このところ、ブログがやはり、とどおおっている。書くことが無いわけではなくて、書くことはありすぎる状態ともいえる。福島の第一原子力発電所の前にも潜って、そのことも書ける。書けるけれど、5年越しにようやく実現したことだから、これも、どこからどこまで書こうかと思い悩んでしまう。書き始めたら、他のことができなくなる。それにしても、数日後には書き始めないと間に合わない。3月11日にTBS 系列でのオンエアーになる。その3月11日に向けて書きだすとすれば、今日からでも遅すぎる? もう一つ書く大きなテーマがあった。東京海洋大学、僕の母校は東京水産大学であり、この二つの大学は、二つの大学と思う位の違いがある。時代の違いが大きいから、別に大学が違ったわけではないともおもうのだが、とにかく、その母校の潜水部が創立60周年の祝賀会をやる。その記念誌がでるのでその寄稿、その寄稿を書くのに引っかかって、ブログが書けなかった。まだ完成とは思っていないのだが、締め切りなので、今日初稿を送った。17000字の長文になってしまった。60年前のことから書き始めて今日まで、そして、今後の未来のことまで書こうとして、書いてしまった。こんなに長文で載せるのにこまるだろう。載せられない。60周年を祝う言葉だけならば、400-800字で足りる。長くても800字、800字と17000字の間で揺れ動いていた。どうなるかわからないが、17000字は、1954年から、いままでの、事故の記録、ニヤミスの記録、ブラックアウトの記録、その間に挟まって起こったいくつもの出来事、次々と通り過ぎて行った、部員たち、最近では若い子たち、昔の若い子たちのこと、そして未来の潜水部がどうあるべきかまでまとまりなく、ほとんど滅裂にかいてしまった。ついに原稿を送ってしまったのは、学生の潜水部が、潜水クラブがどうあるべきかについての考えをどうしても言って、書いて置きたかった。今、60周年、これから70,80,90.100と継続して行く。もちろん安全が大事で無事故を願う。しかし、根拠もなく、無事故を願って、それで終了というわけにはいかない。それは、神仏への願いとほとんど等しい。富岡八幡にお願いするのとほとんどおなじだ。どうあるべきか、そのことを書いた。記念誌は公文書だから、僕が書いたら、その通りにしなければならなくなる。その通りにしないで事故が発生したら、書いたことがネガティブに作用するだろう。 これも迷いの主要な素になった。どうしよう。しかし、学生のクラブで事故が起こってはいけない。 自分はダイビングにほとんど、一生を懸けてきた。そのことに悔いはないけれど、ダイビングとは嫌なものだ。人間は生き物だから、他の生き物と同じように、必ず死をむかえる。しかも、海は、水中は陸棲の動物がそのままでは生存が続けられない環境だ。死んで何がおかしい、何がいけないと開き直りたくなる。そのことをどうしよう。これは、ダイビングの基本的なテーマである。 実は、この基本的なテーマを真正面から取り上げたものはない。今度の最新ダイビング用語事典Ⅱで取り上げようとしている。その前哨戦のようなものだ。 ダイビングの指導組織がある。そのどれもが、中心に取り上げているのは、スキルとか、指導基準、ランク分けだ。一番基本的な大元になる。死んでどうする、ということについては、掘り下げていない。 海洋大学60年史は、事故の歴史、あるいは事故と対面する歴史だった。そして、どうするか?を書いた。書いてはいけなかったのではないかという思いが今でもある。しかし、3月3日を締切とされた。 いずれにせよ、このことは,ブログでこれから書いていく。単純なことなのだが、最新ダイビング用語事典Ⅱのテーマでもある。 日常は、一難去ってまた一難状態が続いている。でも、一難去るから、生きていられるのかとも思う。 今日のところはまとまったことをブログ書ける精神状態に未だ到達していない。
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