22日、23日の土日、二日間を横浜赤レンガ倉庫で行われた東京湾大感謝祭に出かけていた。東京都水環境局の風間さんのコーディネートでお台場で撮った映像をモニターで映写展示することになり、展示する以上、現場に二日間は行って、在駐しなくてはならない。 映像の編集のための整理に、10日はかかった。これはいずれにせよ、整理して置かなければならないものだから、これを機会に頑張った。 映写は、赤レンガ倉庫一号館の2階、NPO団体、下水道局などが、ワークショップを行うその片隅にモニターと机、椅子3脚を置いただけのもので、どなたか来てくれるか、立ち寄ってくれれば、親しくお話することができる。東京港水中生物研究会の報告書を、差し上げるように置き、映像説明のリーフレットをプリントして置いた。 一日目、22日には、辰巳プールなどに来てくれている、高山さんが来てくれて、3時間ほどゆっくりお話ができ、自分のお台場映像について、東京港とのスタンスについて、今後、やりたい企画などについて、熱く話ができた。話をしながら、考えを成長させていく、ことができるから、話しができるということは、とても大事で有意義なことなのだ。 二日目の23日は、杉山英雄さんがこられて、助けられた。東京港水中生物研究会メンバーで日本水中科学協会会員の尾島さん夫妻が居てくださった。鶴町さんは、この大感謝祭の被り物の踊りのメンバーで、近くに居てくれたので、大いに助けられた。 僕のコーナー
同じ部屋のワークショップに出展している人たちとお話もできた。 ワークショップは子供向けのちょっとしたもの、海藻の押し葉を作ったり、魚のおもちゃを作ったり、かるたをやったり、子供向けのものが多い。横浜市立大学の発表コーナーでは、東京湾環境水質浄化推進実行委員会メンバーの石井彰さんが常駐して説明役をされていて、これもお世話になった。まずは、みなさまにお礼をいう。 横浜下水道局は新しい、下水道についての幾つかの展示をしていた。一つ一つについて説明することはできないが、自分としては、新しい知識を取り入れる事もでき、東京湾の活動の傾向を知ることもできた。 大感謝祭の概略をいうと、屋外のテント展示と赤レンガ倉庫の展示があり、赤レンガ倉庫についてはすでにのべた。屋外のテント展示は、展示が軒を並べ、中に道筋が通っている。道筋は4本で、三つのブロック、街に分けられる。中心になっているのは、ステージと、展示テント、2列で、テントの展示は、東京湾で仕事をしている調査会社、建設会社、研究機関などなどで、展示の内容は、僕たち赤レンガ倉庫のワークショップ、展示と大同小異である。人の波、流れの中心だから、多くの人に見てもらえるという事は言える。とにかく何らかの形でここに出展していることが、東京湾で仕事をしている市民権になる。 ステージでは、途切れずに何かをやっていた。子どもたちのダンスだとか、太鼓だとか、新人の芸人、途切れもなく何かが出ている。パネルデイスカッションもいくつかあったはずだ。 後の二つの街は食である。一つは車屋台のような店、富士宮の焼きそばは定番で、寿司、江戸前天丼、など多数。真ん中の道筋には、机と椅子があり、食事をする。
もう一つの食の街は、全国各地、各県、各町の食の展示がぎっしりと並ぶ。目についたのは肉で、山形牛とか宮崎牛とか、県の名前が付いた牛、日本は全国で牛自慢をしている。ほんのちょっと、一口を無料で試食す出来る。もちろん、肉だけではないが、とにかく肉だった。昨年は、もう少し空いていたような気がする。赤レンガ一号館は、既設の食べ物屋とちょっとした店で、僕は、ここで崎陽軒のラーメンをたべた。 食がなければ客寄せができない。とにかく、人が集まれば、動きができる。流れが生まれる。人を多数集めることが力なのだ。 各県、試食街?
