7月20日、
朝、8時が第1回目の潜水で、壱岐の芦辺南 というところで潜る。
水温は何度だろうか?3mmのワンピースと5mmを持ってきた。最初、3mmでよいと思った。もはや7月中旬である。3mmにフードジャケットで良い。5mmのワンピースがあまりにもボロなので、3mmにしたのだが、やはり寒いだろうと5mmのぼろワンピースを後便で送っていたのだ。
機材を開いて見たが、フードジャケットがない。忘れ物第二号だ。鈴木君は発送も手伝ってくれると言ったのだが、大丈夫だと断った。それがこの始末だ。
観念した。寒くても大丈夫だろう。5mmで行こう。しかし、フードも無いのだ。フード一つで3mmと5mmの差ぐらいあるだろう。どうしよう。
衣類の中に入っているかもしれない。バックに入りきらなかったので、別にした可能性もある。あった!衣類の底に敷くようにしてフードジャケットが入っていた。これで、命拾いをした。
まず、平山先生の広島大学 海藻採集のスキンダイビンググループが、ボートに乗り、採集地点の岸に上陸して、スノーケリングで採集する。
スノーケリングを降ろしたゴムボートが、豊潮丸にもどり、僕たちが発進する。準備は8時からだったが、潜水開始したのは9時を回った。
赤いゴムボートにセットしたタンク7本、須賀10リットル、中尾、町田、里奈(10リットル)、鈴木、坂井、北大生、7本を積み、エンジン付きの、豊潮丸のゴムボートサイドバイサイドで、繋いで走って行く。もう、手慣れた作業になっている。なお、豊潮丸での空気充填は、120気圧までだ。120気圧より高い圧力は、コンプレッサーの能力が低いために、時間がかかりすぎる。船の乗員が片手間に充填するので、長い時間を充填にかけるわけには行かないのだ。
これは、そのような取り決めであり、わがままはいえない。
潜水のパターンも決まっている。岸近く、岸までの距離、50mぐらいのところに、アンカーを入れて、赤いボートを浮かす。エンジン付きのボートから6人が飛び込む。鈴木が赤ボートからタンクをおろして、それぞれ、水面で着ける。その周辺、原則として半径100mぐらいを潜る。
エンジン付きボートは、広島大学のスノーケリンググループを引き上げに行き、彼らを本船に収容してから、こちらに迎えに来る。僕たちの潜水時間は、40ー50分で 浮上するときにはすでにエンジン付きのボートは、待っていてくれる。
スノーケリンググループと僕たちの潜水を併せて、2時間半を予定している。
僕たちの基本フォーメーションは、ボートのアンカーの基点から80mの巻き尺を深い方向に延ばす。これが、ボートに戻るランドマークである。巻き尺のどちら側で潜っても、おおよそ、の逆方向にもどってくれば、巻き尺に当たるから、それをたどってゴムボートにもどれる。流れの速い時には、巻き尺からあまり離れないように、潮上に向かって泳げば、帰りは流されてきてマークにもどれる。ゴムボートは潮の流れないところに置かなくてはならない。瀬戸内海では、岸まで強く流れていて、苦労したが、岸から80mの範囲ならば、なんとか岸に戻れる。
僕の持論なのだが、ダイビングの安全は、運用、段取りが80%を決める。そして何らかの方法で、戻る船、ボートまでの物理的なコンタクトを用意しておく。
豊潮丸のスタイルではゴムボート、アンカー、アンカーから伸ばした巻尺がコンタクトになる。
波、もしくはうねりが高ければ、豊潮丸からのボートの着発がむずかしくなり、危ないので、場所を変える。または。中止する。そして ゴムボートは、岩陰の波は全くないところに留めるから、一番気になるのは潮流である。玄界灘だから、潮が速いだろう途心配した。昔、僕は玄界灘で流されたことがある。潮が止まっていたので、何の準備も無く、つまり、コンタクトもなく、泳いだ。突然、潮が掛けてきた。危機一髪だった。今、流れていないからと言って、油断はできない。
ボートからみると0.5のっとくらいの潮があるように見える。
水面でのタンク装着は、下手になったが、とにかく一人でできる。できなければ、町田に助けてもらう。つくづく、自分が下手になったことを痛感する。
中尾先生はちょっとてこずったが、里奈がアシストしてくれる。里奈もかなり素早くタンクを着けられる。
