写真は 大磯の潜水艦 魚礁
前回は浮き魚礁のことを書いた。 浮き魚礁の調査について前にブログに書いているので、できれば、見てほしい。 2015年9月26日 巨大浮き魚礁 http://jsuga.exblog.jp/24935387/ 2015年9月28日 巨大浮き魚礁でマグロを追う。 http://jsuga.exblog.jp/24941539/ なお、沖縄のパヤオについて、旧友で宮古島に行くたびに必ずお世話になっていた、24ノースのオーナー渡真利さんから、パヤオを沖縄にフィリピンから持ってきたのは、お父さんが平良の漁業組合長時代にフィリピンから導入したということで、これが、沖縄本島に行き、さらに、四国土佐に降りて行ったということなのだろう。 そして、さらに宮古のニライでキハダマグロが楽々と撮れたみたいなことを書いている。クロボクよりも、宮古の渡真利さんのところのニライに行けば良かったか?。親しい仲なのに情報の流通が今ほどではなかった。しかし、クロボクの冒険も減圧症などになっていれば、さぞ悔やんだことだろう。 ただ、そのニライ号も今は無いという。漁獲効果がなかったわけはないとおもう。老朽化して引退し、後継機が作られなかったのか。 浮き魚礁は、その年によって、潮流の関係などで、ポイントがはずれるとまるで魚が来なくなる。効果がなくなって、終わったのか。 ここから、人工魚礁の歴史について、 最新ダイビング用語事典から人工魚礁の沿革 水中に石や樹木を沈めて魚を集め漁獲を容易にした「柴漬け」、「石釜」などが人工魚礁の祖型と考えられている。歴史上に残されているものは、1652年には土佐藩の野中兼山が投石魚礁を浦戸沿岸で実施して以来、江戸時代、明治時代には沿岸各地で実施された。1935年頃には築磯と言う名称でコンクリート魚礁が利用され始め、1950年代になって人工魚礁という名称で国の事業として実施されるようになり、1970年代には沿岸漁場整備開発法の施行によって事業規模が大幅に拡大された。 1935年が本格的に魚礁事業が始まったといえるが、それ以前には、日露戦争や第一次大戦で活躍した軍艦などで、不要になったものが、沈められて、魚礁になった。 館山湾では、湾の中心付近水深25mぐらいに、水雷艇を沈めた水雷根と呼ばれる魚礁があり、僕と舘石昭さんは、1960年代の初頭、この水雷根を根城にしてよく潜った。当時は水雷艇の形がとどまっていて、狭い、畳三畳敷ていどの船室に入ることが出来、船室の前後左右がイセエビで詰まっていて、イセエビの中に入るような心地だった。写真が残っていない。舘石さんが持っていたかもしれないが、残念。 つい最近と言っても、2005年頃だったと思うが、どうしても水雷根にもう一度行きたくて、水産工学研究所の試験船「鷹丸」で調査した。水雷の位置には1。5角のコンクリート魚礁が散乱していて、水雷艇はない。おそらく、魚礁ブロックの爆撃でつぶされたのだろう。船の丸いガラス窓が一個だけ、海底で寝ていた。 散乱している魚礁ブロックはかなりの数があったが、イセエビなど一尾も居なかった。 伊豆では、電車とかバスも魚礁として沈められていたが、おそらく同様だと思う。 参考に大磯にあった潜水艦魚礁をしめす。これも1970年代の写真なので、今は崩れてなくなっていると思う。 大磯は人工魚礁オリンピックが行われたところ、今一度行って見たい。
写真 大磯の潜水艦 人工魚礁初期のいきさつを別の視点から見てみよう。 参考にしたのは、「人工魚礁技術研究」いまこの報告書は、継続していないが。人工魚礁の基本的なことを調べるには良い資料なので、大事にしている。2000年9月 第二巻1号 通算2号「魚礁事業について 高頭芳雄 」昭和37年ー39年 1962-1964に刊行された資料を抜粋して掲載している。執筆者は水産庁漁業振興課のお役人である。 その中から、データとして必要部分を書きだした。「戦前 昭和7ー8年頃(1932-33)に沿岸漁業振興の為に、石材、沈船礁造りなどに事業補助が行われた。」 これが、国としての補助の始まりであったのだろう。館山の水雷などもこれにあたるのだろう。「昭和27年から浅海増殖開発事業が取り上げられ、約7カ年計画で実施された。」「29年から36年の8カ年で並型魚礁として、コンクリートブロック、約266000個が投入された。大部分が1m角」 これがコンクリートブロック投入の本格的な始まりであり、大学4年生の僕が浦賀、鴨居漁港で危機一髪のエア切れをやったのは、この頃に入れられた魚礁であったと思う。考えて見れば魚礁事業の開始から潜水している。この潜水については、ニッポン潜水グラフィティに書いている。 その後魚礁設置事業は加速度的に規模を大きくしていく。日本の水産が魚のためにやれることと言ったら魚礁事業くらいしかないのだ。
写真、安乗のイセエビ目的の投石礁 投石ですめばコンクリートブロックなど作らなくて良いのだから、コストパフォーマンスは良い。 我が館山沿岸には投石礁は見られないが、(あるかもしれないが、知らない)伊豆七島は、投石フアンが多かったらしく投石礁が多い。 また、コンクリートブロックの初期の型は、角型の立方ブロックの他に、円筒形の横に窓を開けたような円筒ブロックもあった。
埋まる途中の?円筒ブロック
すなわち、従来のような人工魚礁沈設は終りになり、よりおおがかりな マウンド礁 など、および、より小さな、漁港区域内での増殖効果に移行している。沖合漁業の衰退が深刻になってきており、その力を入れなければならない事態 そして小規模な沿岸漁業は、水産業としてはどのようになるだろう。成り行きを見る他ないのだろう。その成り行きをレクリエーショナルダイビングの視点で見て行こうとしている。