3月14日の辰巳は3時間だった。テクニカルの練習に本田君、長山君が来てくれた。サイドマウントの準備に1時間かかるから、3時間でないと、練習時間が少ない。一旦、セッテイングしてしまえば、繰り返しは容易のようだけれど、タンクにレギュレーターを付けるだけでも慎重にやって、水の中に浸けて見て、空気漏れが無いことを確認する。深く、例えば80mに潜ったとして、空気漏れは大変なロスになる。 僕は、すべて簡略化を旨としている。長山君と話した。もっと簡単に出来ないのかと。やはり練習での習熟で早く、完璧にできるようになる他に方法はないのだろう。 中川も 時間が合えば、辰巳でサイドマウントの練習をしている。 僕が、テクニカルをやらない理由は忘れ物が多いことで、テクニカルは忘れ物をゆるしてくれない。昨夜も、マスクを車の中に忘れて、とりにもどった。そういう人は、向いていない。 リブリーザについても同じようなことがいえる。21世紀の潜水機はリブリーザだと思った僕は、70歳の時にインスピレーションを買った。時期は、中川より早くて、彼に声をかけて、一緒にやろうと相談した。リブリーザで80ー100mを通常に潜ろうと思っていたのだ。 74歳までがんばってみたが、僕の能力では危ないと、涙をのんでやめることにした。理由の一つは、アラームを何度も鳴らしてしまったこと、アラームがニヤミスだとすれば、ハインリッヒの法則で、そのうちには事故になる。もう一つは、デリューエントガスがゼロになって、吸気が停止した。ベイルアウトタンクで、脱出できたが、6リットルタンクでは、減圧停止の分は無かった。僕は減圧症になりにくい体質らしく、減圧症にはならなかったが、なっても不思議はない状況だった。 また、30キロを越える重量で、ビーチエントリーは、無理と思ってしまった。 振り返って見れば、何れも練習量を増やすことで解決可能であったから、やめたのは、はやまったかとも思うが、僕が生きながらえているのは、このあたりがポイントかもしれない。 3月14日 辰巳はじめておいでになった人と、いろいろ雑談する。一日3回の潜水で減圧症にかかり、復帰のためトレーニング中だという。減圧症の原因は、与那国のハンマーヘッドシャーク(シュモクザメ)だという。ぼくも、与那国のハンマーで、腰が痛くなり、減圧症をうたがって、江原病院の杉山先生(当時)に相談したことがある。先生の診断では、単なる腰痛で、腰の減圧症は希だということで、放置して治った。与那国のハンマーは、水深10mぐらいのところで、ハンマーが巡っているあたりを巡回していて、下にハンマーが見えたら、急降下する。深さは30から40、場合によっては50で、ハンマーに追いつけなければ、また10mにもどって巡回を続ける。減圧症になってくださいと言うようなスタイルだ。それでも、意外に減圧症にはかからないもので、与那国ハンマーでは、で、このスタイルが続いている。卵円形開存とか、かかりやすい人は、与那国ハンマーはやらないことだ。このスタイルでは、ダイブコンピューターの無減圧限界指示は通用しない。 おいでになった減圧症既往の人は、女性だったが、近頃珍しい突撃タイプだったので、がんばるように励ましておいた。ただし、レクリエーショナルダイビングで、一日に3回潜水はやめた方が良い。やりすぎだ。 暖かい条件の良い海でのボートダイビングは、どうしても、潜水回数が多くなる。3回は普通のことなのだろう。
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