流れは、東京湾を大事にして行こう。開発ではなくて、これからは再生なのだと言うのが中心コンセプトであろう。 僕たち東京湾環境水質浄化推進実行委員会も東京港水中生物研究会も東京港の自然再生を目指す。「再生」がポイントだ。 お台場は、東京港、東京湾の行き止まり、東京湾の中でも最悪な水環境である。この東京湾の奥の再生とはどんなことかと言えば、江戸前の海をとりもどすことだ。江戸前とは、築地、品川、江戸時代は佃島から、大森、蒲田、今の羽田沖、千葉側では、葛西、行徳、浦安三番瀬 あたりまでの海域で、江戸の100万町民のタンパク源を供給するとともに、行楽の場でもあった。その昔の再生である。 再生の目標、大事に考えているのは生き物で、江戸前を具体的に言えば、マハゼ、アナゴ、スズキ、などなど、カニの類ではガザミ、貝の類では、アサリ、牡蠣、忘れてはいけないのは、海苔。現代的に言えば種の多様性も大事だ。その一つ一つについて、それぞれ、語ることがあるが、そんなことをしたら本になってしまう。 お台場の近く、今の水上バスの航路の近くに潜ったのは1980年代で、マハゼの巣穴の調査を手伝った。マハゼは柔らかいヘドロ、水深4-6m(8mとも言われている)に巣穴、産卵孔を掘って、その奥に産卵する。巣穴は、深いものでは2mにも及ぶ。穴に樹脂を注入して、固めてから掘り出せば、穴の形が掘り出され、レプリカになる。その頃の水産試験場の調査を手伝った。実は、その頃が、お台場の生物が今よりもずっとずっと豊だったのではないかと、今振り返って思う。 その更に前、公害の時代があって、死んだ魚が驚くほど多数浮いた時代は別として、公害がある程度解決して、まだ湾岸の大開発が進まなかった時代、1980年代に、もしも、定量的な観察が出来ていれば、良かったのにと悔やむが。現在のマハゼの巣穴を調べれば、定量的な比較が出来るだろうか?マハゼはお台場で産卵しているだろうか?1963年ごろに撮影したビデオがある。穴の入り口に居て、近づいたら穴の中にするりと逃げ込んだ。これがマハゼであったのかどうか定かではない。スジハゼかもしれないし。 今一度チャレンジしてみたい。 スジハゼのようでもある。
マハゼのようだ? 1993年に撮影
次に潜ったのは、1993年で、特殊救難隊の隊長時代にテレビの取材で、仲良くなった宮野信昭氏が東京海上保安部の警備救難課長になっていたので、相談して、お台場のクリーンアップを始めた。未だ、そのころは、もしかして今でもだが、お台場で泳ぐと健康に障害があるのではないかと思われた。そんなところに100人からの一般ダイバーを潜らせて、ゴミを拾わせるのだから、何かが起こったら大変だ。僕は、というか、一般の作業ダイバー、調査ダイバーは、普通に潜っているのだから、何の問題も無いと思っていたが、念のためということで、特殊救難隊のダイバーと一緒にもぐった。勿論なんとも無かった。クリーンアップも、誰の健康にも支障はなく、この行事は港区の文化健康、スポーツふれあい財団の主管となって、東京ベイクリーンアップ大作戦と名付けられて、今年で22回を迎えている。 もしも、このお台場の海が、ハゼ一尾、カニの一匹も居ない、何も生き物が居ない、死の海だったならば、僕たちも潜るという気持ちにはならなかっただろう。 生き物が居て、賑やかな活気に満ちた海であることが、大事なこと、再生、浄化とは、生き物が豊になることに他なら無い。その思いを今度の大感謝祭でも強く感じた。僕たちの撮つた、お台場の生き物の映像を、見て、話し合った人たちは、誰でももそんな思いを持ってくれたと思う。あんまり多数の人とは話はできなかったが。今回作った映像をコーディネートしてくださった東京都の風間さんにも映像を差し上げた。諸処で見せてまわってくださるという。 続く
同じ部屋のワークショップに出展している人たちとお話もできた。 ワークショップは子供向けのちょっとしたもの、海藻の押し葉を作ったり、魚のおもちゃを作ったり、かるたをやったり、子供向けのものが多い。横浜市立大学の発表コーナーでは、東京湾環境水質浄化推進実行委員会メンバーの石井彰さんが常駐して説明役をされていて、これもお世話になった。まずは、みなさまにお礼をいう。 横浜下水道局は新しい、下水道についての幾つかの展示をしていた。一つ一つについて説明することはできないが、自分としては、新しい知識を取り入れる事もでき、東京湾の活動の傾向を知ることもできた。 大感謝祭の概略をいうと、屋外のテント展示と赤レンガ倉庫の展示があり、赤レンガ倉庫についてはすでにのべた。