1972年1月 「海の世界」広告
TAC は1970年にできた。今では、かなり大きなアスレチックのチェーンであり、全国展開している。その中野店が始まりのはずだ。 場所は中野駅から2分、1ページの広告に見られるように、三つのプールを持っていて、空気充填も即できるとある。1972年であれば、画期的な施設で、5日間の講習でTAC ドルフィンカードを取得できる。全米潜水教師協会のライセンスといえば、NAUIのことだろう。
競泳プールと、水深5mのダイビングプール、そして水深15mのダークプールも持っている。ダークプール、すごいネーミングだと思う。このプールには水中の照明が無かった。当時のことだから、室内で水深15mならば、いやでもダークになる。 僕はこのプールで教えたことはなかった。後で確か新沼君か誰かが、ここでスクールをやっていた。僕はこのプールにたしか二度行っている。 なんでか、理由を忘れてしまっているのだが、一回は、ジャック・マイヨールに会っている。会いに行ったのか、たまたまいたのか、覚えていないが、インタビューとかをした覚えがないので、たまたま居たのか、ミーハー気分で見に行ったのかもしれない。 マイヨールは女の人と一緒だった。マネージャーのような顔をしていたが、これはマイヨール、いつものことだ。マイヨールとは何回か会っているし撮影もしたが、これが最初だったとおもう。海洋公園で記録潜水をするのだが、その前だったか、その後だったか、このプールで練習をしていた。僕はこのとき、一緒に泳いだ記憶はない。ずいぶん長い時間、ヨーガのようなことをやっていて、それからプールに入った。ダークプールではなくて、競泳プールにフィンを着けないで、ゴーグルで、往復何回か潜っていた。 水深15mのプールというと、人が死ぬ。15という数字がいけないのか、それとも、一応のトレーニングを積まないと、10mあたりに壁があるのか。 僕は13mに壁がある説を唱えていた。13という数字、そして僕は13mで鼓膜を破いた経験がある。 フリーダイビングのトレーニングをしたことがない僕の最高記録は29mだ。なぜ30mでないかと言えば、残り1mが危ない、と勝手に決めたのだった。 TACも人が死んだからか、15mプールは潜水禁止になり、今あるかどうか知らない。そして、大きなチェーンになった今、ネットで見る限り、ダイビングには関わっていない。誰かが、関わっているかも知れないが、視界に入っていない。 72年にドルフィンカード、国際ライセンス、水深15mのダークプール、そして、ジャックマイヨールと繋げて、そのままフリーダイビングにと続けば、今ではどうなっているのか?「世界でもフリーダイビングといえば、TAC」 という答えの可能性もあった。 「事故でダイビングから遠ざかったから、現在の繁栄がある。」 という答えもある。
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