お台場の水中というと、汚い、富栄養化、貧酸素でヘドロの底は、街のドブのように、硫化水素が発生している。硫化水素は、発生させて自殺の道具につかえる。そんなものが底にはびこっている。そんなイメージを持つ人がいる。お台場で潜ったあと電車に乗ると周囲の人が臭がるのではないかと心配した女性がいた。そういう日もないことはない。お台場には、ウインドサーフィンで遊ぶ人のためのシャワーはあるけれど、ダイバーのためにはない。すなわち、ダイバーには市民権がないのだ。 しかし、日曜日お台場に遊びにくる都民の皆さんは、そんなイメージで遊んではいない。楽しい、きれいな水辺だと感じている。 もの好きにも潜っている人、僕たちもいる。「硫化水素にやられないのかしら?」と心配してくださる方もいるだろう。僕たちがなぜお台場の海に潜るかというと、その理由はたくさんあるけれど、そのうちの一つは、僕たちがここで市民権を得ること、ウインドサーフィンやSAPと同等に認めてもらうことなのだ。 実はそのことには絶望している。東京直下型の地震が来て、東京のあり方を全面的に考え直し、海辺のありかた、江戸前の海辺のありかたを江戸時代よりもよくしようと考えてもらえて、自分がそのときに元気に生きていれば、という絶望的な条件付きだ。 熱心な魚突きダイバーでもあった石原都知事にお願いしようかと思わないでもなかった。しかし、趣味的な魚突きに(職業としての漁業であれば、反対しない)反対する僕は、お願いしなかった。そこまで清濁あわせ飲めない僕という人間の限界だったかな? ※このごろブログで脱線解除にしている。 とにかく、お台場は都民にとって楽しい。楽しいと言うことは汚いということではない。楽しい海辺、海というのはちょっと気が引けるので水辺にしておこうか。硫化水素など気にしないで愛犬を泳がせている。最近では人間よりもペットが大事にされる。犬の為のシャワーはある。しかし、このごろの愛犬は、全員、員ではないか、全犬、着物を着たり、乳母車に乗せられたりして散歩している。裸の犬は珍しい。泳ぐ犬も少なくなった。別に悪い気で言っているのではない。大きい犬よりも、着物をきた小さい犬が健気にちょこちょこ走っていると「可愛いなあ」とおもう。 話は、きれい、透明度のことだ。水がきれいかきれいでないか、一つの基準として透明度がある。 セッキー円盤という直径30cmの白い板を上から見下ろすようにして水中に入れる。それを沈めて行きながら、上から見下ろす。見下ろす高さは、1.5mだったか、人がゴムボートの上に立ち上がったぐらいの高さだ。太陽は彼の背後に、真上でもなく、夕日でもなく、午後2時ぐらいの高さだろうか。円盤を沈めて行くとやがて見えなくなる。見えなくなったら少し引き揚げる。それが見えるか見えないか、白い円盤がひょうたんのようにゆがんで消えたり出たりする位置で沈めた深さを測る。もちろん水面は鏡のようになめらかでなくてはいけない。 僕は大学一年のとき陸水学の本でこれを読んだ。そして海洋実習で、まねごとのようなことをやらされた。こんなものは、バカバカしくて役に立たない。僕たち荒海のダイバーには。 でも役に立つことが陸水学の見地ではあるのだ。 その一つは、湖水の透明度世界一を争うことだ。昔北海道の摩周湖が世界一だった。1930年の測定で41.5m、バイカル湖が2位で40mだ。1.5m差である。よほど厳密に、測定者に個人差があるだろうから、同じ人で無いと意味が無いように思う。そして、これは測定したそのときだけのことなのだが、世界記録というのはそういう瞬時のことなのだ。 摩周湖にヒメマスのロケに行ったことがある。ヒメマスは居なくて、ニジマスの大きい、スチールヘッドとか言うのがいた。ヒメマス、ニジマスを放したために湖の透明度が下がったのだという。その上に摩周湖には、ヒメマスの餌にするとかで、ザリガニを放し、そのザリガニがヒメマスに食べられずに成長して、70cmにまで育ち、巨大ザリガニになったという。荒唐無稽な話だが、沖縄のゴシキエビの標本でそのくらいのやつが居たから、いるかもしれないと言うことで中川がロケに行った。髭の先までのばして計って、何センチだったかとにかく巨大だった。70cmなんてあるはずはないが。 摩周湖で、ニジマス、ヒメマスの孵化放流を始め他のは、1906年だと言う。世界記録を測定したのが1930年だから、放流などしていなかったら、もっと高かったかもしれない。 とにかく、ニジマスやらザリガニやらで透明度は下がって、僕たちが測定した時には、10mそこそこだったと思う。2015年の測定では17-2mになっている。 僕が撮影したヒメマスの話は、ヒメマスが居なければ番組は成立しない。聞けばヒメマスは支笏湖で現在産卵中だという。急遽支笏湖に移動をかけた。