2017年2月20日、福島第一原子力発電所沖、発電所から6キロの距離にある「剣だし」と言う天然礁に、そして、2月22日に四倉・江名沖の人工魚礁に潜水することが出来た。 2011年の大震災直後発電所が津波で壊れたときに思い立った調査潜水だから、7年かかっている。どこから話しを始めようか、2011年からか?
今度の計画、テレビュー福島と言う局から、今度の3月11日にTBSの番組として撮影結果を放送する、テレビ番組の撮影計画である。その話がスタートした1月18日からか。それとも、福島に出発した2月19日の時点からにしようか。 気持ちとしては2011年から書き始めたい。しかし、それでは、3月11日の放送の時までに、放送の分を書き終わることができない。自分のドッキュメントとしては、やはり1月18日からスタートして、大急ぎで2月19日にたどり着き、2月20日と22日の潜水を2011年から17年までを振り返りながら、いやもっともっと前、今度潜った四倉江名沖の人工魚礁にはじめて潜った1969年、も振り返りながら書くことにしたい。 1月16日、福島テレビューのプロデューサーからMailをもらった。福島の海に潜る番組制作についてで、事故から6年になるが、まだ、福島の原発に近い海では漁業は試験操業にとどまっている。常磐沖では、漁業が再開されているが、原発近くの海で、その海底はどうなっているか知らせたい。ひどい状態になっているのではと思う人が多いはず、3月11日の特番の中で、福島の水中を取り上げたい。 桶田プロデューサーは、僕のブログも読まれていて、またニッポン潜水グラフィティも読まれていて、僕の福島の海への想いを知っておられる。 返事を出した。 「体調が良ければ行ってみたいとは思いますが、福島の久ノ浜に放射能調査で潜ったのは、5年前で、現在自分の年齢は82歳、トレーニングは欠かしていませんし、毎月一回は館山の海で潜っていますが、福島の海は海況の厳しい海です。よほど天候の良い凪でないと今の自分では潜れないとおもいます。」 とにかく、次の日1月17日にお目にかかることになった。 福島の若い漁業者は、漁の再開のために、人工魚礁などがどうなっているか知りたいと言っている。彼らのために、と言われるまでもなく、もう潜るつもりになっていた。 しかし、福島の冬の海は、骨の髄まで身に沁みてわかっている。が、それはそれ、潜る決意を固めた。 3月11日の放映となると、2月末には撮影は終了していなければならない。2月20日ごろから一週間のスケジュールとした。2月後半、言うまでもなく厳寒の時期である。 地図で見るとわかるが福島の沿岸線は何も遮るものなく、太平洋に面している。ただ、冬の北西の季節風は、山から吹き下ろすので、岸に押し寄せる波にはならない。しかし、今回潜る予定の位置は岸から5ー6キロ、陸風でも波は高くなる。北の風と波だ。 2011年晩秋11月から12年2月にかけて、理化学研究所の守谷さんの微生物の放射性物質吸収の研究のお世話をして、第一原発から20キロ南に下りた久ノ浜というところで、主に港の中で潜水した。港の外にでられない日が多かったのだ。合計10回潜水したが、港の外にでられたのは2回だけだった。 ブログ参照 2012年の調査では、放射線量、量だけを測定するシンチレーションカウンターを持って潜水した。もちろん防水のハウジングに入れ手だが、これでは、放射線の総量は測定できるが、その内容、セシウム34とか37とかの存在と量を測定記録することはできない。その測定ができるγ線スペクトル分析装置を水深60mまで持ち込めるようにした。折りよく、日本水中科学協会の会員である高野氏が、分析機製作の専門家であった。そしてハウジングは、親友以上である後藤道夫が作ってくれた。2012年夏だ。後藤道夫は2013年 12月に世を去ったので、これは遺作となった。親友価格の実費以下製作で600万かかった。 製作中の分析器と後藤道夫
