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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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0719 倉沢栄一君再び

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 ブログを更新しようとして、左手を見ると、僕のブログを見てくれた人の多いランキングが出ていた。上位は最近の豊潮丸航海記だが、その中に古い2010年7月30日のものがあった。
 年下の友人、カメラマン倉沢が死んだときに書いたものだった。
 もう一度読んだら、目の奥が熱くなった。載せようと用意していた、9月8日のフォーラムについての記事は置いておき、再録する。少し手直しをするが、ほとんどがその時の原文のままだ。

 倉沢君の死

  カメラマン、倉沢栄一君が亡くなったと聞いた。水中科学協会の理事会をやっていて、その別れ際にビデオカメラマンの中川隆から聞いた。自死だと言う。

 最近、倉沢君も4月19日からtwitterをやっていて、僕はすぐにフォローした。
 4月22日
 「今日は、根室海峡で5頭の群れのシャチと出会いました。やっぱり、シャチの存在は特別です。」
 4月24日
 「9時から観光船に乗船。昨日のリベンジなるか。」
 「今日もまた、国後島側にシャチの群れが。たくさんいるのに残念。明日こそ、こっち側にきてくれないかな。」
  5月12日
 「昨日、友が亡くなった。自死。朝から冷たい雨が降っている。」
 5月13日
 「今、襟裳岬。窓の外から聞こえてくる波の音が心地よい。」
 5月28日
 「明日、厚岸の大黒島にいく。ゼニガタアザラシの水中映像を撮影する予定。透明度が良ければよいのだけれど。」
 
 そして、最後のtwitterは、
 7月18日
 「知床・羅臼は、今雨が降っています。」

 もうほとんど詩になっている。

 倉沢君に初めて会ったのは、知床、ウトロの港の脇だった。僕はニュースステーションの1年目で(1986)、流氷の下からの中継だった。港の堤防の影、深い雪に埋もれるように小さいテントが張ってあり、その中に、若いカメラマンが二人、倉沢君と、田口君だった。二人は大学(日大)の同級生、僕のアシスタントの米田が、二人の一期上。
 民宿に泊まる金がないから、二人でテントに寝ている。すべてを写真にかけて、フィルムを撮り貯めてストックして行く修行時代だ。
 田口君とは、その後、アラスカで羆の水中撮影をしているときに出会った。彼が浅瀬に入ってレッドサーモンを撮っていると、羆も浅瀬に入って来た。その距離3m、羆の忍者級のジャンプ力ならば、一瞬で倒される。僕は、彼が羆にやられるところを頭に描いて、カメラをかまえた。田口君もニコノスを前に出して身構えた。その時は何事もなく、僕の撮った彼の写真は、彼のグラビアを飾った。彼の構えたニコノスには、クマがうつっていたのだろうか。その後田口君は長良川のサツキマスを追って、郡上八幡に住んだ。子供向けのサツキマスの写真集を送ってきてくれたが、その後何の便りもない。

 倉沢君は羅臼に住んで、道東、知床をフィールドにして撮影を続けていた。これもニュースステーションで、羅臼に行ったとき、羅臼第一ホテルで出会った。第一ホテルに勤めている人と一緒に、ホテルの宿舎で同棲していて、その部屋で、二人で飲んだ。僕がまだお酒を飲んでいた頃のことだ。相変わらず貧乏生活だった。僕が何とかしてあげようと、その後東京であった。一緒に北の海のプロジェクトをやろうと、決めたのだが、その後、話は進展しなかった。
  そして、何年か経ち、彼の写真がブレィクした。何冊か立派な写真集がでた。本屋で横積みになっていた。これで彼の苦労も報われたと喜んだ。

 今年の4月に先にあげたtwitteを見た。 そして、今度の訃報。まだ子供が小さいのに、と中川から聞く。
 車で出ていっての死だというから、海での死ではない。
 
 人それぞれだ、どうしても死にたい理由があったのだろう。

  僕たちもニュースステーションで襟裳に行った。
 倉沢の撮っていたゼニガタアザラシが、襟裳にいる。当然彼にガイドを頼もうとしたが、不在だった。
 倉沢君の訃報はネットでみると、
 「風の館上映映画を撮影した自然写真家の倉沢栄一さんが7月21日に急逝されました。」とある。
 ゼニガタアザラシを撮った映画だ。
 僕たちが襟裳岬ロケ。風が強くて、とても船を出してアザラシのいる岬には行かれない。襟裳は風が強い岬だ。だから「風の館」という観光施設がある。その風の館にも行ってみた。他に何もない。
 どうすることもできない。僕たちのニュースステーションの旅は、風がやむのを待つのも、せいぜい一日ぐらいだ。風がやまないから、磯に降りた。タイドプールがある。水深1mぐらい。潮美を潜らせて、半水面を撮った。磯を立松さんが歩く。「本当に何もないね。でも気持ちの良い風だね。」強い風だけれど、少しだけ、春の匂いがした。タイドプールは透明で、風のように透き通っていた。
その時の映像オンエアー、バックには森進一の「襟裳の春」が流れる。ニュースステーションの旅は演歌の旅でもあったのだ。何もないのに視聴率はよかった。

  北の街ではもう 悲しみを暖炉で燃やしはじめてるらしい
  理由(わけ)のわからないことで 悩んでいるうちに
  老いぼれてしまうから 黙りとおした歳月(としつき)を
  拾い集めて 暖めあおう
  襟裳の春は 何もない春です。
 
  倉沢君と、第一ホテルで飲み明かした思い出が消えない。何を話したか全く覚えていない。酒を飲まなくなった僕が、飲んでいた時代、本当に数少ない良い酒を飲んだ。
 どうして死んでしまったのだろう。悲しかったからにきまっている。悲しくて死ぬのは良い。

 やはり、悲しくても死んではいけない。でも死にたかったのだろう。

 ☆
 今、ネットで倉沢栄一で見るとたくさんの記事がでてきます。その中にブログもあります。今夜は森進一の「襟裳の春」を聞いて寝よう。

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