Quantcast
Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1388

1130  マスク 旭式 4

$
0
0


 ヘルメット式には、房総の潜水器漁業史のような資料があるが、マスク式については、なにもない1935年当時の山本式マスクについては、三浦定之助 先輩の「潜水の友」があるが、アサリ式、後の旭式、金王式についてなにも書いたもの周辺にない。一番詳しいのは、潜水士テキストだったのだが、2014年に規則が改定されて、テキストも改訂されたら、軽便マスク式の項は、無くなった。軽便マスク式は漁業者の潜水機、沿岸漁業の潜水機なのだが、沿岸漁業の潜水は、高気圧作業安全衛生規則では、問題にならなくなったのだろう。残るはヘルメット式だが、今の60歳以上のヘルメットダイバーが去ってしまえば、あとはモニュメント、ステイタスとしてだけ残るのだろう。作業潜水の殆どは、デマンドバルブ付きのフルフェイスマスクに成り代わった。 そして、デマンドバルブ付きのフルフェイスマスクがどの程度、沿岸漁業に使われているのだろうか。知らない。 こんなことを書いている僕でさえも、潜水器を使った沿岸漁業がどのくらいのこっているのか知らない。  沖縄の杉浦さんという、これはスクーバ器材のオーバーホールなど、ダイビングショップをやっておられる方だが、沖縄でお店の名前も旭潜水技研と名付けて、旭式マスクを復活させようとしている。沖縄でこのマスクが無くなると困る漁業者がかなりいるとか、12月18日にシンポジウムに来ていただけるので、そのあたりの事情を教えていただくとともに、全国的にはどうなのだろう。 たしかに今現在操業している漁業で、器材が無くなってしまうのは、大変に困ることだろう。 潜水器を使った沿岸漁業は、日本では、消滅の途をたどっている。千葉県富津では、ヘルメット式で、アサリやバカガイを採る漁がまだ続いているはずだが、最近はお邪魔していない。どんどん、盛んになりつつあることとは考えられない。水流のジェットで、砂を巻き上げてアサリを採る方法で、効率は良い。効率が良いということは、乱獲になってしまう。潜水器漁業の辛いところだ。  マスク式については、それほど詳しくはない僕が書いておくほか無いのだろうかとしつこくかいている。 そのことだけに打ち込んでいる時間がない。しかし、調べておかないと、消え去ってしまう。
 さて、沿岸漁業のマスク式潜水として、一世を画したアサリ式を作り出したのは、浅利熊記 ネットで調べたらhttps://www.city.hachinohe.aomori.jp/index.cfm/12,73153,43,265,html  八戸のページで当たった。1908 年うまれて、1963 年に亡くなった。上記ホームページより引用「昭和8年(1933)頃、後の「浅利式軽便潜水器」の原型となる「ポピュラー潜水器」を開発、販売。その後、ダイヤフラム(調整弁)によって自動的に吸気圧が調整される潜水器を開発して成功し、昭和13年、(1938)東京に旭潜水興業(株)を創設した。浅利式は、海軍省や農林省水産局に採用されたほか、大戦末期には戦闘機の高高度用飛行(与圧)服に応用され、浅利はその研究開発を担当した。」 電動烏賊つりの道具も作っている。これもアサリ式と呼ばれて全国に普及した。
b0075059_23273565.jpg
                   これがアサリ式の最初?
b0075059_23302896.jpg
                 船の科学館にあった。上の写真と形が重なる。
 僕が旭潜水科学研究所とつきあい始めたのは、大学3年生、日本潜水科学協会ができた時からだった。1957年、旭潜水の代表は佐藤賢竣さん(以後佐藤さんとする)で、潜水科学協会設立の世話役の一人だった。やがて高気圧作業安全衛生規則が1962年にできるのだが、佐藤さんはそれについても中心人物であった。つまり、潜水世界のボスの一人となっていた。 浅利熊記氏が浅利式マスクを作ったのは1933年だとあるが、佐藤さんはそのころから浅利さんの助手のような、協力者として存在していたように見える。後に佐藤さんは潜水科学協会の機関紙ドルフィンに、自転車の空気入れのようなポンプで簡略に潜水することができるマスクを作りたいと実験を繰り返していたと書いている。 それで、ダイバーが息を吐き出しているときに送られてくる空気を一時貯めておく空気嚢をマスクに取りつけることを思いついた。そして、自転車の空気入れは無理としても、空気ポンプのピストンを往復で空気を圧縮送気することを考えつき、これまでの天秤式のポンプの半分以下の大きさのポンプの送気で潜水できるようにした。 沿岸漁業対象の旭式マスクの大きな用途は二つ、一つは海産物採取、一つは船のスクリューにからみついたロープや網の除去、副次的に追い込み網での追い込み、養殖場の管理などの軽作業、などである。
b0075059_23320219.jpg
 潜水科学協会の機関誌である「どるふぃん」に掲載された旭式の」広告を見てみよう。ヘルメット式と同じような潜水服を着て、どっしりと格納箱の上に腰を下ろしているのは、佐藤さん社長自身である。浅利さんが亡くなったのは、1963年であるが、僕は浅利さんにお目にかかったことはない。表にはでなくなっておられたのだろう。後に福島県水産試験場でお世話になった、増殖部長の浅利さんは、熊記氏の息子さんだった。佐藤さんは、訃報をきいていないが、とにかく高齢である。ネットで佐藤賢竣と引いてみると、自分の書いたブログばかりがでてくる。
b0075059_23323418.jpg
