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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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1213 第七回 水中活動研究シンポジウムについて  3

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2017 シンポジウム報告書について、 僕の書いた「カメラハウジングから見た映画テレビ水中撮影小史」、「ダイビング計画書を支点としたダイビング活動運用研究の提案」は、のレジメとは言い難い。シンポジウム発表の準備報告だろうか。 撮影小史もこのまま「ダイビングの歴史」に収録できるものではない。どちらの試行錯誤、考えた道筋のようなものだ。撮影小史のほうは、資料にはなる。
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日本水中科学協会の地方にいる会員に送るから、読み物になっていても良いか、と考えた。 ところで、そんな感じで、書いたのだが、プリントして、配布してみるとNHKにこだわりすぎている。また、致命的ではないのだが、ハウジングの製作年に数年のずれがある。 昨日(12月11日)ダイブウエイズに行き、報告書を見ながら手島さん(ダイブウエイズを一人で切り盛りしている)と話していると、ファイルボックスからファイルを出してきた。ダイブウエイズで作ったすべての機材の図面、資料がファイルされている。ハウジングもファイルされている。池上のHL79Eを見ると1984年7月の製造だ。それで、1985年に神の子池の環境映像を撮り、1986年からニュースステーションの水中レポートシリーズが始まっている。 その前のビクターKY2000は、1980年、10月の製作で、これで、NTVのポナペ、ナンマタールのロケ、岩手県龍泉洞の撮影をしている。このカメラで、僕の水中ビデオカメラマンとしての第一歩が踏み出されたと言っても良い。また、ダイブウエイズの水中カメラハウジング製作もここから本格的なものになって行く。
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 ダイブウエイズのハウジング、すなわち、僕の考えのハウジングは、必ず、オーリングはダブルで入れている。これで、まず水漏れは無くなる。またHL79E以外は、すべて円筒形にしている。これもオーリングのシール効果を完全にするためで、もちろんダブルである。次に、自分も、そしてダイブウエイズのハウジング設計者であった長谷川さんもエレクトロニクスに強くなかったために、操作が歯車を介したメカニカルになっている。このエレクトロニクスに弱かったことが、次の展開を難しくさせ、終わってしまうのだが、メカニカルは水に強い。たとえばコントロールレバーの軸、これもダブルオーリングにしているので洩らないが、もし何かで水が浸入しても、コップに一杯程度の水ならば、カメラ本体に届くことも無く、電子制御ではないから、撮影を継続することができる。これは、番組中継などでは絶対的なアドバンテージだった。そして、ほとんどすべての機材が、僕の乱暴な取扱いにもかかわらず、今回のシンポジウムに展示した機材のほとんどが、水没しないで、引退している。 
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 ファイルには図面もメモも資料も入っている。当時は、ダイブウエイズは、僕がアイデアを出していたので、僕のハウジングだけを作っていたような感じでいたが、ファイルケースにびっしり詰まっている記録を見ると、僕の発注以外のものも多い。。 そうだったのだ。動画の大型カメラの特注ハウジングのメーカーとして、ダイブウエイズは後藤道夫の後藤アクアと拮抗していて、後藤道夫はNHKのハウジングを作り、ダイブウエイズは僕の使う、そして売ったハウジングを作っていた。 だらしがない僕は、このようなファイルを持っていない。自分がやってきた本人も記録がなければ忘れ去っている。撮影機材の小史を書くのでも、各社のファイルをできるだけ調べて、編集しなければ正確ではない。しかし、そんなことは事実上不可能だ。他の機材についても同様だ。踏み込んでいったらとても「ダイビングの歴史」など書けない。資料の見切りが必須だ。つまり、自分中心の歴史になる。 それでも、僕が書かなければ、書いておかなければ消えてしまって後に残らない。 自分中心でも、できるだけ書いて置こう。 それにしても、忘れていることが、多い。ビクターのカメラは、チューブ、真空管ではなくて、板だと思っていたのだが、KY2000は、サチコンチューブだった。 その頃のカメラは撮像管を使っていて、プランビコンがトップで、サチコンはやや落ちる。  もうひとつ、VTRのハウジングについてだが、当初、のENG エレクトロニクス・ニュース・ギャザリング、電子カメラによるニュース撮影、は、16mmフィルムに代わって、ビデオのニュースカメラで、これを使ってドキュメンタリーも撮影したわけだが、ビデオエンジニアーがレコーダーを担いで、カメラマンとバディで行動した。水中でもVTRのハウジングを作って、バディで撮影できる。スガ・マリンメカニックでは、船の上にVTRを置きケーブルでカメラと結んで撮影していた。これによって、ニュース・ステーションでは、須賀潮美の水中レポートと、船上の立松和平の掛け合いが成立、呼び物になったのだが、VTRのハウジングを作れば、船からのケーブルに束縛されずに行動できる。VTRのハウジングを作ったのは、ソニーのBVU-50で、1985年に作っている。NHKが、この分離型を作ったのも1985年である。
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                     手前がVTR ハウジング
 これも、ダイブウエイズで見つけたのだが、僕が書いた「水中カラービデオカメラの開発」という雑誌のコピーがある。このコピーは、表紙がない抜出なので、雑誌名そして、何時かいたのかわからない。おそらくは、今のビデオα(雑誌)の前身である写真工業に書いたものだろう。これによると、水中撮影は、動画撮影にはライトが必須で、今のように小さくて光量の大きいライトは無いから、大きなバッテリーライトを持たなければならない。ライトマン、ライトダイバーが必要である。すると、カメラマン、VTR,ライトと三人が必要になる。船上にVTRを置くとともに発電機を回して、光量が大きい有線ライトを使うと、カメラマンと、もう一人のケーブルさばきが居れば済む。二人で済むと同時に、ケーブルさばきは、重いものを持っていないので、スチルマンを兼ねることもできる。だから、ゴムボートなど発電機を積めない状態の他は、有線の方が、常用だった。 それに僕はケーブルで船とバディで、一人で撮影するのが,割と好きだった。 しかし、やがてカメラはVTR一体型になる。 池上のHRV55は、1993年にハウジングを作っている。湾岸戦争の取材に持って行ってトラぶった記憶があるので、92年だと思っていたが、やはり93年だった。オイルがペルシャ湾に流出したことについての取材であった。  それにしてみNHKの50周年史葉、よくできていた。 同等以上のものを作るのは、大変である。 

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