ダイブコンピューターの続きを書きたいのですが、ダイビングの記録(ログ)も書いておかないと忘れてしまうのです。 午前2時半に目覚めてしまって、もう一度眼をつぶって、起きたら3時半、もう一度ねむったら、寝過ごしてしまう。 5時40分に事務所へ、山本さんは45分に来て、すぐに走り始める。 目的地は伊豆の八幡野、水中ロゲイニングというのを見に行く。 予想外に早く着いて、0845ごろ。 主催者、大会会長だから、の大西が居るのでとりあえず、おはよう。 八幡野は、思い入れの深い場所、20年前、いや、22年前になってしまうのか、60歳の記念に100m潜水を決行した場所だ。そのとき、八幡野ダイビングセンターのオーナーだった河合正典さんには、一方ならぬお世話になった。今は少し(20mほど)場所を移したダイビングセンターになっていて、組合の2階のようなダイビングセンターは、組合の直営になっている。 河合さんのセンターの方に挨拶に行く、八幡野に来たのは、20年ぶりなのだ。と思う。10分ほどだったけど、お話ができてうれしかった。 さて、この度の目的は、水中ロゲイニングというゲームを見に来たのだが、3月下旬のワークショップの取材?ということなので、それまで詳しいことを書かないようにする。結論だけ言ってしまうと、東伊豆の海に、良く似合ったダイビングゲームだと思う。ダイビングの上達、練習にも役に立つ。若い人向きだが、ゲーム、競うということが、そもそも若い人、向きなのだから。 ここでは、主観的な、自分のダイビングの、身体と心の移り変わりを書く。 昔の、といって、最後のログが 200?年なのだから、それほど昔ではないが、その昔は、ログが一覧表だった。今はブログになっている。ブログをまとめて、昔のような一覧表にまとめなければ、いけないと思っているのだけれど、大仕事だからできないでいる。 波はほとんどない。気持ちの悪いほどの凪だなんて、フェイスブックに書いたりしていたが、海だから、海の揺れ動きはある。ビーチからのエントリーになると、ここは外海、お台場とはちがう。波ともおもえないような波だが、このごろ体験していない。ボートダイビングと、後は静水ともいえるお台場の海だ。気持ちが圧迫される。 この日のために?8リットルのタンクを背負って、スクアットをやっている。50回に昨日到達している。しかし、海ではドライスーツ、ドライのウエイトが、ベストの7キロ、ベルトの6キロ、レッグの1.5キロが加わる。それにタンクも10リットルになっている。 ベルトの6キロというのは水深の浅い、お台場仕様だ。ベルトの6キロを2キロ減らして4キロにする。それでも13キロだ。合計すれば27キロ近いものを背負っている。 60歳の100m潜水では14リットルのダブルというタンクを背負っていたのに、20年の歳月が過ぎている。その歳月の間、トレーニングしていなかったわけではないのだが、トレーニングが足りなかったのだろうか。毎度毎度、肩に掛かる重荷のことを書いている。徳川家康ではないが、人生とは重い荷を背負って居るものだ。タンクを背負うのはスクーバダイバーの宿命だ。 エントリーは、漁港の堤防の外側で、パイプの手摺とロープが着いている。だから容易なはず。なのだが容易ではない。フィンのストラップが、ワンノッチ、右側がせまい。広げておいた方がいいと思っていたのだが、横着をして広げなかった。横着はいけないのだ。まあいいや、はいけない。そのワンノッチ狭いために、左手に手摺を握って、右足のフィンが履けない。27キロ背負って身体を折るのが苦しい。何度も繰り返して、ようやくできたときには、かなり耐え難い息苦しさになっている。スロープが滑る。ダイビングサービスのサービスとして、スロープの整備は要点だと思うのだが、やっていない。やはり滑って転んで腹這いになってしまった。後続していた山本さんが気遣うそぶりをしてくれたが、腹這いになってバックするエントリーは、お台場でやっている。スノーケルをくわえる。しかし、波が来て身体が引かれ、押し上げられる。背中のタンクが重いので、転がされかける。何とか持ちこたえて、身体を浮かして方向転換してフィンですすむ。息苦しいのを鎮めるように深呼吸する。お台場ならば、5呼吸ぐらいで鎮まるのだが、10呼吸ぐらいかかる。 2mほどまで、頭を下にして沈む。ウエイトは2キロ減らしたが、問題ない。沖へ向かって泳ぎだす。 生えだしたばかりのようなモクの類、ノコギリモクかな、この手のモクの類の判別が瞬時にできない。もっとも伊豆の海に来たのが何年ぶり、3年ぶりかな。岩肌には赤いテングサの類がついている。今頃から3月が海藻が伸びていく時期だ。 このあたりを浮き漂って、この海をのんびり味わいたいな、と思った。ノコギリモクの緑色がきれいだ。 しかし、今日のところはロゲイニングだ。 魚を見つけるように、ロゲイニングで泳いでいるダイバーを探して、その後を追っていく。これはこれでおもしろい。しかし、こうやってみると、みんなダイビングが上手だ。上手に見える。 それに引き比べて今の自分は、身体が重い。身体が滑らない。滑空しないのだ。 このごろ、何冊か旅客機の機長の書いた本を読んでいる。彼らは飛行機という大型の機械を飛ばしている。ダイバーは、自分という生身の身体を飛ばす。 自分の身体が飛ばない。ウエットスーツで4キロぐらいのウエイトならば飛ぶ。飛ぶだろう。と思う。筋肉、つまりエンジンのパワーが失せている。 お台場では飛ばしている。滑らせているように感じるのだが、ここは広い、広い範囲を飛ばさなければならない。要求するスピードがちがうのだ。 2キロウエイトを減らしても、BCへ空気をいつも入れたり出したりしなければならない。水平に気持ちよく浮けない。もちろん足を海底に着けるようなことはないけれど、気持ちよく静止していない。 身体が覚えている記憶と、今の自分が違っている。 一応、取材、といえるようなことはできた。残圧は100を少し切った。初めて使うダイブコンピューターも見やすい。水深は8m、潜水時間は30分を指示している。山本さんに合図をして、彼の指す方向に戻り始める。ロープラインが引いてあり、自分の感覚の中に、ロープラインはいつも置いているので迷うことは無いのだが、ロープラインというものは、左右感覚が狂うことがある。 揚がるのが、エクジットするのが一仕事だ。おそらく、エントリーよりも辛いだろう。エントリーエクジットが辛くなったのは、何時の頃からだったのだろう。 左手は漁港の堤防だし、右手は手摺とロープだから、楽なはずなのに、打ち寄せる水に揺られて、ロープをしっかりつかまないと引き戻される。立ち上がろうとするのだが背中が重くて立ち上がれない。足がつるつるに滑る。ロープが無かったらころがされているだろう。膝立ちで歩く、進む。手摺がロープからパイプに変わったところで立ち上がろうとするが、難しい。後続していた山本さんがフィンを脱がしてくれる。お願いして立ち上がる。一番手前の機材洗い場の側まで歩く、重さに耐える。耐えるという感覚で歩くのだが、息は弾んでいない。タンクを下ろして、ウエイトをはずし、ようやく自分の足で立っているかんじになる。 ロゲイニングのことは、ワークショップの後にして。 速攻で帰ってきて、二カ所ほど渋滞に遭ったのだが、16時30分には東京の事務所に戻ってきていた。帰る早さでの記録だった。 i300 ダイブコンピューターログは、 潜水開始 10時53分 最大水深10.4m 潜水時間 40分 最低水温17度 なんか物足りない気がするけど、必要最小限度これで良い。
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