マスク式潜水の原稿はほぼできているのだが、安全潜水を考える会が、良かったのでそれを書こうとしたら、ニフテイのホームページが式が変わって見られなくなってしまった。これは大変で、ブログどころの話ではない。もともとニフテイは嫌いなのだが、一番古い付き合いなのだ。まだ、修復できていない。 その安全潜水を考える会だが、そんな事情で、はしょって書くことになる。 良いと思ったのは、四つの講演が、運用、オペレーションを中心にしていたことだ。運用が安全の鍵なのだ、と、常日頃言ったり書いたりしている。日本水中科学協会のシンポジウムも2010年の最初の会から運用の話を必ず入れている。 四番目の講演、海保の和多田さんのスライドでは、何度も「段取り9割」と書いてある。段取りとは、運用のことに他なら無い。段取りを良くする、つまり運用のことだ。運用80%という言葉もある。 和多田さんは、特救隊隊長のキャリアがあるが、訓練で5キロもって15分の立ち泳ぎがある。今更立ち泳ぎを復活させるつもりは、無いのだが、救急ダイバーのトレーニングが目についている今日このごろだ。これがスタンダードだろう。学生連盟の事故は、限界を定めていなかった。海保の潜水士が15分ならば学生は、10分だろう。10分というのが僕たちが定めた時間だった。遠い日本潜水会の昔を思い出した。 あと三つの講演では、いずれも実例とその解決について、それぞれわかりやすくスライドを使っている。実例とその解決も運用が芯、9割になる。 弁護士の上野さんの話の中で、ご夫婦で潜っていて、初心者ではなく、ガイドともなじみ、という慣れた状況で、二人の潜水で、奥さんだけ先にガイドロープの下に潜降させて、後から追う形のご主人が沈んでしまう。ガイドは船の上にいて、あわてて飛び込んだが間に合わなくて死亡。 これは2014年の日本水中科学協会シンポジウムの事例と同じパターンではないか。日本水中科学協会の例は、ご主人が船上で準備中に、先行させた奥さんが行方不明になっている。細かい点はいろいろと違いはあるが、二人のバディの場合、一人だけを先に潜降させてはいけない。古典的ではあるが、必ず水面で顔を合わせて、潜降のサインで同時に潜らなければいけない。これは、潜水に慣れてしまうとなかなかできない。上手になれば、半ばソロに近くなってくる。しかし、このパターンの事故は、ガイドでなくて、リーダーだったとしても責任は追及されるだろう。 事故も古典的になるようなパターンは、マニュアル化が必要だ。 素潜りの安全について、藤本先生の話、彼はスキンダイビング・セーフティの共著者、つまり親戚だ。 水平25m潜水の繰り返しで12歳の健康な男の子、13歳の女の子が、強い胸痛を感じた後にめまいなどを感じた。 水平25m潜水の繰り返しは、僕のトレーニングの基本なので、子供でなくて大人でも同じようなことがないか心配になる。しかし、これもやめてしまうとトレーニング課目がなくなってしまう。 子供については、限界近くまで息こらえさせない、競わせないと言う結論だが、息こらえを限界までさせないというのは、大人についても、僕の練習会でのポリシーだけれど、その限界と言うのがどこかわかりにくい。子供の場合は、さらに限界を自覚しにくいということだろう。 親しかった木村京子の書いたジュニアスキンダイビングマニュアルのスライドも見せられた。ただ紹介しただけだが、今、木村京子は、どうしているだろう。 熱海の鈴木先生のアテンドダイビングは、ダイビングに不安を感じた人と一緒に潜ってみてアドバイスをしてくれるというのだが、難しい問題を内蔵している。できるだけ、ポジティブにダイビングを続ける方向での答えを探してくれるというのは、これまでにないことで、これができないと高齢者のダイビングは、行われ難いことになってしまうのだが、上野先生の訴訟例とは、表裏である。 すべては自己責任が原則でなければ、ポジティブなことは言えない。 安全潜水の会のあと、古い仲間の大方洋二君の出版記念パーティにまわった。池袋サンシャイン水族館の中でのパーティで、雰囲気としてはすばらしいものだった。来賓挨拶をさせられたが、大方君について、昔話をすると、とめども無いことになってしまうので、昔話はしなかった。昔話をしないとなると、上手な話はできない。 フィッシュアイの大村さんと話し込んだ。最新ダイビング用語事典Ⅱについて、お願いすることがあるのだが、改めて書面にすることにする。
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