屋外のテント展示は、展示が軒を並べ、中に道筋が通っている。道筋は4本で、三つのブロック、街に分けられる。中心になっているのは、ステージと、展示テント、2列で、テントの展示は、東京湾で仕事をしている調査会社、建設会社、研究機関などなどで、展示の内容は、僕たち赤レンガ倉庫のワークショップ、展示と大同小異である。人の波、流れの中心だから、多くの人に見てもらえるという事は言える。とにかく何らかの形でここに出展していることが、東京湾で仕事をしている市民権になる。 ステージでは、途切れずに何かをやっていた。子どもたちのダンスだとか、太鼓だとか、新人の芸人、途切れもなく何かが出ている。パネルデイスカッションもいくつかあったはずだ。 後の二つの街は食である。一つは車屋台のような店、富士宮の焼きそばは定番で、寿司、江戸前天丼、など多数。真ん中の道筋には、机と椅子があり、食事をする。
流れは、東京湾を大事にして行こう。開発ではなくて、これからは再生なのだと言うのが中心コンセプトであろう。 僕たち東京湾環境水質浄化推進実行委員会も東京港水中生物研究会も東京港の自然再生を目指す。「再生」がポイントだ。 お台場は、東京港、東京湾の行き止まり、東京湾の中でも最悪な水環境である。この東京湾の奥の再生とはどんなことかと言えば、江戸前の海をとりもどすことだ。江戸前とは、築地、品川、江戸時代は佃島から、大森、蒲田、今の羽田沖、千葉側では、葛西、行徳、浦安三番瀬 あたりまでの海域で、江戸の100万町民のタンパク源を供給するとともに、行楽の場でもあった。その昔の再生である。 再生の目標、大事に考えているのは生き物で、江戸前を具体的に言えば、マハゼ、アナゴ、スズキ、などなど、カニの類ではガザミ、貝の類では、アサリ、牡蠣、忘れてはいけないのは、海苔。現代的に言えば種の多様性も大事だ。その一つ一つについて、それぞれ、語ることがあるが、そんなことをしたら本になってしまう。 お台場の近く、今の水上バスの航路の近くに潜ったのは1980年代で、マハゼの巣穴の調査を手伝った。マハゼは柔らかいヘドロ、水深4-6m(8mとも言われている)に巣穴、産卵孔を掘って、その奥に産卵する。巣穴は、深いものでは2mにも及ぶ。穴に樹脂を注入して、固めてから掘り出せば、穴の形が掘り出され、レプリカになる。その頃の水産試験場の調査を手伝った。実は、その頃が、お台場の生物が今よりもずっとずっと豊だったのではないかと、今振り返って思う。 その更に前、公害の時代があって、死んだ魚が驚くほど多数浮いた時代は別として、公害がある程度解決して、まだ湾岸の大開発が進まなかった時代、1980年代に、もしも、定量的な観察が出来ていれば、良かったのにと悔やむが。現在のマハゼの巣穴を調べれば、定量的な比較が出来るだろうか?マハゼはお台場で産卵しているだろうか?1963年ごろに撮影したビデオがある。穴の入り口に居て、近づいたら穴の中にするりと逃げ込んだ。これがマハゼであったのかどうか定かではない。スジハゼかもしれないし。 今一度チャレンジしてみたい。
次に潜ったのは、1993年で、特殊救難隊の隊長時代にテレビの取材で、仲良くなった宮野信昭氏が東京海上保安部の警備救難課長になっていたので、相談して、お台場のクリーンアップを始めた。未だ、そのころは、もしかして今でもだが、お台場で泳ぐと健康に障害があるのではないかと思われた。そんなところに100人からの一般ダイバーを潜らせて、ゴミを拾わせるのだから、何かが起こったら大変だ。僕は、というか、一般の作業ダイバー、調査ダイバーは、普通に潜っているのだから、何の問題も無いと思っていたが、念のためということで、特殊救難隊のダイバーと一緒にもぐった。勿論なんとも無かった。クリーンアップも、誰の健康にも支障はなく、この行事は港区の文化健康、スポーツふれあい財団の主管となって、東京ベイクリーンアップ大作戦と名付けられて、今年で22回を迎えている。 もしも、このお台場の海が、ハゼ一尾、カニの一匹も居ない、何も生き物が居ない、死の海だったならば、僕たちも潜るという気持ちにはならなかっただろう。 生き物が居て、賑やかな活気に満ちた海であることが、大事なこと、再生、浄化とは、生き物が豊になることに他なら無い。その思いを今度の大感謝祭でも強く感じた。僕たちの撮つた、お台場の生き物の映像を、見て、話し合った人たちは、誰でももそんな思いを持ってくれたと思う。あんまり多数の人とは話はできなかったが。今回作った映像をコーディネートしてくださった東京都の風間さんにも映像を差し上げた。諸処で見せてまわってくださるという。 続く