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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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「展示するハウジングから見た日本のテレビ・潜水撮影小史」 4

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「展示するハウジングから見た日本のテレビ・潜水撮影小史」 4 
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35mm フィルム横走りカメラ
 映像は高画質化。映像は常に高画質化をめざして進化していくのだが、区切り、段差がある。階段のひとつが、ハイビジョン化である。わかりやすく区切ると1990年がハイビジョンの現場実用化第一歩と考えられる。ハイビジョンを略してHVとして行こう。現場では、HV化でビデオは振り出しにもどってしまった。ビデオの初期には、幅1インチのテープレコーダーの超大型版を回して録画した。そこに戻ったのだ。 僕はビデオエンジニアではないので、詳しい技術的なことは、よくわからないのだが。 とにかく、HVは現場ではテープに戻った。やがて、テープが録画メモリに変わることでさらなる革命が起こってしまうのだが、とにかくテープレコーダーにもどったそれも、もっと大きく、器機の発熱とか、湿気とか、やっかいな問題を抱えるレコーダーだ。1991年5月 NHK潜水班は、伊豆大島での研修で、ハイビジョンカメラの習熟訓練をおこなう。その時の写真を見ると、船の上に、ベニヤ板の小屋をつくり、波しぶき、湿気を防ぐとともに、クーラーも着けて、テープレコーダーの発熱を防いでいる。後述するように、後にこのシステムを借りて撮影したこともあるのだが、たいへんな代物である。
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 一方でHVでない、一般のビデオも画質を保ちつつ小型化していく。テープ幅8mmのハイエイトカセットが普及する。ここで撮影機材をカメラ部分と録画部分に分けて見てみよう。これは、とても大事なことなのだが、ビデオ録画部分は、まず1インチテープ、リールに巻き取るテープレコーダーから、カセットになり、1インチテープカセット、少しテープ幅がせまくなって 4分の3インチ、しぶさん、などと呼ぶ幅になり、ベータカムカセットが一般になる。そして8mmになり、デジタルテープになり、やがてはテープでさえなくなってしまう。そして、すべてがHVになってしまい、HVもまた進化して行く。  そして、機材の制御もメカニカルから電子に変わって行く。カメラマンは、その流れに押し流されていく。  僕は、ニュースステーションの撮影は中川隆(後に独立して河童隊)に譲り、ハイエイトによる映像記者的な小回りと、大型展示映像撮影に向かった。小回りの映像記者としては、衛星チャンネルという誰も見ていないような局で24本撮り、キャスターの真似事もした。神領プロデューサーの仕事である。  機材の進化にともなっ、現場でのVEも進化する。電子技術者としてのVEの役割はより重要になるが、従来のレコーダーを担いで走るエンジニアは、不要になった。カメラマンは一人で良い。一人で良いならばカメラマンで無くても、監督自らがカメラを回せば良いのではないか、ドキュメンタリーとは元来そういうものだった。フィルムの時代、ベルハウエルのDR70を手に戦場に赴く報道カメラマン、その戦場がジャングルであっても極地でも同じだ。カメラマンであって監督であり、製作者であった。一人で撮って、一人で編集して、一人でスタジオでしゃべる。スタジオでは司会、まとめ役のアナウンサーと話すことが多いのだが、基本は一人だ。小さくて、どうやら放送で使える映像、ハイエイトは、それができたのだ。 高画質化と廉価機動能力向上、映像は二つの道にわかれた。やがて、それは一つに、高画質と同時に廉価、機動能力を備える方向に収れんしていくのだが、とりあえずは二つの道。 高画質化に話をもどして、映像の大型化、見せ物化、博覧会は映像展示と同時に実物をみせる。そして、それは、3D、立体化、アイマックスになるのだが、その両方について行かなくては取り残される。その中道とも言うべきテレビ番組の撮影もある。三つの道が目の前にあった。  ハイビジョンの道は船の上に小屋をたて、コンテナー一杯の機材をつかうのだが、映像の高画質化は、電子的な方向ともう一つ、フィルムの進歩向上がある。曰く、ハイビジョンは、フィルムに限りなく近づいて行く。ならば、フィルムのカメラに戻れば、小屋を建てなくても良いのではないか。 もう今では、一般のダイバー、一般のカメラマンがフィルムをいじることもなくなったのだが、画質はフィルムの面積に比例する。だからスチルも35mmより6×6判が良く、6×9がさらに良く、一枚ずつフィルムをカットしていくフィルムが最高になる。カメラの値段、カメラの大きさもフィルムの面積に比例する。