バディは、須賀:中尾と 町田:里奈、鈴木はライフガード、そして、北大酒井先生のバディは、僕たちとあまり離れないようにしてもらう。これが、なかなか難しく、つい離れて行ってしまうのだが、ここは、酒井先生はじめ抜群の運動能力を持っているから、切り抜けられる。切り抜けられるという自信があるところが怖いので、注意はしている。僕たちのチームは、僕が最弱で、僕に合わせて判断し、まとまっているから、まず間違いはない。
僕は5mmの古いワンピースにフードジャケット、町田は水温25度ならば、ワンピースのロングジョンだけで良いと上着を着ないで潜る。もしも、それで、町田が寒くないようだったら、僕も5mmをやめて3mmにしよう。
ウエイトは4キロで良いはずだが、念のために1キロたして5キロにした。
水深は3-4m、中尾先生の行きたい方向に行く。中尾先生は、僕よりナビゲーション感覚があるし、獲物(採集物)の在処を知っている。地形を見て、採集目的の海綿などのあり場を予想している。僕は撮影しながら(動画)をついて行き、ナイフで海綿をはがして採集するときに、ビニール袋に受け止めるだけの仕事だ。バディシステムは、役割を決めておくことで、確実になる。
どの種類の海綿がよいものなのか、研究者でなければ、わからない。だから、研究者が、自ら潜らない限り、フィールドでの良い研究はできない。
袋に収容するために、カメラを海底に置くと、体が浮いてしまう。仕方がないから、カメラは小脇に抱えて、採集の手伝いをする。水深は3.8m、浅いので、ウエイトが重くないと体が安定しない。次の潜水からは6キロにしよう。
透視度は10-15m、日本海の典型的な海、海藻類、主にモクの類が繁茂している。
おだやかなイメージだ。
僕と里奈が、10リットルにしているので、僕が一番早くあがる。女性は空気の消費量がすくない。
それでも潜水時間は56分で、やや寒い。やはり3mmは無理かも知れない。体内での発熱エンジンが老化しているのだ。町田はロングジョンだけで寒くないらしい。
もう、迎えのボートは来ているが、赤いボートにウエイトをあげ、タンクはボートにつないで、迎えのボートに上がろうかと思ったが、独力でゴムボートに上がれるか、根性を入れて、なんとか上がることができた。
2回目の潜水も同じ芦辺で、すこしポイントを変えて、もう少し深度がとれる、すなわち急深のところをねらう。
ボートに乗ってチェックするとGoProのバッテリーが上がっている。仕方がない、ニコン、1300だけにする。
午前のポイントよりも、起伏があり、深いので、採集はこちらの方がよさそうだ。
およそ14時に潜水開始 水深7.3m 水温26度、潜水時間47分
エンジン付きが、近くまで来ていたので、少し船べりが高いがひっぱりあげてもらった。ちなみに、僕を除いた、全員が独力でエンジンボートにはい上がれる。僕は、少し低い赤いボートが限界だ。
無事に2回の潜水を終了して、壱岐の郷の裏港に入る。
恐怖の遠足
船が港に入ると、食事は船ではなくて、町に行って食べることになる。ここの教授たちは、なぜなのか、歩くのが好きで、すべて歩くことをポリシーとしている。どこまでも、目標まで歩くのだ。
港に近く、町があるはずだから、歩いて食事に出る。それが、毎航海の、僕にとっては恐怖の遠足になる。これまで踏破した町は、数えきれない。外国ではイスタンブール、ナポリ、ジェノバ、を歩き倒した。とにかく歩く。ナポリは山の上のホテルに泊まり、はるかかなた、にナポリの夜景が美しい。歩くのだ。それでも帰りはタクシーに乗せてもらえた。
壱岐、郷の浦も小さな町が港に接近してあるが、ちょうどいいラーメン屋とかがない。
まず、町を探し回った。二か所ほど、食べ物屋があったが、先生たちは気に入らずパスした。
やがて、町を離れて坂を上り始める。「峠の茶屋」に行くのか、峠を越えて次の街にいくのか。30分、いや、40分を歩いたと思う。坂道を登りながらだ。港の近くの街にも小さいスーパーがあったのだが、大きいスーパーに行きたいらしい。
