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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0623 射しこむ陽の光、 カメラワークについて

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浦安海豚クラブのホームプール(そんなものを持てる今が、うれしいことなのだが)の天井がバブリイに高く、開放感がある。バブリイと言ってはいけないかな。天気の良い日には、天窓から日差しがプールに差し込む。 僕たちの練習は朝一だから、プールの水は浄化して、一番先、一番風呂、輝くように透明だ。
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 そんな日にプールサイドから水中を見下ろすと、水を通して差し込んだ日の光が、天窓の巾を映して、プールの底に光の帯をつくる。帯は水面のリップルに合わせて光の漣をつくる。これだけを見ていても良い。 いつも昔話になってしまうのが、ちょっとばかり気に入らないのだが、今も生きているのだから、まあ我慢して、1980年代の始め、電通映画社で「アイ・エクスピアリアンス」と名付けた環境映像のシリーズに参加した。環境映像、今では普通のことになりすぎて、おもしろくもおかしくもないのだが、部屋の中に大型、といってもまだ20インチがせいぜいだが、大きなモニターに、三脚をたててビデオテープを回しっぱなし、できれば1時間以上撮影したものを流す。見るともなしに見ることで、心がやすらぐ。そんなものだ。
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 それを撮るために北海道知床の原生林の中の、神の瞳ともいうべき湧水の、神の子池に一年通った。この瞳は、キタキツネの親子を一年追った時に見つけた。林業署以外は誰もしらない。林道の奥深くにあった。今では、僕たちの撮影が有名になったことが、災い?して公園になってしまい、泉の周囲の原生林は伐られて、芝生になり、ベンチが置かれている。熊がでた林道も広げられて、熊もでにくくなった。泉の中だけは、おかげさまで、昔通りだが、掘り広げられて大きくなった。良いことか悪いことか、このごろは考えないようにしている。やがて、人類が死滅するようなことがあれば、元に戻るだろうが、死滅を望んでいるわけではない。
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泉の中に大きなカメラを持ち込んで、撮影した。む。これも自然破壊といえば言える。 数日前、海底に三脚を立てることの是非をフェイスブックで、やりとりしたが、泉の中に三脚を立てて、カメラを回す。原生林からの木漏れ日が、泉の中を日時計のように回って行く。オショロコマが、水の表に飛ぶ羽虫を追って、水面から跳ね上がる。 この撮影が僕のカメラマンとしての、第二の、いや、第三の原点だったか。原点がいくつもあるが、とにかく、その原点の一つだった。水中に差し込む太陽の光、原生林の木漏れ日、浦安運動公園、屋内プールの天窓から漏れてくる、天窓の巾の光の帯。比べるべくもないが、透明な水に差し込む光に替わりはない  ちょっと三脚の是非に話をもどして、カメラを固定して、自然を動かす、生き物を動かすことが、動画撮影の基本の一つなのだ。僕の原点の一つでもある。 映画、動画を撮り始めたころ、カメラと脚とは切り離せないもの、二つが一つでカメラなのだとする考えが主流であった。水中撮影でも同様という人が多かった。海底に足を踏ん張ってしっかり立つことが基本である。 しかし、僕は、クレーンショットが、クレーンを使わずにできることが、水中撮影の真骨頂と思っていた。クレーンショットとは、クレーンの上に三脚を載せて、立体的にカメラを動かすショットで、クレーンは、チューリップの花弁のように上下に開くので、チューリップクレーンとも呼んだ。そのクレーンをレールを敷いたトロッコに載せて移動させる。 水中では、トロッコもクレーンも無くて、同じような撮影ができる。但し、練習が必要だ。カメラと身体が一体になって、カメラブレを起こさずに立体的に動かなくてはならない。自分で言うのもおこがましいが、驚異のバランスと言われた。 そして2010年日本水中科学協会をつくって、久保君がプライマリーコースをつくった。水平のトリム姿勢が基本である。今でこそこの姿勢とフロッグキックが普及して、スクーバはこれでないと格好が悪くなった。こんなものすぐにできると思った。しかし、できないのだ。半日も練習すれば、形はできる。しかし、カメラを持ち、ファインダーを覗くと自分のバランスに戻ってしまう。およそ2年やってあきらめた。この歳で、自分の撮影スタイルを崩して、新しいバランスは無理だ。もう仕事で難しい撮影をすることもない。そうこうしているうちに、老いはバランス感覚を蝕む。自分のスタイルも含めて、すべてのバランスを失ってしまった。まあ、失っても浮いては居るし、素人目にはわからないかも知れないが、自分の身体が覚えているバランスがとれないのだ。 