経産省の独立行政法人産業総合研究所の地下水研究グループの室長である丸井さんの研究テーマとしてお金を出してもらった。だから、この装置は、放射性物質に汚染された地下水が海の中に湧き出すことがあれば、それを測定しようという目的で作られた。 丸井さんは、海底から湧出する地下水の研究で、一緒に潜水した縁で、日本水中科学協会の正会員である。 2013年夏、できあがったγ線分析機で、福島第一原子力発電所直近の港堤防の根元で潜水調査する計画が持ち上がった。当然、汚染されている。水は放射線の遮蔽体だから、中層に浮いていれば大丈夫だろう。しかし海底に身体を着けたら汚染される。それに底うねりで巻き上がっている泥は危ない。 ドライスーツは、おそらく一回の潜水で破棄しなければならないだろう。ワールドダイブが作ってくれることになった。 決行の三日前、この計画は中止になった。理由はいくつか想定できる。僕が汚染されたとして、もはや80歳、余命はいくばくだから、かまわないとは言っても、問題が持ち上がらないと言う保証はない。本当の理由はわからないが、とにかく中止になった。 その後何度か同じような話し、企画は持ち上がった。その都度、企画は消滅した。もはや、この企画は無い、しかし、この分析機を世にださなければ、後藤道夫にもあい済まない。 そして、今度の企画である。 実現できる企画は、ポンポンとリズムよく進展する。停滞する企画はたいていだめだ。しかし、2013年の企画は、ポンポンと進んだのだが、つぶれた。 2月5日に船を出してくれる船頭と打ち合わせがてら船を見に行く予定をたてた。 ところが、である。漁船は漁業組合に所属している。組合の許可が必要で、組合にお伺いを立てたところ、所属の船はメディアの取材に協力することまかりならないということになった。 僕も基本的には水産の人だ。漁業の為にならないことなどしたくない。スペクトル分析も、魚の汚染との因果関係を知ることができれば、漁業の再開に役立てることが、出来ようと期待するからなのだ。いずれにせよ正しい詳細な測定がまず必要なのだ。もしも、2013年に測定が出来ていれば、今度の測定と比べることが出来ただろう。 組合は、とにかく、測定の是非ではなくてメディアを信用出来ないのだという。 2012年の久ノ浜調査の時は、福島県水産試験場が頼りだった。水産試験場から紹介してもらって久ノ浜の調査ができた。水産試験場には、僕の会社スガ・マリン・メカニックで調査した報告書がある。同じような調査をやりたいのだと話してみれば、またバックアップしてくれるかもしれない。 桶田プロデューサーも試験場をあたってくれている。また、漁協の漁船以外の船のチャーターも探してもらえるようにと、2012年に知り合った船も紹介した。 一緒に調査作業に協力していて、γ線分析機の製作も半々でやった、これも日本水中科学協会の理事の一人である宮内君がやっている沿岸生態系リサーチセンターは、福島県北部の相馬沿岸のサイドスキャンソナーによる人工魚礁の位置関係調査をやっていて、今回もサイドスキャンソナーで位置を正確に調べる必要があるし、そのための協力もしてくれる。 宮内は、放射性物質汚染調査を旗印にしたのでは、漁協の協力は得られない、人工魚礁調査の各項目をやり、その一端としてスペクトル分析をするようにすれば、とアドバイスしてくれている。 この潜水調査を受ける主体を日本日本水中科学協会とすることとして、水中撮影は河童隊の中川に、またアシスタントには富戸の大西を頼むことにした。この二人は須賀スクール(会社)で、長らくチームで仕事をしていた。加えて、日本水中科学協会が主体と言うことで、久保さん、山本さんもアシスタントに入ってくれることになった。ガードとして鉄壁に近くなった。 船は依然として決まらない。 5日に船を見に行くことはできなかったが、最近全然海で潜っていない。トレーニングしなければ、2月4日、伊豆の八幡野に大西君が主催するロゲイニングという競技の水中からの見物、見に行った。なかなかおもしろい競技だと思った。競技という方向にレジャーダイビングが向いてくれれば、良いと思う。 自分の潜水は不満足だった。ビーチエントリーでタンクを背負ってのエキジットが辛い。水中でのバランスも良くない。 福島については、僕は半ばあきらめの気持ちになっていたが、プロデューサーは、福島の局だから、様々動いてくれている。そして、僕がプールでのトレーニングに励む姿を取材したいということで、2月6日の辰巳プールでの練習会を撮影された。撮影の中川も来て、水中撮影もした。水中で僕は元気だった。
