展示するハウジングから見た日本のテレビ・潜水撮影小史 5 立体フィルムカメラによる撮影 知床流氷
もう一つ、展示映像として、3D 立体映画がある。立体映像は二つのカメラを並べて撮影し、それを電子的に画像処理して、立体映像にする。見る方は偏光レンズのめがねをかけて見る。僕の撮影した頃は青と赤だった。 二つの小さなビデオカメラを連結したものを作り、これを使ってトラック島のシャークアイランドと呼ばれている鮫の集まるところに行き、鮫の映像を撮った。これは、仙台にある「ササカマ館」笹かまぼこを作って売っている展示館の小さい部屋、シアターで上映した。これは、部屋が小さい効果か、かなりの迫力映像だった。 3D映像は像が飛び出してくる。鮫が飛び出してきて頭の上を泳ぐ、またかみつくように突進してくる。飛び出し立体効果があるが、これを長時間見ると身体に良くないし、見続けられない。せいぜい15分程度が限界である。立体映画は、ずいぶん昔からあって、僕が初めて見たのは、高校時代だったろうか、ジョン・ウエインの西部劇「ホンドー」だった。これはインディアンの斧が飛んできたり、槍が飛んできたりの映画だったが、途中で疲れてめがねをはずしてしまった。 ディズニーランドの展示映像も飛び出すこの方式であり、上映時間は10分程度である。劇映画の立体は、やや穏やかで、長時間見ていられるよう工夫されている。「アバター」などは傑作であり、見ていてもつかれなかった。 家庭で見る立体テレビ放送は、その意味で無理であり、続かなかった。 なお、飛び出させるには、二つのカメラの写軸を交差させるところに被写体を置く。これが前後にずれると、魚が飛び出さずに二尾になってしまう。飛び出し効果を強調しないならば、写軸は平行でいい。交差を合わせることを、コンパージェンスを合わせるなどという。 葛西水族館(正式名 葛西臨海水族園)と、東海大学(正式名 東海大学海洋科学博物館)に立体映像シアターがあった。 葛西水族園 では、製作コンペ(企画製作を募集して、実績のあるプロダクションが応募する)があり、「伊豆の海」というタイトルで、幸い勝ち取ることができ、1994年は、は、この伊豆の海の撮影ロケをおこなった。伊東の富戸から、下田まで、そして、大瀬崎では、タカアシガニを撮影した。 このコンペは、さすがに、トラック島で使った民生カメラ連結の3Dでは、できず。フィルム立体カメラを使った。これは35ミリカメラ、二つの並べたレンズで撮った映像をプリズムで、35mmフィルムカメラの一つの画面に上下二分割して、撮影する。二つの画像が一つの画面に上下に並んでいる。この立体の現像処理ができるのは、イマジカ(函館昆布館熨斗後とをさせてもらった)だけであった。 1996年、の葛西水族園のコンペ、今度はハイビジョン立体が要求された。これは、放送仕様のソニーのカメラを並べ、上から蓋をする。これも小さなボンベで内外の圧を等しくしないと水没する。イマジカの35ミリ横走りと同じ方式である。このカメラハウジングを作ったのは、上谷成樹という友達で、特許を申請していた。僕のイマジカのカメラの方が早い。僕が特許を出しておけば、このHVのカメラも作れたのだが、それ以前に深海用のカメラで同じ方式があることを知っていたのでださなかった。割と親しい友人だったので、そのままにした。少し残念だった。 コンペには勝つことができ、慶良間の海で撮影する。これは、ベニヤ板のハウスを、親しい宮平秀保のボートに建て込んで、NHK同然、たいへんな撮影になった。 続く1997年にも葛西水族園のコンペがあり、「知床の海」の企画を出して、これも勝ってしまう。 常勝である。
これは、大仰なハイビジョンではとても無理、再び35mmフィルムの立体を使った。
