お台場にこれで回数を数えただけで130回の上、回数を数えるようになったのは、1994年からだ。自慢になるのは回数だけかもしれない。何か論文を書いたということもない。ただ、継続は力だと思っているだけかもしれない。とにかく継続していれば、何かになるのだと思っていた節もある。 継続することはともかくとして、何のために継続するのだという目的、目標についてまとめて置こう。 目的、目標は、人それぞれである。ただ、継続するという目的もある。 自分の場合だが、一つはお台場という場所がダイビングポイントとして自分にとって魅力があることだ。これを細かく書いていると、今日書こうとしているところに到達できなくなってしまうのでまたの機会にするとして、生き物の観察に目標を持てるということがまず言える。ところでその観察で結果を残しているかというと、20年間も潜っていて残していない。これは、とても残念。残念がっていても仕方がないので、これから先のことを考えよう
8月のマハゼ
お台場で一番多く見られる魚はマハゼである。そして、毎年見られて、それほど減っていない。 2015年、去年になってしまったが、東京湾大感謝祭で行われた ミニシンポジウム「東京湾を再生するためにどのような研究が必要か」「市民調査から見えてきた東京湾のマハゼ」 江戸前ハゼ復活プロジェクト 古川恵太氏の発表の報告から抜き出して、考えてみよう。古川さんは2014年に僕がお台場のビデオを大感謝祭で発表したおりにお世話をしてくださった。 2015年のミニシンポジウムでの発表んのPPスライドもわかりやすい。 発表は、市民が釣ったマハゼを分析したものだが、それは、ここでは述べない。その前提となっているマハゼについての東京湾での状況、常識の部分がよくまとまっているので、参考にした。 まず、「東京湾におけるマハゼの資源量だが、1960年代には、推定で1億尾、それが、1980 年代になると1000万尾十分の一になった。それが 2000年代には 100万尾、さらに十分の一になった。」 この推定は、神奈川県水産センターの工藤さんが行ったものだ。工藤さんもたいへんに親しい友人で、何度か一緒に潜る機会があった。 ずいぶん大ざっぱな推定で、本当かな?とおもうけれど。20年間で十分の一ずつ減って、40年間で100分の一になってしまった。1%である。とにかく、1960年代には今の100倍のマハゼが居たという推定である。 東京都の漁業というと何があるかというと、まずハゼ釣りがあり、次に島嶼の漁業だ。島嶼とは伊豆七島と小笠原である。ハゼ釣りは伊豆七島の漁業に匹敵していた。今、ハゼ釣りの船は屋形船の観光になり、ハゼ釣りよりも大規模となり、利益も上がっていることだろう。だから、ハゼの減少もそれほどの打撃にはならない。ハゼの減るのに比例して、屋形船が増えた。 この減少は、川と海が分断された結果と推定されている。マハゼは春先に生まれて、やがて川を遡り、夏が過ぎるころ川を下って汽水域にきて、やがて、深場といっても水深、6ー8mの柔らかい泥場、ヘドロとも言う、に産卵のための孔を掘って産卵する。産卵の為の孔は、1m以上と深い。そして、大半は、産卵を終えると死んでしまう。およそ1年の命、年魚である。中には2年、3年と生きる個体もあるという。 100分の一になったということは、川に上れなくなった。つまり棲息の面積が100分の一になったと見れば納得できる。 古川さんのスライドでは、今でも江戸川、多摩川、荒川にはマハゼが遡っている。隅田川は?になっている。 さらに古川さんのスライドで「マハゼの住みところ調査空間的にいくつかの独立群が存在している1ー3月産卵群と 4ー6月産卵群がいる。夏期には貧酸素から逃れる場をさがしている。安定して産卵できる場所 貧酸素から逃れる場を保全造成する事が必要?」 そしてマハゼが増える為には。「稚魚の為の浅場 潮だまり幼魚ー成魚とための駆け上がり産卵場所のための泥質海底」 としている。 5月のマハゼ