 潜水士テキストに掲載されている図は、この写真から作った図なのだろう。 この旭式が、作られた時点で、ヘルメット式をいかに簡略化できるか、すなわち、軽便にできるかを目標にしていたことが、わかる。ヘルメット式と同じ生地の潜水服を着て、足には鉛の付いた靴を履いている。大串式、山本式は、海女の素潜りの延長線上で作られた。フィンは着けていないが泳ぐように動く。だから、タンクを背負って、スクーバの元祖としての特許申請をしたりしているし、定置網の補修などは泳いで広い範囲を移動して作業している。 一方旭式は、ヘルメット式の軽便化を目指している。ヘルメット式と同じ潜水服を着ると言うことが、重要な目標だった。潜水服を着る。すなわち、保温である。浅利熊記氏の生まれ育った八戸は、北限の海女の町でもあるが、南部潜り、ヘルメット式潜水が行われた地でもある。ヘルメット式は寒くないが、準備が大変であり、装備も高価であり、ポンプも大がかりである。何とかして、簡略化、軽便化をめざしたのだろう。 浅利式ができたのは、1933年として、そのころは、マスク式としては、山本式が完成の域に達していて、伊豆の伊東では、定置網漁業についての潜水の講習が、三浦定之助らが行っている。なのになぜ、アサリ式が、と疑問に思っていたが、目指すところがちがっていた。大串、山本式の欠点は寒さを防ぐ手だてがない。ただ、我慢あるのみであった。  マスク式で、ヘルメットの潜水服、ドライスーツを着た場合、問題になるのはスクイーズである。服の中に空気を入れなければ、服の中が水圧より小さくなって、身体が絞られてしまう。潜水服とマスクは、一体に接合されなくてはならない。すなわち、ソフトヘルメットである。 この場合、マスクが先にできて、それに服を接合したものか、接合した形で最初から考えられたのか、わからないが、おそらくはマスクが先だったと思う。 旭式には潜水服接合型と分離型ができた。これが大きな特色であり、軽便と呼ばれる所以でもある。 マスク接合型の潜水服は、腰の部分で上着とズボンに分けられ、ゴムのパッキンと金属製の帯とバックルで接合されている。 これで、ほとんどヘルメットと同等に水中作業ができたかというと、港湾工事などはできなかったであろう。ヘルメット式の場合、服の中に空気を入れて、その浮力調節を兜の側面についているキリップとよぶ排気弁で微妙に、しかも手を使わないで頭でボタンを押すことでできるのだが、軽便マスクでは、それはできない。 しかし、この潜水服を着用して寒さを防ぐという利点で、旭式は北洋鮭鱒漁業の独航船のほとんどに積み込まれた。スクリューに絡んだロープや網を解きほぐす作業で、水深は3m程度だから水深3mも潜れば良いわけで、これで十分である。 この作業は水中に浮かんでする作業だから、海底に足をしっかりと着けて歩くための重い潜水靴は不要である。ヘルメット式の場合、この靴が必須になるが、この靴は一人では履けない。助手、綱持ちの仕事である。そこで、足には錘をベルトで巻き付ける方法になった。レッグウエイトである。より軽装になった。しかし、それでもフィンを履く発想が日本人ダイバーにはない。海女さんなど、フィンを付けなくても、あおり足などで充分な機動力があった。鎧を着ても、素足で泳ぐと言う古式泳法の影響だろうか。最後まで、(戦争が終わるまで、フィンを履かなかった。
b0075059_23333450.jpg
 これらの図はどちらも潜水士テキストに掲載されて居たものであるが、靴を履かない方が多かった。テキストから消失する前の図も重装備である。 そこで、スクリュー作業などの場合、フィンを履けば良いのにとだれでも思うだろう。テキストの絵には、フィンがない。1945年、第二次大戦がおわるまで、日本の潜水はフィンを履かなかった。敵国、欧米の潜水部隊はフロッグマンであり、フィンを履いたこれが大きな差である。歩く作業にはフィンは邪魔でしかないが、中層に浮いたり、移動のためには、フィンは必須である。 水産大学の潜水実習でも、マスク式を使う場合にはフィンは履かなかった。 東京水産大学の潜水実習は、1953年にアクアラングが正式に伝えられるまで、この旭式マスクで行われた。 自分も大学3年次の潜水実習では、この旭式マスクの体験をした。まず旭式、次にスクーバに進む順だった。素潜りをさんざんやっているし、わずかではあるが、スクーバも経験があったので、このマスク式に、何の抵抗もなく潜水できて、海底を這い回った。立って歩いた記憶はない。這った。 小湊の実験場で、磯根の上にコンクリートで台地が作られている上にポンプを載せて送気する。港の岸壁があれば、そこに載せれば良いし、漁船に載せても良いのだが、小湊の入り江は港ではないので、船着き場の水深は1mぐらい。とても潜水訓練にはならないので、張り出した磯根の上にポンプ置き場を作ったものだった。 耳抜きだけできれば、このマスクで潜ることは誰でもできる。問題は耳抜きであり、鼻をつまむこともできないし、マスクの縁で鼻を塞ぐこともできない。唾を飲み込むか、顎を動かす他ない。 後に、僕は旭式でフィンを履いてみた。フィンを履いて、小さなポンプで潜ったのだが、なかなか快適であった。やってみれば良かったのに、とは後でいうことだが、ポンプで旭式で潜る体験潜水など悪くない。  分離型は、今のフルフェースマスクでも同じだが、顔でシールする部分から空気が漏れ出すと空気消費が多くなる。空気消費が少ないことが売りの旭式だから、きっちり締め付けなくてはならない。 続く 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1388

Trending Articles