経産省の独立行政法人産業総合研究所の地下水研究グループの室長である丸井さんの研究テーマとしてお金を出してもらった。だから、この装置は、放射性物質に汚染された地下水が海の中に湧き出すことがあれば、それを測定しようという目的で作られた。 丸井さんは、海底から湧出する地下水の研究で、一緒に潜水した縁で、日本水中科学協会の正会員である。 2013年夏、できあがったγ線分析機で、福島第一原子力発電所直近の港堤防の根元で潜水調査する計画が持ち上がった。当然、汚染されている。水は放射線の遮蔽体だから、中層に浮いていれば大丈夫だろう。しかし海底に身体を着けたら汚染される。それに底うねりで巻き上がっている泥は危ない。 ドライスーツは、おそらく一回の潜水で破棄しなければならないだろう。ワールドダイブが作ってくれることになった。 決行の三日前、この計画は中止になった。理由はいくつか想定できる。僕が汚染されたとして、もはや80歳、余命はいくばくだから、かまわないとは言っても、問題が持ち上がらないと言う保証はない。本当の理由はわからないが、とにかく中止になった。 その後何度か同じような話し、企画は持ち上がった。その都度、企画は消滅した。もはや、この企画は無い、しかし、この分析機を世にださなければ、後藤道夫にもあい済まない。 そして、今度の企画である。 実現できる企画は、ポンポンとリズムよく進展する。停滞する企画はたいていだめだ。しかし、2013年の企画は、ポンポンと進んだのだが、つぶれた。 2月5日に船を出してくれる船頭と打ち合わせがてら船を見に行く予定をたてた。 ところが、である。漁船は漁業組合に所属している。組合の許可が必要で、組合にお伺いを立てたところ、所属の船はメディアの取材に協力することまかりならないということになった。 僕も基本的には水産の人だ。漁業の為にならないことなどしたくない。スペクトル分析も、魚の汚染との因果関係を知ることができれば、漁業の再開に役立てることが、出来ようと期待するからなのだ。いずれにせよ正しい詳細な測定がまず必要なのだ。もしも、2013年に測定が出来ていれば、今度の測定と比べることが出来ただろう。 組合は、とにかく、測定の是非ではなくてメディアを信用出来ないのだという。 2012年の久ノ浜調査の時は、福島県水産試験場が頼りだった。水産試験場から紹介してもらって久ノ浜の調査ができた。水産試験場には、僕の会社スガ・マリン・メカニックで調査した報告書がある。同じような調査をやりたいのだと話してみれば、またバックアップしてくれるかもしれない。 桶田プロデューサーも試験場をあたってくれている。また、漁協の漁船以外の船のチャーターも探してもらえるようにと、2012年に知り合った船も紹介した。 一緒に調査作業に協力していて、γ線分析機の製作も半々でやった、これも日本水中科学協会の理事の一人である宮内君がやっている沿岸生態系リサーチセンターは、福島県北部の相馬沿岸のサイドスキャンソナーによる人工魚礁の位置関係調査をやっていて、今回もサイドスキャンソナーで位置を正確に調べる必要があるし、そのための協力もしてくれる。 宮内は、放射性物質汚染調査を旗印にしたのでは、漁協の協力は得られない、人工魚礁調査の各項目をやり、その一端としてスペクトル分析をするようにすれば、とアドバイスしてくれている。 この潜水調査を受ける主体を日本日本水中科学協会とすることとして、水中撮影は河童隊の中川に、またアシスタントには富戸の大西を頼むことにした。この二人は須賀スクール(会社)で、長らくチームで仕事をしていた。加えて、日本水中科学協会が主体と言うことで、久保さん、山本さんもアシスタントに入ってくれることになった。ガードとして鉄壁に近くなった。 船は依然として決まらない。 5日に船を見に行くことはできなかったが、最近全然海で潜っていない。トレーニングしなければ、2月4日、伊豆の八幡野に大西君が主催するロゲイニングという競技の水中からの見物、見に行った。なかなかおもしろい競技だと思った。競技という方向にレジャーダイビングが向いてくれれば、良いと思う。 自分の潜水は不満足だった。ビーチエントリーでタンクを背負ってのエキジットが辛い。水中でのバランスも良くない。 福島については、僕は半ばあきらめの気持ちになっていたが、プロデューサーは、福島の局だから、様々動いてくれている。そして、僕がプールでのトレーニングに励む姿を取材したいということで、2月6日の辰巳プールでの練習会を撮影された。撮影の中川も来て、水中撮影もした。水中で僕は元気だった。