しばらく、1970年代にタイムスリップしたい。2017年とは全く違うダイビングがそこでは行われていた。まず、まとめて概略を述べようかと書いていたが、やめにする。いろんなことを雑然と、雑誌の時系列に沿って、書いていく。雑誌のスキャンコピーの自分のためのメモ、のようなものでもある。 海の世界 72年1月は、海のレジャー大作戦特集である。
☆わたしの沖縄海洋博 1975年、3年後に開かれるEXPO75の計画を各方面から論じている。
基本構想が発表されている。 魚類学の泰斗である末広博士が、水中につくる施設である海底遊歩道に反対している。海を知らない人の発想だと、しごくもっともで、ぼくもそんなバカなものをつくるよりも水族館を充実させた方がいい。たとえば見たことがないほど大きな水槽とか。幸い遊歩道は造られずに、巨大水槽ができた。この段階の絵ではまだ、水族館も海の中に張りだして、遊歩道と繋がっている。
まだ、計画段階であり、具体的にはほとんど未定状態である。海岸につくるのだから造礁珊瑚を破壊することが心配されている。その心配を菅原久一さんが書いていた。菅原さんは、僕たちの師匠で、1950年代に日本のスクーバダイビング業界をつくった人の一人である。しかし、1970年代の海の世界には、ほとんど書いていない。 この時代は、海洋開発というと海の中に施設をつくろうという思想が主流である。すなわち、造礁サンゴの破壊である。 ☆この前の年、1971年にPADIの日本での活動組織、PADI潜水指導協会ができ、椎名克己、本郷淳(俳優)が中心だった。椎名さんも俳優(悪役)であり、俳優さんが集まってまずつくったというイメージだった。椎名さんが、ダイビングとスキーのスポーツマンギャラリーという、店だか事務所だかわからないハイブリッドをつくり、その中に、PADI潜水指導協会ができた。1971年のことだった。 本郷さんが文中で紹介されている。世田谷の下馬にマンボウというダイビングクラブをつくっていた。 僕は本郷さんとも椎名さんとも親友といえる間柄に、その後になる。
☆工藤昌男さんは、当時の本職がライターで、海の世界にはたくさん書いている。本当にたくさん書いている。「施設を全島に散らしてサンゴ礁を守れ」という論を展開している。僕ならばサンゴのないところ一カ所にまとめて、破壊は一カ所にとどめよう、と、今ならば思う。でもそれは今の考えであるけれど。工藤さんは海底遊歩道に反対していないようだ。 ☆広告を見ると当時の業界の情勢がわかる。 業界の情勢については、たぶん、次かその次かで少し詳しくのべる。 ☆潜水指導については、僕たちの日本潜水会と日本潜水教育協会 NAUIが、雑誌「海の世界」を二分していて、NAUIの訓練コース、そしてNAUIの教師氏名の一覧が掲載されている。
講師は田口哲さんが筆頭で、 潜水医学は、医科歯科大学の一条先生がNAUIの理事になっている。一条先生は、日本の潜水医学の泰斗の一人であるが、僕とは遠かった。 早稲田工学部の山根先生、液体空気のスクーバ、クライオラングをつくった先生だ。海洋公園の益田一さんが名前を連ねている。 教師、インストラクターの方は、亡くなってしまった親しかった松岡君、そして慶松さんがでている。
そのうち、人間関係相関図を書きたいが、これが、1972年のNAUIの図である。
※ スキャンしたコピーは、PCの上では拡大してもクリアーだが、ブログに載せて拡大すると、ぼけてしまうものもある。改善、の余地がある。以後からは、ボケたものは使わないようにしよう。
☆わたしの沖縄海洋博 1975年、3年後に開かれるEXPO75の計画を各方面から論じている。
まだ、計画段階であり、具体的にはほとんど未定状態である。海岸につくるのだから造礁珊瑚を破壊することが心配されている。その心配を菅原久一さんが書いていた。菅原さんは、僕たちの師匠で、1950年代に日本のスクーバダイビング業界をつくった人の一人である。しかし、1970年代の海の世界には、ほとんど書いていない。
☆工藤昌男さんは、当時の本職がライターで、海の世界にはたくさん書いている。本当にたくさん書いている。「施設を全島に散らしてサンゴ礁を守れ」という論を展開している。僕ならばサンゴのないところ一カ所にまとめて、破壊は一カ所にとどめよう、と、今ならば思う。でもそれは今の考えであるけれど。工藤さんは海底遊歩道に反対していないようだ。 ☆広告を見ると当時の業界の情勢がわかる。 業界の情勢については、たぶん、次かその次かで少し詳しくのべる。 ☆潜水指導については、僕たちの日本潜水会と日本潜水教育協会 NAUIが、雑誌「海の世界」を二分していて、NAUIの訓練コース、そしてNAUIの教師氏名の一覧が掲載されている。
講師は田口哲さんが筆頭で、 潜水医学は、医科歯科大学の一条先生がNAUIの理事になっている。一条先生は、日本の潜水医学の泰斗の一人であるが、僕とは遠かった。 早稲田工学部の山根先生、液体空気のスクーバ、クライオラングをつくった先生だ。海洋公園の益田一さんが名前を連ねている。 教師、インストラクターの方は、亡くなってしまった親しかった松岡君、そして慶松さんがでている。
そのうち、人間関係相関図を書きたいが、これが、1972年のNAUIの図である。
※ スキャンしたコピーは、PCの上では拡大してもクリアーだが、ブログに載せて拡大すると、ぼけてしまうものもある。改善、の余地がある。以後からは、ボケたものは使わないようにしよう。