これからお台場のことを書こうとしているのだけれど、これまでは、水の中のこと、水の濁りだとか、水中の光の様子とか、生きている生き物のこと魚とかカニだとか、エビだとか、なんだかわからない生き物だとか、生えている海藻などのことを書いている部分が少なくて、ダイビングのこと、自分という潜水艇のことを書いている比率が大きいのではないかと思う。 ダイビングって、自分という潜水艇の操縦だから、そして、僕はダイビングをそんな風に考えることが好きだから、潜水艇の機関のこと、機関の調子、つまり、苦しいとか、寒いとか、潜水艇の釣り合いだとか、バランス、浮沈、だとか、その他、もろもろの潜水艇運転に気を取られていて、水の中の出来事には、気持ちの50%ぐらいしか向けていないのかもしれない。つまり身体の内側のことや、潜水の技術に気を取られて、外側のこと、外のできごとは、少しだけしか書いていないような気がしている。自分の内側に注意の大部分を向けていないと危ないので、まあ、そのバランス感覚で生きてきたのだけれど、生き物のことを少し真面目に書こうと考え始めている。☆★☆僕の言うお台場はお台場海浜公園のことだ。ここの呼び名はお台場、と。おをつける場合とおをぬいてただの台場と呼ぶ場合がある。良くしならいのだけれど、地名としては台場らしい。お台場は、ニックネーム、きっと江戸の市民たちが、お台場と呼んだのだろう。それがそのまま残っていて、僕はお台場の方が好きだ。 ☆★☆ 日本は、四季がある。海の中にも四季がある。お台場は特に、著しく四季がある。1月から2月は、本当に生き物の影をさがすのも容易ではない。親指の爪ほどのイソガニ、鉛筆の尻についた消しゴムほどのヤドカリを見ただけで、その日一日が終わる時もある。ただ、原則的に冬は水がきれいで、1.5mか場合によっては2mほど先まで見える。透視度 1。5mとしたり、2mとしたりする。しかし、お台場の透視度はまばらなのだ。斑になっている。表層と底層と大きく透視度がちがうし、まるで、霧の中に入ったり出たりするように、濁りの中に入ったりでたりする。だから、記録を着ける時に、今日の透視度は1.5mとか書いてもいい加減なものである。お台場はその濁りの斑が著しいけれど、どこの海の中も同じようなものだろう。だから、例えば、大瀬崎の今日の透視度は、2mから10mと書いたりする。
僕はやはり、きれいになっていると思いたい。こころなしか、僕たちのフィールドでも牡蠣の上の水はきれいなようだ。願望だから、科学的に証明しようとはおもわない。 このあたり江戸前は、昔は牡蠣の産地で、僕が子供のころ、1950年代には、数寄屋橋の下あたりに広島であるような牡蠣船がでていた。なお、今広島に牡蠣船があるかどうかしらない。船の上で牡蠣をたべさせる。屋形船よりも大きいダルマ船が当てられていた。 ダルマ船とは、ダルマのような形の幅広の船で、河での運搬船に使われていた。その船の上に家を建てれば、ハウスボートだ。 でも1950年代の東京湾は汚染のまっただ中だから、牡蠣船で食べさせる牡蠣が江戸前の牡蠣だったかどうかしらない。江戸前ではなかったのではとおもうが、このあたりが牡蠣の産地であったことは間違いなさそうだ。☆★☆ 3月26日、先月だが、3月も末になれば、小さいメバルの幼魚がでてくるのではないかと思ったが、魚は本当に影も形もみえなかった。4月になれば、どうだろう。 4月23日が、定例のお台場潜水調査会だ。3月26日には雨が降り、あまりの寒さに風邪を引き、まだ治らない。ちょうど一ヶ月風邪に呻吟していたことになる