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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0901 海底二万里

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 海底二万里150年読み継がれている 世界初、潜水器で潜水する冒険SF 
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 左は新潮文庫 右は岩波文庫
 ※「ダイビングの歴史」のコラム の下書きの下書きである1864 ☆1864年、フランス人鉱山技師ブノア・ルーケロル Benoit Rouquayror)とフランス海軍軍人のドネルーズ(Denayrouze)は、背中に球形の小さな空気容器を背負い、後のアクアラングの原型とも言えないことはないレギュレーターを使った潜水器を作った。未だ、タンクの耐圧が低く、救急脱出用程度の時間しか呼吸を持続できなかったから、ホースで空気を送る送気式として使われた。フーカー潜水機の祖である。 1870   ジュール・ベルヌは、今も読み継がれる「海底二万里」に、このルーケロルの潜水機を使っている。 岩波文庫「海底二万里」朝比奈美知子訳から ノーチラスのネモ船長が教授に潜水機について説明する。「ルーケロル(※ここでは、名前について、この本の訳文で使っている読みを使うことにする)ドネルーズ装置を使うのです。中略 装置は鋼鉄製の厚いタンクになっており、その中に50気圧で圧縮した空気が備蓄されています。そのタンクは背負いひもで兵士のリュックサックのように背中に固定されています。その上部は箱状になっていて、そこから空気が出てきますが、ふいご装置により調節され、通常の圧力弟子かでてこないようになっています。中略 わたしは、海底で相当な水圧を受けますから、頭を潜水夫のように銅製の球状キャップで覆う必要がありました。この球には、吸気と排気の二つの管がとどくようにしているのです。」

 8時間潜水可能ということで、何か特別の酸素発生装置をつかっているようなことを考えていた。しかし、単純に50気圧の充填圧だった。ベルヌの想像では、50気圧で一日半の潜水が可能だったのだ。当時、1870年には、50気圧でも途方もない高気圧だったのだろう。

 潜水服については、「船長の合図で二人の乗組員がやってきて、この水を通さない重い服を着るのを手伝った。それは縫い目のないゴムでできており、相当の圧力に耐えるようにつくられていた。まるで柔らかくて丈夫な鎧のようだった。服はズボンと上着から成っていた。ズボンの先端は鉛の靴底のついた厚い靴になっていた。上着の布は銅の薄片で保護されていた。それが胸を装甲して、水の圧力から守り、肺が自由に動ける用にするのだ。袖の先端は柔らかい手袋になっており、手のいかなる動きも妨げないようになっていた。」 これで見るとドライスーツであることは間違いないが、大気圧潜水服であったかどうかはわからない。しかし、ネモ船長らは、この服で300mまで潜るのだ。 そして、急浮上は危険だとも書いてある。もちろんSFの世界だから、これで良いのだが、セミ大気圧服とでも言おうか。 とにかくこの装備で一日半以上、水深300mまで潜る。潜水してのシーンも多く。潜水冒険小説でもある。

 ベルヌの1870年からおよそ150年、人類はまだ海の中でベルヌの描いた夢を実現していない。 そして、人類の夢は有人潜水から去ってロボット、無人潜水機に移っている。  南フランスのエスパリオン(Espalion)は、このルーケロル潜水器が生まれた街であり、記念の潜水博物館がある。ここに行けば、この潜水機の実物が見られるはずである。行っていないので、1870年のものか、レプリカなのかわからない。エスパリオンは、たしかこれで実際にルーケロルたちが潜水テストした川であり、博物館では 潜る実験、イベントを行ったはずである。 日本でも、大串式のレプリカを作って実際の潜水をするくらいの文化があれば、と夢見る。 ところでベルヌはフィンを履いて魚のように泳ぐという発想をしていない。ベルヌは泳げなかったのだとおもう。  映画「海底二万里」はディズニー映画であり、ディズニーシーには、ノーチラスの展示がある。僕はまだディズニーシーへ行っていない。近々のうちに行きたい。行かなくては。 ディズニーシーの潜水機はルーケロルの形ではなくて、ディズニー映画のために作ったもので、その潜水服は、東亞潜水機で作ったと聞いている。  なお、文庫の海底二万里の挿し絵も好きだが、アルフォンス・ド・ヌーヴィルが書いた。知らない名前だけど。
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 いろんなブログを書いているので、終わりのところで、整理して書いておくことにした。今書いているブログをジャンル分けすると。 ① 記録 ログ ② 下書き できれば出版を目指す原稿の下書きのさらに下書き。 ③ 考えの整理  で、現在ぶら下がっているものを書き出す。 ① の記録は、どこかにダイビングに行ったり、ワークショップなどイベントをしたものはここにいれる。お台場潜水、なお、館山は人工魚礁と重なるので、人工魚礁のセクションに入れる。 ②の①人工魚礁 ②の②ダイビングの歴史  ③の① ワークショップ企画の整理     次回ワークショップのテーマ ヘッドマウントのウエアラブルカメラによる人工魚礁調査解析 例いわき市江名魚礁 福島第一調査にどのように展開するか。 ③の② ダイビングの安全(危険)と運の関係 これは一回目を書いてあるけれど、いろいろ差し障りがありそうなので、キープ(出さない)している。  さて、今書こうとしているのは、②の②ダイビングの歴史である。 2016年のシンポジュウムで、最新ダイビング用語事典Ⅱの制作を発表した。そのメインテーマをダイビングの歴史として、シンポジュウムの小展示も船の科学館の展示品を借用してマスク式潜水の沿革(歴史)を発表した。 最新ダイビング用語事典のⅠは、事典である。最新ダイビング用語事典Ⅱも事典としたから事典(なんだか変)と考え、その一部が年表の充実とした。しかし、資料を集めているうちに、もうこれは最新ダイビング用語事典ではなくて、「ダイビングの歴史」としてしまった方がすっきりする。ダイビングの歴史の中で、現在も語れるし、未来も語れるのだ。  ダイビングの現状について、いろいろ意見がある。ダイビングの近未来についても、いろいろいいたい事がある。 自分としては、ものを書くときに、誰かが一生懸命やっていることを貶さないという原則をたてている。それは良いのだが、批評してはいけないというのは、不自由である。 歴史の流れの中で、現在について、未来について語れば、批評ではなく自分の意見が言える。 

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