7月18日 館山 西川名 オーシャンパーク6時事務所出発久保さんの車8時半頃 着 今度の短い旅の目的であるが、日本水中科学協会の中心理事(代表)である白井さん、久保さん、できれば中尾先生もおいでいただければ、と望むけれど超多忙でむり、そこで、三人で、語り合ったことを白井さんの「アオバ」の季刊誌に掲載する。と、そういうことらしい、らしいというのは、僕がそのように思いこんでいるという意味で、三人で潜水できるチャンスなどなかなかない。ので、喜んで出かけてきた。 11時に白井さんが来てから乗船だったのに、すぐに支度をしてしまう。 白井さん到着 ガイドのAさんから、水温が表層で21℃、底で19℃、透視度は3から5mと知らされる。水中で撮影して季刊誌に載せるのも目標の一つなのだけれど、それは、ほぼ絶望だろう。 3mmのワンピースにフードジャケットを持ってきている。21℃だったら、ドライでないといけなかったのか? 11時まで、猫をかまったりして過ごす。最近、魚にあきて、猫の研究をしているらしい、とは、久保君の言であるが、魚に飽きることはないのだが、猫という生き物は、面白いとともに、現代社会の重要テーマでもある。 水中撮影であるが、カメラはフィッシュアイのライトをつけたステイ(枠)に、GOPROとニコンクールピクスを並べているが、最近の組み合わせである。もっとライトを付けたいが、水中での運動性能(取り回し)を重視すると、こうなる。久保君のDPV を使う可能性もあるので、ハンヅフリーにしておきたい。マスクマウントを使うので、マスクをダイブウエイズの最新マスク、アイアイに換えた。このマスク、ようやく調子が出てきて顔に合うようになってきた。もしかしたら、これが究極かもしれない。 そこで、またもミステークであるが、ステイにも、マスクにもカメラを付ければ良いのに、カメラステイの方を外してしまう。カメラの台数は十分にあるのだから、両方に着けておけばいいのに、ステイの方を外してしまうのだ。そのミステークの根底には、水中に持ち込む機材はできるだけシンプルにしようとするコンセプトがある。久保君は常に許される限り、必要が予測される機材はすべて持って行くというコンセプトである。 この透明度では、クールピクスの画角よりもGOPROの画角がつかえる。同格にステイに付けておくべきであった。 ウエイトは式根島スキンダイビングで5キロだったので、5キロ付けた。スチールタンクだから4キロ、3キロでも良かったのだが、西川名のように流れが予測されるところでは、重くして、潜降を早くして、流されないうちに、海底に降りてしまいたい。これは、僕のスタイルであり、ここでは正しくは無いのだが、 ここのエントリールールは潜降索につかまって降下して海底集合だ。 流れは無いということだったので、飛び込んで少し沈んで、潜降索を目指して泳ぎ、つかまって潜降すれば良いと僕は思ってしまっている。これが最近のホームである波左間でのパターンだ。西川名は、最近の僕にとっては、アウェイなのだ。 ボートの上で、ガイドの A さんとあいさつ、彼はビギナーに近い女性を連れている。僕たち三人は放っておいても大丈夫。この5人のグループで潜る。潜る寸前に、久保さんから「DPVを使いますか?」と聞かれる。透視度5mでカメラを片手に持って、しかも、海でのDPV初体験だ。流れもありそうだ。「遠慮します。」と答えておいた。 飛び込んで態勢を立て直して、BCの空気を抜こうとした。潜降索とは、5mぐらいの距離だ。少しくらい流れがあっても問題ない、と思った。と、ガイドのAさんが、僕にDPVを取り付けてくれようとしている。DPV用のハーネスは着けている。エントリーの寸前に、久保君と話して、僕はDPVを使わないとしていた。Aさんには、これが伝わっていない。そんなこんなしているうちに、少しボートから離れてしまった。Aさんは強く僕をつかまえて、僕を引っ張ろうとしてくれる。しかし、僕は強く捕まれて、身体の自由が利かなくなる。放してくれともがくのだが放してくれない。ここでのルールは、ゲストは潜降索に至るガイドロープを手放すことなく、手繰って行って、潜降索に掴まって降りて行く、自分でBCの空気を抜いて潜降してはいけないのだ。後になって思い出したのだが、ゲストを連れて、ここに来ていた時、そのうちの一人が、ガイドロープを手放して、少し流された。これを追って、元に戻るのが大変だった。 だから、僕はしっかりつかまれている。 僕は自分のスタイルで、目の前に見える潜降索まで、BCの空気を抜いて、泳いで行こうとしている。そのほうが速いのだ。しかし、左手を捕まえられていて、右手にカメラを持っているから、何もできない。上から見ていると、僕が溺れて、救助されているように見えるだろう。放してもらおうとするが放してもらえない。ガイドとしては放すわけにはいかない。もう任せて曳航してもらうほか無い。 今日は流れていないと聞いたけれど、西川名としては、流れていない方だが、やはり流れがあり、ボートからかなり離れてしまった。