この郷の浦も、ご多分にもれず、古い町のお店はシャッターになっていて、町はずれにおおきなスーパーがあるらしい。スマホで調べて登っていく。もう歩くのはいや、というところに、相応のおおきさのスーパーがあり、入って物色している。どうやら、いつの間にか、食堂に入って食べるのはやめて、食材を買って、バーベキューをやりたいらしい。それならそれで、買い出しなら買い出しと言ってくれれば、船で待っていたのに。しかし、歩くことは健康に良いのだ。だいたい、僕は歩かなさすぎる。そのことを心配して、僕を強制的に歩かそうとしているのか? それはそれで、感謝もするけれど、1日に2本潜って、それから遠足に歩きだす。81歳だ。年齢のことを言ってはいけない。
一軒目のスーパーに入って、何も買わずに出てきて、さらに次のスーパーを目指す。
次のスーパーは、さらに峠を登ったところにある。壱岐の島も車社会になっている。車社会とは、車がなければ日常の生活ができない社会である。歩いて1時間、坂を上ったとしても、車で行けば10分以内だ。町はずれ、山の中腹にスーパーが、威容を誇っている。これでは、町の商店街は潰れる。こんな山だけの小さい島、壱岐も、町外れに大型スーパーがある文化になっている。
後発のスーパーは、さらに町から離れたところに建てることになる。麓から、次々に山の上にスーパーができる。山の上のほうがあとからの進出だから、上に行くほど、スーパーは大型になる。車で走れば、3分の距離だ。
みんなでバーベキューの食材を2軒目のスーパーで買ったが、歩くのが趣味なのだろう中尾先生は町田と一緒にさらに上のスーパーに行った。
鬼のような島だ。僕は一応見て、それでも20分は見て、何も買うものもないので、僕のフォローをしてくれる、中村君と一緒に坂を下り始めた、四分の一くらい戻った時、後ろからタクシー(買い込んだ食材を運ぶため、さすがに大量の食材を持って歩くのは?それとも僕のためか)が来て、ピックアップしてくれた。
車ならば、坂を下り、豊潮丸まで、5分余で船にもどった。
北大の酒井先生は、バーベキューを学生と一緒に作って食べるのが、趣味なのだろう。とても良い先生なのだが、
バーベキューの味は?それほどでもなかった。
朝、8時が第1回目の潜水で、壱岐の芦辺南 というところで潜る。
水温は何度だろうか?3mmのワンピースと5mmを持ってきた。最初、3mmでよいと思った。もはや7月中旬である。3mmにフードジャケットで良い。5mmのワンピースがあまりにもボロなので、3mmにしたのだが、やはり寒いだろうと5mmのぼろワンピースを後便で送っていたのだ。
機材を開いて見たが、フードジャケットがない。忘れ物第二号だ。鈴木君は発送も手伝ってくれると言ったのだが、大丈夫だと断った。それがこの始末だ。
観念した。寒くても大丈夫だろう。5mmで行こう。しかし、フードも無いのだ。フード一つで3mmと5mmの差ぐらいあるだろう。どうしよう。
衣類の中に入っているかもしれない。バックに入りきらなかったので、別にした可能性もある。あった!衣類の底に敷くようにしてフードジャケットが入っていた。これで、命拾いをした。
まず、平山先生の広島大学 海藻採集のスキンダイビンググループが、ボートに乗り、採集地点の岸に上陸して、スノーケリングで採集する。
スノーケリングを降ろしたゴムボートが、豊潮丸にもどり、僕たちが発進する。準備は8時からだったが、潜水開始したのは9時を回った。
赤いゴムボートにセットしたタンク7本、須賀10リットル、中尾、町田、里奈(10リットル)、鈴木、坂井、北大生、7本を積み、エンジン付きの、豊潮丸のゴムボートサイドバイサイドで、繋いで走って行く。もう、手慣れた作業になっている。なお、豊潮丸での空気充填は、120気圧までだ。120気圧より高い圧力は、コンプレッサーの能力が低いために、時間がかかりすぎる。船の乗員が片手間に充填するので、長い時間を充填にかけるわけには行かないのだ。
これは、そのような取り決めであり、わがままはいえない。
潜水のパターンも決まっている。岸近く、岸までの距離、50mぐらいのところに、アンカーを入れて、赤いボートを浮かす。エンジン付きのボートから6人が飛び込む。鈴木が赤ボートからタンクをおろして、それぞれ、水面で着ける。その周辺、原則として半径100mぐらいを潜る。