空間的にいくつかの独立群が存在している。江戸川にのぼる群、荒川、多摩川、それぞれ独立した群と考えられる。江戸川の群は、葛西、ディズニーランド沖あたりで産卵する。多摩川の群は羽田沖で産卵する。 では、?の隅田川の群は、お台場を含む東京港の隅田川河口付近と考えられないだろうか。 1月ー3月の産卵群があり、4月ー6月の産卵群があるということは、お台場でも夏場から秋にかけて、大きさの全く違うマハゼの群がいることで、想定できる。 多分、お台場、東京港のマハゼは、やはり隅田川を遡上しているのだろう。そのあたりの調査は川の調査をしなければわからないが、自分の守備範囲はお台場だから、他の調査の結果を待つ他無い。 東京湾の夏場の貧酸素だが、東京湾の鮎もマハゼも貧酸素の時期を川に上って避けている。しかし、上れない、上っていないとすれば、夏場、貧酸素の時期をどのように過ごすかが問題になる。 安定して産卵できる場所、お台場のヘドロ地帯、水深4ー6mでは、産卵していないだろうか。1993年に潜水した際、多分マハゼだろう、というハゼが孔を掘っていて、逃げ込むのを撮影している。今、2016年はどうなのだろうか。僕たちの潜水調査区域が岸辺に限定されているので、潜っていないのでわからない。調べて見たいとおもっている。 お台場のマハゼの状態を見ると、5月の稚魚の時、次第に大きくなっていく6月7月、そして大きくなった9月、10月には姿をけす。もちろん、大きくなるに従って数も少なくなっている。9月10月の大型個体は、川に上ったとしても降りてくる時期だから、お台場に居着いたまま大きくなった個体ではないだろうか。そんなことで、お台場の狭い範囲で、産卵も含めて、生活史を完結している個体が居るに違いない。
お台場で一番多く見られる魚はマハゼである。そして、毎年見られて、それほど減っていない。 2015年、去年になってしまったが、東京湾大感謝祭で行われた ミニシンポジウム「東京湾を再生するためにどのような研究が必要か」「市民調査から見えてきた東京湾のマハゼ」 江戸前ハゼ復活プロジェクト 古川恵太氏の発表の報告から抜き出して、考えてみよう。古川さんは2014年に僕がお台場のビデオを大感謝祭で発表したおりにお世話をしてくださった。 2015年のミニシンポジウムでの発表んのPPスライドもわかりやすい。 発表は、市民が釣ったマハゼを分析したものだが、それは、ここでは述べない。その前提となっているマハゼについての東京湾での状況、常識の部分がよくまとまっているので、参考にした。
空間的にいくつかの独立群が存在している。江戸川にのぼる群、荒川、多摩川、それぞれ独立した群と考えられる。江戸川の群は、葛西、ディズニーランド沖あたりで産卵する。多摩川の群は羽田沖で産卵する。 では、?の隅田川の群は、お台場を含む東京港の隅田川河口付近と考えられないだろうか。 1月ー3月の産卵群があり、4月ー6月の産卵群があるということは、お台場でも夏場から秋にかけて、大きさの全く違うマハゼの群がいることで、想定できる。 多分、お台場、東京港のマハゼは、やはり隅田川を遡上しているのだろう。そのあたりの調査は川の調査をしなければわからないが、自分の守備範囲はお台場だから、他の調査の結果を待つ他無い。 東京湾の夏場の貧酸素だが、東京湾の鮎もマハゼも貧酸素の時期を川に上って避けている。しかし、上れない、上っていないとすれば、夏場、貧酸素の時期をどのように過ごすかが問題になる。 安定して産卵できる場所、お台場のヘドロ地帯、水深4ー6mでは、産卵していないだろうか。1993年に潜水した際、多分マハゼだろう、というハゼが孔を掘っていて、逃げ込むのを撮影している。今、2016年はどうなのだろうか。僕たちの潜水調査区域が岸辺に限定されているので、潜っていないのでわからない。調べて見たいとおもっている。