泳いで戻るのはつらい距離だ。DPVは力があるので、進む。 潜って進んだ方がいいと合図する。それが通じたからかどうかわからないが、潜降して走り、ブイの根本にもどった。白井さんが待っていて、ガイドのA さんは水面に浮上していった。なんだかわからないけれど、彼が戻ってくるまで待たなくてはならない。彼はゲストを置き去りにして、僕の世話をしていた。それにしても、白井さんはよくここで、一人で待っていてくれたものだ。白井さんと一緒に潜ったのは、1967年のはずだから、50年祭だ。動画で見ると、なかなかのものだ。現時点の僕よりも良いかもしれない。 ガイドが残して行ったDPVを持って、試してみている。僕はそれを撮影する。そうなのだ。最初から、とにかくDPVは持って潜って、海底で使って見れば良かっただけの話なのだ。その持って入るとき、ハーネスに連結しておけば、中性浮力のDPVだから、手にしている必要はない。手放してさばけば、潜降索に掴まって潜ってこられる。外す必要などなかった。それが、このDPVの優れた点なのだ。あとで聞いてみると、Aさんは、僕がDPVを使えると思って、取り付けてくれたのだ。僕は、これを走らせて潜降しなければいけないと思いこんでいて、自信がなかった。以前に使っていた水中スクーターとこのDPVの違いは、そこなのだ。と、僕は福島でDPVを着けた久保さんと一緒に潜っているのだから、知っていなければならないことだった。 白井さんのDPVの走りをニコンで撮影したのだがあまりよくない。マスクマウントのGOPROの方が見られるのに、マスクマウントでは、手で構えたカメラがその中心に写ってしまう。今も思えばニコンは構えずにマスクにつけたGOPROだけで追った方が良かったかもしれない。マスクとステイ両方にウエアラブルカメラ付けておけば良いのに外してしまった。 しかし、こういう馬鹿を重ねることが、ダイビングを続けることの意味だと思っている。試行錯誤の連続積み重ねのない人の言うことは、なるほどなるほど、と聞くだけだ。 ここに書かなかった他、たくさんの反省、つまり経験をする事ができている。 年老いると経験を積むのに比例するように、フィジカルが削られる。フィジカルが削られる分だけ経験を積まないとダイビングを続けることができない。若いころは、失敗は無かった?そんなことはない。ダイビングの失敗に重ねて、仕事の失敗もある。結局のところ、ダイビングとは、失敗の連続だが、その失敗が致命的なものにならない範囲に留めて、続けて行くものなのだ。それにしても、失敗が少し多すぎるか? ガイドが初心者らしい女性ゲストの手を引いて潜ってきた。DPVはそこに置いて、ガイドについていく。僕はV字谷に行くのかと思って後をついていく。なかなか谷の前面の大きな根が見えてこない。あとから聞いたら反対側のサメ穴の方に向かったのだ。V字谷なら、20m余りだが、 サメ 穴ならば50m余りだ。空気は80でターンの約束だ。往路で、もう110ほどしかない。僕ならばリターンだが、初心者のゲストをつれている。潜ってきたばかりだ、何も見せないで、戻るわけには行かないだろう。そのまま進む。サメ穴に到着してガイドが大きなヒラメがいるのを教えてくれる。これを真剣に撮ろう。撮るのだがニコンのタイムラグが大きく、連写できない。とにかく10枚ぐらいシャッターを押した。ガイドが戻ってきてゲージを見せたのでこちらも見せて戻ろうとシグナルを出した。70ぐらいだ。 濁っていて周囲の景色は見えない。戻りも長く感じたが、潜降索根本で残圧は50ぐらいだった。ゆっくり上がるのだが、どうも僕の平行感覚が浮上の圧の変化に追従していないようだ。ちょっと停止してさらにゆっくり上がる。 水面ではかなりの流れになっている。カメラを受け取ってもらって、梯子にとりついて、右足を水面にあげてフィンを外してもらう。次に左足も同様に外してもらって、梯子を登る。タンクが重い。上げに来てくれた石川君の肩を借りて、上がる。 11時31分潜降開始 最大水深21。7m 潜水時間30分 水温20℃ 盛大に浮上速度違反のマークが点滅している。 僕の浮上速度は、60年間のダイビングライフ全般で速度違反だったのか。水深1。5m辺りの速度が速かったのか?そんなこと言ったって、この流れでは不可能というべき。 今日の場合は、後から浮上してきたグループで潜降索が混雑して押し上げられた感がある。8ー10人が一本の索につかまって減圧する事も不可能である。減圧停止ではなくて、セフテイストップだから別にかまわない?が。机上の空論が形になったものがダイブコンピューターだ。 ウエイトは海底で2キロオーバーだった。 3mmとフードベストでは、浮上の寸前では寒く感じた。震えるほどではない。ドライスーツだったら、エントリー直後の混乱を切り抜けるのが難儀だったろう。
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