「銀幕の向こうに海が呼んでいた」 ☆2000年を記念した月刊ダイバーのダイビング50年史特集と、ダイビングワールド100号記念で、これは1983年12月の特集で、ダイビングの揺籃期から、その時までの歴史をまとめた特集だ。「ダイビング豊穣の時代」。 ダイビングワールドの1983年からダイバーの2000年まで、20年の歳月が流れている。 一つ前のブログで スキャンコピーを紹介した。全ページコピーしたのだが、読むと、今読んでおもしろい。今読むからこそおもしろいのだろう。全部ブログで紹介したいくらいだが、無理。 いくつかを紹介して行きたい。 そして、この「ダイビング豊穣の時代」を編集した当時の編集長 岩村さんは、現在フェイスブックの友達だ。社長だった黒川君は、潜水部の後輩で、話せば長いつきあいだ。彼も、フェイスブックでつながっている。そしてさらに、今日、紹介する「銀幕の向こうに海が呼んでいた。」を書かれた後藤和夫さんもフェイスブックの友達である。後藤さんとは、水曜スペシャルの時代にテレビの撮影を一緒にやった。未だに忘れていない。驚天動地と言っていい、無人島の番組、「横井庄吉さんと7人の美女」をやった。このごろ、中川が無人島の権威者?になっているが、もっと飛んでいる。その無人島のことは、ここでは書くスペースがない。 前置きはそのくらいで、「銀幕の向こうに海が呼んでいた。」ダイビングワールド1983年の昔から、さらに昔をさかのぼっての解説である。解説は紹介するのは大変なので、映画の題名と日本公開の年だけを並べる。それだけで、いくつもの記憶が蘇る。これらの映画を見られなかった今の人たちは気の毒?と思ったりする。まさに豊穣の時代だったのだ。 ☆「青い大陸」1954年 純酸素のリブリーザで撮影している。 ☆「沈黙の世界」1956年 言わずと知れたジャック・イブ・クストー ☆「太陽のとどかぬ世界」1964 これもジャック・イブ・クストー、この映画から海底居住が始まった。
☆「海底二万マイル」 1954年 ええつ!この映画1954年だったのだ。記憶に合わない。ネット調べてみたら、やはり1954年だった。東亞潜水機が潜水服をこの映画のために作っている。 1954年は特別の年、1953年に東京水産大学に紹介されたアクアラングが、公式に日本にアクアラングがやってきた時、そしてその翌年1954年に水産大学の小湊実習場で潜水実習中の学生2名が亡くなる。僕の原点だ。 ☆「海底の黄金」1955年 ジェーン・ラッセル といっても今の人にはわからないだろう。巨乳の元祖。 ☆「チコと鮫」 1962年 青い大陸を撮ったフォルコ・クイリチの作品、音楽が今でも耳に残っている。鮫と子供の友情話 ☆「007 サンダーボール作戦」1965 ジェームスボンドがタキシードにドライスーツを着て出てくる。 ☆「イルカの日」1973年 人間の言葉を理解するイルカ ☆「ジョーズ」1975 説明不要 ☆「ザ・ディープ」1977年 ジャックリーヌ・ビセット もう一度見たい。 ☆「海の若大将」1965年 これもおどろき、1965年だったのだ。このとき僕は、撮影する大型35mmカメラのハウジングを作り、水漏れさせた。水没はしなかったけれど大変な騒ぎだった。1965年だったとは! なんだ、記事紹介というより、自分勝手な説明。一つ一つの映画について書くと、際限もないほどの思いでがある。一つの映画で、一回のブログが書ける。
※ スキャンからの複写なので写真が不満足だが、ご容赦。
☆「海底二万マイル」 1954年 ええつ!この映画1954年だったのだ。記憶に合わない。ネット調べてみたら、やはり1954年だった。東亞潜水機が潜水服をこの映画のために作っている。 1954年は特別の年、1953年に東京水産大学に紹介されたアクアラングが、公式に日本にアクアラングがやってきた時、そしてその翌年1954年に水産大学の小湊実習場で潜水実習中の学生2名が亡くなる。僕の原点だ。
※ スキャンからの複写なので写真が不満足だが、ご容赦。