支笏湖を摩周湖と言いくるめるわけには、いくらテレビでも無理だ。支笏湖は支笏湖として、とにかくヒメマスの産卵を撮る。 摩周湖と支笏湖は隣ではない。移動に丸一日走った。支笏湖の透明度は17m、摩周湖よりも高かった。 バイカル湖にも行った。バイカルアザラシを撮りに行ったのだが、アザラシは去った後だった。仕方がないので、水深50mまで潜って淡水海綿を撮影した。ここも、工業の開発のため、昔の透明度はないという。測定はしなかったが20mぐらいのものだろう。 海で透明度が良いのはマリアナだ。ロタ島に行った。ここで、何とか丸(忘れた)を見下ろすと、水深30mぐらいあるのだが、沈没船に出入りする蝶々魚の種類の判別ができる。こんなところに潜ると、もう減圧症などどうでもいいや、と言う気持ちになる。素人が60m潜って驚いた、などというのはたいていマリアナである。透明度70mなどと言うけど、セッキー円盤をおろして、本当に太陽を背にして計ったというのだろうか。やった記録がある。正確には知らない。測定は個人差も大きい。マリアナとかの方に行くと、僕たちでは見えない遠くの方が見える人がたくさんいる。トラック島で、遠くの方に点のように見えるボートに、女三人、男二人乗っているなどというと、本当にその通りだったりする。この人たちが見れば、セッキー円盤など、100m下でも見えるにちがいない。 そして、僕たちの潜る本州太平洋沿岸では、海はだいたいにおいてダンダラである。表面は澄んでいても中層が濁っているとか、表面は赤潮だったが、水深3mから先は透明だったりする。船の上からセッキー板を見下ろしているのはバカだ、とダイバーは思う。 ということで、透明度を計ることに意味はない。 そこでダイバーは透視度という透明度を発明した。これは、ダイバーだけが測定できるもので、二人のダイバーの一人が、セッキー円盤を持って水平にだんだん離れていくそれが透明度のように見えたり見えなかったりする距離を測定する。これは、一度だけまじめにやったことがあるが、二度とやらない。その日その日に変わる濁り、それも場所によってかわり、水平にだってダンダラになるものを測定したって意味がない。だから適当である。 適当だけれど、大瀬崎で透視度が岸近くで5ー8m、沖に出れば10mぐらい、などと聞けばだいたいの様子は分かる。 そして、ようやく本題、お台場の透視度、透明度にたどりついた。 お台場で潜水して透視度など気にしない。よくて2m、これまでの最高で3m、だいたいが1mだと考えている。 ここまで書いてきて、突然のように透視度の測定について、ひらめいた。長さ2mの測量用の、メモリのついた棒を持っている。この棒の先にウエアラブルカメラをつけて、高い位置から撮っていたのだ。この棒の先に白色円盤、直径は10cmでいいだろうか。基準なのだから10cmでいい。30cmはダイバーが持って行くには大きすぎる。これを棒の先端につけておいて見通す。見えなくなるところの長さを目盛りでみる。同時にヘッドマウントのカメラで撮影していれば、具体的な証拠としても残る。 2mよりももっと見える時は、巻き尺を持って行けば良い。 お台場も透視度がまばらであり、同じ場所でも満潮の時と干潮のときではちがう。もちろん、場所によっても大きく違うから、毎度測定する場所を3ー4カ所決めておく。 このデータの蓄積があったらすごい。ああ、これまでの20年間を無駄にした。 濁っている場所の濁度を計るための濁度計というのがある。工場排水とか、水道の水源とかで測定する。水を汲んできて、標準濁度のサンプルと光電式に測定する。お台場の水は濁度計で測定するほどまでは、濁っては居ない。また、周囲の状況も一緒に写し込んでしまう棒の先の円盤が良い。
さて、この前に書いたように、4月23日(日曜日)、もう春なの で冬の透視度は期待できないと思ったが、どうして、これまでに最高の透視度だった。前回から参加している小林さんは、クリーンアップ、水中ゴミ拾いに多数参加しているダイバーだが、透視度5mはあったと言っていた。そんなにあっただろうか、いやもっとあったかもしれない。だとすると2mの棒ではとても間に合わない。とか、考えるけれど、基準が無いから、何とも言えない。簡略でダイバーが持って泳げる基準があれば、すっきりとデータになる。 使う予定の棒を使って自分の泳ぐ姿を撮っている絵を出してみた。2mの棒の先から自分の姿が撮れている。足の先のフィンも見える。白色円盤ならばもっとよく見えるので、3m以上、4mは見えるのではないか。このときは特別に透視度がよくも無く、お台場として普通。普通で3m見えるとすると、お台場は、それほど濁った海ではないのかもしれない。 とにかくやってみることにしよう。
さて、この前に書いたように、4月23日(日曜日)、もう春なの