朝起きて、メールを見て、整理する。最近、メールの一つが迷惑メールに犯されていて、修復ができないので、雑草を刈り取るように駆除しなくてはならない。 それから、フェイスブックをみる。これがくせ者なのだ。頭の中が占領されてしまって、その時点でなにか有用なちょっとした思いつきが頭にあると、それがかなり重要なことでないと、フェイスブックという消しゴムで消されてしまう。残念なことなのだがもはや複数のチャンネルで同時進行で考えることが難しくなっている。 出かける約束がないと、その後、頭の中が、空白になってしまう。これは、かなり快いものでもあるので、たとえば、今日のように土曜日、日曜日であったりすると、その空白に身を、いや、頭をまかせてしまう。そして、趣味的な読書に入り込んで行ったりする。これがとらわれてしまうような小説であったりすると、つかまってしまうので、なるべく避けるが、なかなか難しい。避けがたい。 いまのところ、ダイビング誌、ダイバーとかマリンダイビングの整理、スキャンコピーとカードつくりを日課の一つにしているので、積んである未決?を手にとって、目を通して付箋つけをする。これは、読書と仕事の両方にまたがるので、かなり両得の気分がして良い。 フェイスブックもそうなのだが、付箋付けでも学んでいることがある。それは、人それぞれであり、それぞれが真剣になって取り組んでいるものであれば、それはそれなりの評価をしなくてはいけないということだ。批評であれば間違いを探すのだが、批評家になってしまうと、クールな視点が失われてしまう。 過ごしてきた人生を振り返ると、もう少しクールな視点で見ることができていればと反省するとどうじに、熱血も悪くはなかった。敗北はしたが。 2013年以降の「ダイバー」自分の書いたグラフィティだけを見て、他の記事を注意深く読むことが無かった。それとも、あまり大したことではないと、投げていた。しっかり目を通して見ると、知らなかったことがたくさんある。業界というか、人の流れも、ずいぶんと知らなかった。 最近になってだが、「ダイバー」と「マリンダイビング」の違いに思いを致している。「マリンダイビング」が近くの古石場図書館にあるので、端から借り出してきて、ファイルしている。「ダイバー」は、後発なので、図書館にはない。 まだ、総合的な考えはまとめていないが、二つの雑誌の軌跡を追うことは興味深いとともに、ダイビング社会について、得るところが大きい。 いずれにせよ、1970年代の「海の世界」そして「マリンダイビング」に見られるダイビング社会が追い求めていたその結果が、今の「ダイバー」「マリンダイビング」の世界なのだ。僕の持っている資料、は、1980年代の初めで終わっていて、2012年に再開する。この30年間の溝をなんとか埋めなければならない。今の整理が終わってから真剣に考えよう。
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