ここで、お台場で観察される生き物の種類を紹介しておこう。まず魚類、江戸前の代表種ともいうべきマハゼ。マハゼは、数も多く3月の稚魚時代から、9月の成魚に至るまで、観察できる。
他のハゼの類で多く見られるのは、チチブ、アカオビシマハゼ、スジハゼ、ウロハゼ、ドロメ などである。ハゼの類は、稚魚時代は別として、海底で生活していて、隠れ家として、岩の隙間、岩の下、牡蠣殻の隙間などを隠れ家としている。
同じく、海底生活者としては、トサカギンポも多く見られる。泳ぐ魚としては、メバル、シマイサキが代表的なものだが、稚魚の時代だけをここで過ごすらしく、6cmほどになると姿を消す。 ボラは大きな個体が周年泳ぎ回っている。 人工砂浜の上ではイシガレイの稚魚が時に多く見られる。大型のツバクロエイ、小型のアカエイも見られる。エイの類は、二枚貝を餌としていて、かなりの量が食べられているものと思われる。
甲殻類 カニの類は1990年代は、外来種であるチチュウカイミドリガニ、イッカククモガニが多く見られたが、2005年頃から減少して、ほとんど見られなくなった。2013年、2014年には、イシガニが目立ったが、2016年にはほとんど見えなくなった。カニの類は激減したといえるだろう。
ヤドカリは、小さいユビナガホンヤドカリ、大きい ケブカヒメヨコバサミがいる。ヤドカリの類もめっきり減ってきた。東京都農林水産センターでは、ヤドカリの減少は、中に入る貝殻が少ないからだ、と貝殻を撒く計画をしている。効果があるかどうかわわからないが、水産センターとしてヤドカリを大事にすることは良いことだと思う。 なお、甲殻類は夜行性なので、夏には夜間の調査が必要と考えている。
貝類だが、磯の部分に目立っているのは、アカニシだ。周年産卵している。イボニシも多い。二枚貝では、何と言ってもホンビノスだ。この10年で、すっかり食用の貝として定着してしまった。お台場でも大きい貝が、取れる。潮干狩りのような遊びをしている都民も多いが、干潮線からの深さが50cmはあるので、なかなか採れない。採れないから、沢山いるのだろう。アサリは、2004年頃多く取れて、半ばプロまで現れた。その為、そして、棲息する砂浜が浅いので、殆ど取られてしまった。
プロのアサリ採り
東京都水産センターでは、地元中学校と同調してクリーンアップ大作戦の一環として、網に入れ、枠にのせたアサリを砂浜の上に置き、二枚貝による水質浄化と自然教育の教材としようとしている。 ☆2012年、東京都は、実験的に人工浅場という名称で、高さ1.5m、2mの牡蠣殻を利用した人工魚礁を僕たちが調査を行っているフィールドのほぼ中心あたりに設置した。別に何の連絡を受けたわけでもなかったが、調査協力を申し出で、月毎の撮影調査の中心項目として、一応の報告書、写真帳も港湾局に差し上げた。
設置した人工浅場だが、高さが高く、設置した水深が2mー3mで底の部分の一部はヘドロ域に乗っていた。 3月に設置して、4月には、メバルの稚魚が集まった。人工浅場の形状は、牡蠣殻を詰めたメッシュパイプを段にしたもので、2段のものと、3段のものがあった。牡蠣殻の隙間の上には、ユビナガスジエビが10の単位で見えていた。牡蠣殻の目的は小さな甲殻類をその隙間に誘うことで、魚の餌量として、魚を集めるということで、その意味ではねらい通りだった。ハゼの類は、アカオビスジハゼ、スジハゼが、メッシュの上に乗っていたが、マハゼは見られない。マハゼは底を這うように泳いでいる習性であり、中段に乗ると言うことはないのだろう。 5月は、赤潮が発生した。赤潮にも、表面だけが赤潮で、1mから下は、普通に見通せる状態と、表面から、2mの底まで赤潮になってしまう状態がある。全体の赤潮の時も、底から10cmぐらい上まで、底すれすれでは見通せる。しかし、上を赤潮に覆われるので、暗黒でライトの光束の範囲ないしか見えない。メバルの稚魚がメッシュパイプの隙間に入っていた。 赤潮のとき ウロハゼ
6月、人工浅場は、自重で海底に沈降し始める。ヘドロ域に近いところは当然沈みが大きい。 6月は若いマハゼが多く底面を泳ぎ回る時期だが、人工浅場には寄りつかない。牡蠣殻を詰めたメッシュパイプには、次第に泥茶色の付着生物が付き始める。汚らしいが有害かどうかは不明 7月、8月は、次第に沈降して下の段はほとんど埋もれてしまった。沈降がどのあたりで止まるかを見定めれば、ヘドロの深さがわかると思っていた。 ヘドロ海底は硫黄バクテリアでお覆われ、人工浅場も下の段は、斑のようにバクテリアが付き始めた。 浅場を沈設した2012年は青潮も押しよせ、酸素がほとんどゼロになり、9月の調査では、人工砂浜では大型のホンビノスが砂の上に這い出て死滅、累々と死骸が続き、ホンビノスの量の多さに驚かされた。魚も、岸近くの浅瀬にも、どこにも姿がなく、当然カニの類も姿を消して、動く生き物の姿はゼロ、動いているのはフジツボの触手だけだった。 10月、貧酸素が解消すると、人工浅場の中段には魚が集まり始めた。主にシマイサキの稚魚で、10の単位で見られた。ここで、このような人工魚礁の魚の数を推定する場合、1尾みられれば、10尾はそのブロックにいる。10の単位で見られれば、100尾はいる。100の単位で見られれば、1000尾はいると推定する。
11月 さらに水はきれいに澄んで、中段は水族館のような様相になった。自然の回復力は大きいと思ったが、多分、貧酸素の時期には表層近くの浅瀬の隙間に身を潜めていたのだろうと推定する。お台場の外にでても無酸素は解消していないが、酸素のある浅瀬に隠れる場があれば、やり過ごすことができるのだろう。マハゼなどは、早い時期に川を遡上して逃れている個体もお、11月には、マハゼはお台場の浅瀬からは姿を消す。 12月から3月は魚が姿を消しているとき。4月からの調査を楽しみにしていたが、試験枕設は3月で、一年経過で終了した。 この実験で得られたものは大きかった。一年を記録したビデオは好評をいただいた。
6月、人工浅場は、自重で海底に沈降し始める。ヘドロ域に近いところは当然沈みが大きい。 6月は若いマハゼが多く底面を泳ぎ回る時期だが、人工浅場には寄りつかない。牡蠣殻を詰めたメッシュパイプには、次第に泥茶色の付着生物が付き始める。汚らしいが有害かどうかは不明 7月、8月は、次第に沈降して下の段はほとんど埋もれてしまった。沈降がどのあたりで止まるかを見定めれば、ヘドロの深さがわかると思っていた。 ヘドロ海底は硫黄バクテリアでお覆われ、人工浅場も下の段は、斑のようにバクテリアが付き始めた。