1997年12月、まだ知床の海の撮影中、アクアマリン福島、小名浜にできる水族館のコンペがあった。普通のHVマルチ300インチスクリーンであるから、技術的には楽勝である。福島はホームグラウンドである。絶対に撮りたかった。しかし、NHKに負けてしまう。これが、事実上僕の展示映像カメラマン生活のピリオドだった。2005年の愛知万博の撮影は、取れなかった。話は前後するがその後にスーパー16の東京タワーなどもあるが、一日仕事でしかない。。 そして、そのアクアマリン福島で勝ったNHKエンタープライズは、南方カメラマン(親友)で、その南方が、この福島の映像撮影中に、神子元島でダウンカレントに引き込まれて死んでしまう。 ダウンカレントでは僕も危機一髪が2回ある。一度は伊豆海洋公園で、もう一度は与那国で、潮美と一緒にハンマーヘッドを追っていた。そのときは、ケーブルでつながっている撮影だった。なんだかわからないままに引き込まれ、ケーブルがボートを支点に振り子になって、水面に浮き上がった。ケーブルが切れたら終わりだった。それでも急浮上でから肺破裂の心配はあった。ハンマーのいる流れの端にはダウンカレントがあるのかもしれない。 南方もケーブルのハイビジョンだったら死ななかった。ダイバーの生死は、運なのかと思っている。
もう一つ、展示映像として、3D 立体映画がある。立体映像は二つのカメラを並べて撮影し、それを電子的に画像処理して、立体映像にする。見る方は偏光レンズのめがねをかけて見る。僕の撮影した頃は青と赤だった。 二つの小さなビデオカメラを連結したものを作り、これを使ってトラック島のシャークアイランドと呼ばれている鮫の集まるところに行き、鮫の映像を撮った。これは、仙台にある「ササカマ館」笹かまぼこを作って売っている展示館の小さい部屋、シアターで上映した。これは、部屋が小さい効果か、かなりの迫力映像だった。 3D映像は像が飛び出してくる。鮫が飛び出してきて頭の上を泳ぐ、またかみつくように突進してくる。飛び出し立体効果があるが、これを長時間見ると身体に良くないし、見続けられない。せいぜい15分程度が限界である。立体映画は、ずいぶん昔からあって、僕が初めて見たのは、高校時代だったろうか、ジョン・ウエインの西部劇「ホンドー」だった。これはインディアンの斧が飛んできたり、槍が飛んできたりの映画だったが、途中で疲れてめがねをはずしてしまった。 ディズニーランドの展示映像も飛び出すこの方式であり、上映時間は10分程度である。劇映画の立体は、やや穏やかで、長時間見ていられるよう工夫されている。「アバター」などは傑作であり、見ていてもつかれなかった。 家庭で見る立体テレビ放送は、その意味で無理であり、続かなかった。 なお、飛び出させるには、二つのカメラの写軸を交差させるところに被写体を置く。これが前後にずれると、魚が飛び出さずに二尾になってしまう。飛び出し効果を強調しないならば、写軸は平行でいい。交差を合わせることを、コンパージェンスを合わせるなどという。 葛西水族館(正式名 葛西臨海水族園)と、東海大学(正式名 東海大学海洋科学博物館)に立体映像シアターがあった。 葛西水族園 では、製作コンペ(企画製作を募集して、実績のあるプロダクションが応募する)があり、「伊豆の海」というタイトルで、幸い勝ち取ることができ、1994年は、は、この伊豆の海の撮影ロケをおこなった。伊東の富戸から、下田まで、そして、大瀬崎では、タカアシガニを撮影した。 このコンペは、さすがに、トラック島で使った民生カメラ連結の3Dでは、できず。フィルム立体カメラを使った。これは35ミリカメラ、二つの並べたレンズで撮った映像をプリズムで、35mmフィルムカメラの一つの画面に上下二分割して、撮影する。二つの画像が一つの画面に上下に並んでいる。この立体の現像処理ができるのは、イマジカ(函館昆布館熨斗後とをさせてもらった)だけであった。
これは、大仰なハイビジョンではとても無理、再び35mmフィルムの立体を使った。