素眼と水中眼鏡について書いている。※素眼のほかに、裸眼という言葉も使われる。水中眼鏡については、沖縄のミーカガンが先だと思っていたと山本徹さんが言う。ミーカガンをネットでみると、 「1884年の夏に、糸満(現糸満市の中心市街地であり、旧糸満町に当る地域。古くから漁業が盛んな集落であった[2]。)に住んでいた、玉城保太郎によってミーカガンは開発された[3]。なおミーカガンの開発には約4年の歳月がかかったとされる[4]。彼は特に漁具の改良を行ったことによって、琉球の水産業に影響を与えた[5]。海で潜水を主体とする漁法を行っていると、水中メガネがない場合、眼がただれたり、年齢を重ねると目がかすんだりしたため、ミーカガンが開発されるまでは獲物を捕るのにも手探りといった状態だった[6]。しかしこのミーカガンが登場したことで、貝類の採集などの潜水を主体とする漁法が発達するなど、糸満の漁業にとっては大きな影響を与えた発明であった[7]。 ミーカガンは、1884年である。すでに述べた熊本の出島辰五郎さんは1885年である。志摩では1890年、房州では1892年である。やはり、沖縄が最初で次第に北上して行ったものだろうか。熊本と糸満は、ほぼ同時期と見て、それが志摩、そして房総につたわっていったのだろう。参考にした{潜水漁業と資源管理}によれば、沖縄糸満は1986年になっている。そのあたりは民俗学的には面白いと思うけれど、潜水の歴史としては、「潜水漁業と資源管理」はかなり専門書だし、どうしよう。沖縄の顔を立てて、1884年のミーカガンとしようか。 それはそれとして気になるのは、眼鏡なしで潜ってメクサになってしまうことだ。にもかかわらず、志摩では、資源保護のために水眼鏡禁止にしたりしている。健康よりも資源を、資源=お金とすれば、金蔵をなによりだいじにしたのだろう。それでも、今はさすがに水眼鏡禁止の部落はない。 メクサの被害といえば、以前見た本で、ペルシャ湾の海綿取りの裸潜りのアラビア人が、みんな盲目に近くなってしまったいる写真を見た。 1962年によみうりランドの水中バレーシアターがオープンした。僕はその初代水中舞台監督、つまりダイビングインストラクターになったのだが、水中バレーは素眼で演技しろという。たしかに、竜宮城の人魚が水中眼鏡をかけていたのでは、ショウにならない。インストラクターとしても、素眼をやってみなければならない。少し目を細めると、いくらか楽になるし、レンズの絞りが絞られる原理で、すこし像がシャープに見える。演技をするわけではないインストラクターだから、指導だけで良いので、普通にはマスクを付けていたが、素眼の出演者は本番ではマスクを着けられない。メクサになった人は居なかった。 素眼がいけないのではなくて、汚い水がいけないのだろう。日本の海水は良くて、アラビア湾の海水はいけないのだろうか。? 考えて見れば、自分の子供たちのころは、水泳はすべて素眼だった。つい20年前ぐらいまで、都内の小学校のプールは水中眼鏡禁止だった。眼鏡が割れて危ないというのが理由だった。眼よりも、ガラスで足を切る方が危ないという判断、それにガラスが割れたら、プールの水を抜いて掃除しなければならない。 今では強化ガラスになってその心配はなくなったのだが。 自分の経験では、素眼で泳ぐと確かに目は赤くなるが、そのまま病んでしまうことはなかった。 それとは別に水中眼鏡が水圧で圧せられて、目のスクイーズが起きる。スクイーズについては、常識のようなものだから、ここで説明しない。そのスクイーズを防ぐために、二眼の水中眼鏡では、風船のようなものを着ける。これを風耳(ふうじ)と呼んだりする。鼻も眼鏡の中に入れてしまう。一眼の眼鼻マスクならば、鼻から息を出せるから、スクイーズの心配はない。 鼻から息を出すなんてとんでもない。涙腺から空気が漏れるだけでも、潜れる深さに影響するフリーダイビングでは、スクイーズを防ぐために、ゴーグルの中を液体で満たして、その状態でも光学的に、像が正常にみえるレンズをつけたリキッドゴーグルがあり、使う選手が多い。つまり、目を水にさらしていることについては、素眼と同じようなものである。素眼で潜る選手もいる。いずれにせよ、フリーダイビングで深く潜るためには、目のスクイーズを防ぐためのゴム風船(風耳)ぐらいではまにあわないので、目とガラスの間に空間はつくれない。水に眼をさらして潜る。とすれば、きれいな水ならば、目を病むことはあんまりないのかもしれない。 水眼鏡が無い時代の海女は、普通に素眼で、目を細めて潜っていたのだろう。フリーダイビングの選手には、多分、それぞれに眼の痛みについての対策ノウハウをもっているのだろう。眼薬には何が良いとか。最新ダイビング用語事典Ⅱでは、岡本美鈴に書いてもらおう。
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