若い人には、最初から、トリムのバランスに習熟するように薦めている。 ただし、トリム姿勢のカメラワークは、前進後退はできる。旋回はできるが、チューリップの花が開くような三次元のカメラワークはできにくい。上下動しないような泳ぎ方なのだ。つまり、クレーンショットはできにくい。  慶良間、アカ島の西浜に飛び離れた小さい、径が5mほどのロック、パッチリーフがある。絆創膏を砂地に貼ったパッチのようなリーフだ。有名だから誰でも知っているだろう。環境映像時代、20分のカットを連続して、根の周辺をめぐるクレーンショットで撮る映像を撮った。数年後に行ってみたら、岩の上を覆っていた薄紫、薄い青、薄いピンクのソフトコーラルが、姿を消していた。沢山のダイバーが押し寄せて、多分砂を巻き上げたのだろう。ソフトコーラルは、砂に強いともいうのだが、あまりの大勢では、ダメだったのだろう。直接に蹴飛ばす人も居たのかも知れない。だから、着底するなということも、よくわかる。 カメラワークについて、足を踏ん張る。膝を着いて身体を安定するスタイルは許されなくなったが、生半可泳いで墜落するよりも良いから着底スタイルもありかとも思うけれど。 
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 三脚を立てるなといわれたら、困る。また、カメラを固定して生き物を動かす撮影ができなくなってしまう。三脚は、砂地を選んで、うまく立てれば、インパクトは最小にすることができる。どこにどんな風に脚を立てるか、わからなかったら、ガイドをアシスタントとして、使えばいい。このごろ、ガイド会とか、ガイドが写真に励んでいる。それは、とてもよいことだけど、ガイドの本業はお客に良い写真を撮らせることにある。知床、羅臼の関君も、西表の矢野君も写真家として一家を成しているが、僕をアシストするときはカメラを持たなかった。僕には、先輩としての礼をとってくれて、アドバイスしてくれないけれどアドバイスしてくれた方が良かったと思うこともあった。彼らとの潜水は、また別の機会にのべるが、ガイドが良いカメラマンであれば、アシストも的確になる。ガイドがガイドするときにカメラを持つことの是非、これも三脚と同じ程度の問題なのだが、それは置いておこう。  映画のカメラマンが撮影することを、よく「カメラを振る」という。カメラを振り回すことではない。カメラを動かす時に細心の注意を払うということなのだ。カメラを動かすとき、三脚を軸にして旋回させることをパンという。良いパンができることにカメラマンは職人的プライドを持つ。三脚をトロッコに乗せて移動することをドリーというがこれもカメラを動かすことだ。ズームイン、ズームアウトもカメラを動かすことだ。 カメラを動かすとき、そのカメラは静止していなくてはならない。これが基本なのだ。カメラを振り回してもカメラが静止しているスタビライズの道具も最近では売り出されている。これによってドリーの時など、三脚を省略する事ができる。 水中撮影について言うと、昔はカメラが大きかったから、ハウジングのバランスをとって、中性浮力で浮かせておけば、水という緩衝材、油圧機構に載せているようなものだった。カメラマンダイバーは、カメラにつかまって浮いていれば良かった。カメラが小さくなると、そうは行かない。高価なカメラは、その内部に防止機構がついている。 それでも、カメラを固定することも撮影には必須である。そのために水中で使う三脚についても、カメラマンは、それぞれ、自然に与えるインパクトが最小になるよう工夫する。カメラが小さくなったことは、一方で、多様な工夫ができるようになったことでもある。今だったら、神の子池にあんな三脚を立てずに、10台のウエアラブルカメラを置くだろう。 要は、その場に応じて自然にインパクトを与えない最善の方法が選択できれば良いので、それもカメラマンのテクニックの内である。カメラマンが自然の中に入っていくという行為だけで、自然にはインパクトを与えているのだと知らなければならない。  中尾先生たちの仲間で、良く一緒に潜水したオランダの海綿分類研究者のリサは、美人で、絶対に着底しない。美人と着底は関係ないが、ノートを取っているときも、もちろん採集しているときも着底しない。日本の若い研究者も彼女たち、諸外国の研究者と一緒に潜水するときには、同じようにできなければいけない。早稲田の町田君は、プライマリーコースでダイビングを習った優等生だから、リサなみだ。中尾教授は、僕より若いから、僕より上手だけれど、採集するときは膝を着く。いうまでもなく、古いダイバーは、経験という武器があるから、それを駆使して補う。 フィジカルなテクニックについては、努力目標であれば良いと思っている。セフティの方が大事で、絶対命令だ。 研究者の採集も、広義の自然破壊だろう。同じようにカメラマンの撮影もそうだ。そのことを自覚して、できる限り自然にインパクトを与えないように努力する事が基本である。  だいぶ、長い寄り道をしてしまった。日の光が射し込む浦安運動公園プールのことを書きたかったのだが。

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