千葉県安房小湊の千葉大学の実験実習場にカーナビをセットする。カーナビの言うとおりに走らせたら、とんでもないところに来ている。地図を拡大したら勝浦の先40キロまで行き過ぎている。 7時にでて、4時間越え、11時20分に到着した。 常日頃カーナビは信じないのだけれど、疲れているのだ。
小湊に来たのは何年ぶりだろう。たしか、潜水部15期までコーチをしていて、スキンダイビングでブラックアウトを起こさせたのが、最後、今潜水部は60周年だから、45年ぶりか。 水産大学から千葉大学に移管され、建物はすべて建て替えられている。 建物は替わったが、磯に降りる急な階段は昔のままだ。小さな船着き場、コンクリの桟橋も昔のままだ。磯の先端に向かうまっすぐなコンクリ路もそのまま。
プールのような生け簀もそのままだ。
この生け簀プールに1953年、海底地質学者ロバート・シンクレア・ディーツ博士がアクアラングを背負って、日本の若い研究者たちにダイビングを見せたのが、日本のスクーバダイビングの事始めだったと、そのときの写真がある。
そのころ、この生け簀には、マダイが泳いでいて、観光客が餌(有料で餌箱が、置かれていた)をやると池の鯉のようにマダイが浮いてきた。 今、生け簀はあるが、水族館がなくなってしまっているので、一般の人は通行が許されず、ゴミが浮いているだけだ。 集まったメンバーは、現役が3名、OBが4名、+ 僕と山川先生 昼食、コンビニで買ってきた弁当、のあと、みんなはスキンダイビングでフィールドの全貌を観察する。1時間ほど、僕が現役時代、そして、コーチの時代は、艫漕ぎの小さな和舟随伴でなければ行かなかったようなところ、といっても、今のダイバーにとってはそれほどの遠くではないところなのだが回ってくる。 1954年、学生の潜水実習で、今の子たちがでている遙か手前で、学生二人が事故死した。原因は不明であるが、裁判の結果、小舟があるのに随伴させていなかったことが原因とされた。以来、僕は小舟を頭上に置くトラウマになっていて、そのトラウマのおかげで難を逃れたこともある。 45年前、15期のコーチをしていた時、1分半の息こらえ素潜りで、一人がブラックアウトして、頭上の舟に揚げて助けられた。岸に曳航して引き上げなどしていたら、無事ではすまなかっただろう。 今のメンバーの能力では、全く危なげはないが。 水温は25℃だったので、ウエットでも良かったのだが、ドライにした。 ウエイトは、7キロのベスト、BCのポケットに4キロ、レッグに1。7キロ、水深が2m以下と浅いので、どうかと思ったが、もしも軽ければ、少し泳ぎでて、3mから潜ればいいだろう。 みんなが戻ってきたので、一緒にでる。僕のガードに、OBの責任者である衣川と他現役1名が付いてくれた。 桟橋から飛び込むのに少し浅い。タンクを背負って立ち跳びでは、足が着いたら危ない。背中のタンクから落ちる、何というのか背中落ちEN.で飛び込む。カメラは衣川君に持ってきてもらった。 カメラは何時も通り、オリンパスのTG4とGOPROを並べ、GOPROの動画は回し放し。ライトはフィッシュアイの2500を50%で点ける。 僕のコースは、昔と同じだが、短めのコース。桟橋からまっすぐ沖に向かい。入り江の出口、禁猟区の境目から少し先にでたあたりまでで引き返す。 泳ぎ始めると、水深が2mあたりから、ガラモ場(ホンダワラ類)が広がっていて、海藻をかき分けて海底を這う。 ドライスーツで身体が重い。気持ちよく泳げない。
このごろ、こんなガラモ場は久しぶり、佐渡に行ったのも、既に5年昔か。 外房の白浜は、カジメ場だ。板田は、ガラモ場はここまで豊かではない。藻の切れ目(底は石)に腰を落ち着けて、周りの魚が出てくるのを待つが、はかばかしくない。少し沖にでた切れ目でチャガラに群に出会う。もう一つ先の切れ目、海藻をかき分けて、2畳ほどの切れ目を見つけて行くのだが、ソラスズメがいたが、小さな群だ。その先で、イセエビの髭が見えた。奥までは見えない。稚エビの穴が見えないかと探したが、見えない。その代わりに這い出ているイセエビに出会った。逃げないのでゆっくり撮影した。頭を水面に出してみると、入り江の境界線からやや沖、到達予定点に来ている。 そろそろ戻ることにした。水深は3m、残圧は100ある。ドライだから寒くはない。戻る理由は何もないのだが、戻ることにしてしまった。せっかく良い場所に来ているのに、粘り、根がなくなっている。 良い写真を撮りたいという気持ちがなくなっている。どうなっているか記録すれば良いだけの気持ちになっている。 ムツの小魚の群が海藻のうえに停滞している。撮影には、ちょっと遠い。 コンパスでぴったり戻ってきて、コンクリ桟橋は上がりやすい。ウエイトとタンクを上回りの山川先生にお願いして、楽にあがった。衣川くんと現役の二人は、沖に引き返した。スノーケル、水面移動で、僕が上がったあたりまで行って潜る。 みんなが上がってくるまでに、身支度をして、挨拶だけして、速攻で戻る。 帰りはアクアラインが渋滞8キロというので、習志野周り、2時間半で東京に着いた。 こういう形での潜水部OB会、とても良い。現役とも一緒に潜れるし、僕ももう少し長い時間居た方が良いのかなとも思うけれど、あまりにも離れすぎていて、気苦労をかけるから、これで良いのだろうと思う・