もちろんフィルムの値段も面積に比例する。 フィルムの時代、一般に使う35mmは妥協であり妥協の中でフィルムの進化で画質を向上させてきた。 電子カメラ、デジタルはフィルムの画質を追って進化してきた。HVはフィルムに追いつく。しかし、1990年代のHVは、まだ35ミリには追いついていなかった。 映画のフィルムには、70ミリ、35ミリと16ミリ、8ミリがある。映像の初期、アマチュアカメラマンは8ミリフィルムで撮影した。8ミリと言っても、前述のハイエイトとは違う。アマチュアは8ミリ、ドキュメンタリーは16mm、劇場映画は35mmだった。そのプロのドキュメンタリー、16ミリは、音声を記録するトラック部分がある。しかし、機材の進歩で、音声トラックがなくても、音声が記録できるようになり、音声トラックは不要になった。このトラック部分まで画像記録部分を広げると画質が向上して、さらに、フィルムの進歩で、HVに匹敵する。このフィルムをスーパー16という。 すなわち、大型展示映像ではなくて、一般のHV ならば、スーパー16で対応できる。これならば、世界中HVを担いでいける。水中撮影も普通のハウジングで間に合う。 紆余曲折あって、スーパー16のカメラ、フランス製のアトンを買うことにした。ハウジング込みで約1000万円だ。  このカメラで、1993年、網走流氷館のハイビジョンマルチの映像を撮影した。 これで流氷の下のクリオネを撮影紹介して、流氷館の呼び物になった。 ここまでは良かったのだ。 この方面は、環境映像を撮らせてもらっていた神領プロデューサーに仕事を依存していた。愛知万博で、日本の24節季を巨大展示映像で見せる企画も立てたが、これが実現しなかった。 劇映画としては、オキノエラブ島の水中撮影これは、ドキュメンタリー風の劇映画だった。そして、東京タワーという劇映画で、プール撮影をした。これは習志野水泳場飛び込みプールで、10mの飛び込み台の上で、争って突き落とされる岡田准一を撮った。もちろん10mからは吹き替えで、岡田君は3mから飛び込んだ。 スーパー16は、現像代が高く、ストックフィルムを残しておくことができなかった。そうこうしているうちに、電子カメラのHVがどんどん小さく、安価になり、アトーンは、世界を飛ぶ、魔法の絨毯にはならなかった。  イマジカという、映画フィルム現像の日本でトップの会社がある。日本の映画が続く限り、存続して行くであろう会社である。 そのイマジカから35mmフィルムを横走りさせるカメラのハウジングについて相談を受けた。 画質はフィルム面積に比例する。35ミリスチルカメラはフィルムを横に走らせる。映画は縦に走らせていた。横走りの方が面積が大きい。フィルムの画質は面積に比例する。  一方で、映画館のスクリーンも、大きくなる方向で進化する。シネラマは三つのスクリーンを三つのカメラで撮った三つの映像を無理矢理合成映写することで巨大スクリーンを実現した。 フィルムの画質進歩とフィルム面積を大きくすることの相乗効果で巨大スクリーンに対応した。70ミリフィルムである。これで、シネラマは終わった。 35ミリの横走りは、70ミリまで行かずとも、35ミリで巨大スクリーンの映写に対応したものであった。
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                     ボンベを付けて空気を送り込む。
 横走りカメラは横に寝ているカメラで、ハウジングに入れたらタライの様に横面積が大きくなった。横面積は水圧を受ける。水圧で押され歪んだらオーリングの溝が歪み水没する。レギュレーターと小さなボンベでハウジングの中に空気を入れて、内圧と外圧を等しくすれば解決する。それで解決した。 そして、35mm横走りカメラハウジングは完成し、僕はこのカメラで、1993年、函館昆布館の全天周イマジカビジョン展示映像を撮った。全天周とは、プラネタリュウムだ。 今、遊びのカメラで180度、360度のカメラが売り出されていて、1万円弱で、180度(360度と言っている)がある。これで撮ってもプラネタリウムがなければ映写できない。映写はできないが、スマホでスクリーンの方を動かしてしまうことで全天周にする。あるいはPCの上で、指で引っ張って、動かす。  
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                       知床流氷撮影
  1993年は網走流氷館と函館昆布館、二つの展示映像の仕事ができた。 函館昆布館では、全天周映像と、他に、ハイビジョンマルチで、昆布の林で泳ぐヌードの撮影があった。昆布の林、昆布は天然では横に這っている。横に這って水流を波型の葉で受けて、長いからだを浮かしているのだが、一般イメージでは昆布は縦に葉を伸ばしている。その林を縫うように泳ぐ、ヌードの水中撮影である。昆布の生えている北海道でヌードを撮ったのでは、モデルが凍死する。横を縦にするどっちにしてもうその話なのだ。与論島に行き、ビニール製の昆布を立てて、ヌード撮影をした。
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