部先生は外科のお医者さんで、潜水医学の専門ではない。外科というのは、とにかく心臓が動いていれば、なんとか命は助けるというお医者さんだ。 潜水事故については、かなり具体的な例が、あといくつか掲載されている。例えば、「ナイトダイビング中に心臓麻痺」とか、「合宿中にバディの目の前で溺死」、「荒波の海でバディ同士が死亡」「安易な気持ちが死を招く」、とか、現在愛読している「危機一髪からの生還」ではなくて、死んでしまっている。 といって昔の潜水は危険、今のダイビングは安全、そういう安易な気持ちが死を招くわけだ。 「アメリカから潜水事故の報告書が送られてきた」とか「潜水事故とダイビング団体との関係は?」とか他にも面白い記事がある。 そして、PADIの顧問になる松田弁護士が、「潜る権利?はここまである」これは、当時真鶴半島などで、潜水禁止が持ち上がり、「真鶴レポート」という記事もある。そして、「全国ダイビングスポット利用者会議設立」もある。 そして、最後に、なぜ僕がこの号を大事にしていたかというと、「特報、引き上げのヒーローたち」ナヒモフ号の金塊引き上げの特集を組んでいる。ヒーローとして、知った顔懐かしい顔が出てくる。この前、当時のマリンダイビング編集長の鷲尾君が、小説「ナヒモフ号の財宝」を書いたが、小説ではなくて、実録にした方が良かった。この問題で「実録」を書くと殺される、という都市伝説があり、それが怖かったのだろうか。多分。 今、水中科学協会では、「ダイビングの歴史」という本を企画製作中で、停滞しているが、その時代、時代を区切って、例えば「減圧症、ふかし、について」、「沿岸漁業との摩擦」とか「宝探しの歴史」とか、年表に沿って、コラムをか重ねて行く形を進めている。この号は参考になる。{ぜんぜん進んでいない」焦っている。 そんなことで、僕はこのマリンダイビング、1980年、11月号が、その時のダイビングを輪切りにしている。とおもってだいじにとってあった。
僕は、1956年に、初めてタンクの空気を吸ったのだが、正式の潜水講習は1957年に受けて、その足で潜水部を作った。だから水産大学の潜水部は60周年になった。とにかくマリンダイビングは50周年、50年と言えば半世紀だ。
マリンダイビング創刊号は、前には持っていたのだが、わけあって人にあげてしまった。まだ、ダイビングの歴史などに本当に入れ込んでいないころだ。今は痛恨の思いでいる。創刊号からのマリンダイビングを書写させてもらう約束を舘石社長としていて、何時でもどうぞと言われているのだが、行けばきっと50年分を見ることになるから、容易なことではなく、足踏みしている。