エンジン付きボートは、広島大学のスノーケリンググループを引き上げに行き、彼らを本船に収容してから、こちらに迎えに来る。僕たちの潜水時間は、40ー50分で 浮上するときにはすでにエンジン付きのボートは、待っていてくれる。
スノーケリンググループと僕たちの潜水を併せて、2時間半を予定している。
僕たちの基本フォーメーションは、ボートのアンカーの基点から80mの巻き尺を深い方向に延ばす。これが、ボートに戻るランドマークである。巻き尺のどちら側で潜っても、おおよそ、の逆方向にもどってくれば、巻き尺に当たるから、それをたどってゴムボートにもどれる。流れの速い時には、巻き尺からあまり離れないように、潮上に向かって泳げば、帰りは流されてきてマークにもどれる。ゴムボートは潮の流れないところに置かなくてはならない。瀬戸内海では、岸まで強く流れていて、苦労したが、岸から80mの範囲ならば、なんとか岸に戻れる。
僕の持論なのだが、ダイビングの安全は、運用、段取りが80%を決める。そして何らかの方法で、戻る船、ボートまでの物理的なコンタクトを用意しておく。
豊潮丸のスタイルではゴムボート、アンカー、アンカーから伸ばした巻尺がコンタクトになる。
波、もしくはうねりが高ければ、豊潮丸からのボートの着発がむずかしくなり、危ないので、場所を変える。または。中止する。そして ゴムボートは、岩陰の波は全くないところに留めるから、一番気になるのは潮流である。玄界灘だから、潮が速いだろう途心配した。昔、僕は玄界灘で流されたことがある。潮が止まっていたので、何の準備も無く、つまり、コンタクトもなく、泳いだ。突然、潮が掛けてきた。危機一髪だった。今、流れていないからと言って、油断はできない。
ボートからみると0.5のっとくらいの潮があるように見える。
水面でのタンク装着は、下手になったが、とにかく一人でできる。できなければ、町田に助けてもらう。つくづく、自分が下手になったことを痛感する。
中尾先生はちょっとてこずったが、里奈がアシストしてくれる。里奈もかなり素早くタンクを着けられる。
バディは、須賀:中尾と 町田:里奈、鈴木はライフガード、そして、北大酒井先生のバディは、僕たちとあまり離れないようにしてもらう。これが、なかなか難しく、つい離れて行ってしまうのだが、ここは、酒井先生はじめ抜群の運動能力を持っているから、切り抜けられる。切り抜けられるという自信があるところが怖いので、注意はしている。僕たちのチームは、僕が最弱で、僕に合わせて判断し、まとまっているから、まず間違いはない。
僕は5mmの古いワンピースにフードジャケット、町田は水温25度ならば、ワンピースのロングジョンだけで良いと上着を着ないで潜る。もしも、それで、町田が寒くないようだったら、僕も5mmをやめて3mmにしよう。
ウエイトは4キロで良いはずだが、念のために1キロたして5キロにした。
水深は3-4m、中尾先生の行きたい方向に行く。中尾先生は、僕よりナビゲーション感覚があるし、獲物(採集物)の在処を知っている。地形を見て、採集目的の海綿などのあり場を予想している。僕は撮影しながら(動画)をついて行き、ナイフで海綿をはがして採集するときに、ビニール袋に受け止めるだけの仕事だ。バディシステムは、役割を決めておくことで、確実になる。
どの種類の海綿がよいものなのか、研究者でなければ、わからない。だから、研究者が、自ら潜らない限り、フィールドでの良い研究はできない。
袋に収容するために、カメラを海底に置くと、体が浮いてしまう。仕方がないから、カメラは小脇に抱えて、採集の手伝いをする。水深は3.8m、浅いので、ウエイトが重くないと体が安定しない。次の潜水からは6キロにしよう。
透視度は10-15m、日本海の典型的な海、海藻類、主にモクの類が繁茂している。
おだやかなイメージだ。
僕と里奈が、10リットルにしているので、僕が一番早くあがる。女性は空気の消費量がすくない。
それでも潜水時間は56分で、やや寒い。やはり3mmは無理かも知れない。体内での発熱エンジンが老化しているのだ。町田はロングジョンだけで寒くないらしい。
もう、迎えのボートは来ているが、赤いボートにウエイトをあげ、タンクはボートにつないで、迎えのボートに上がろうかと思ったが、独力でゴムボートに上がれるか、根性を入れて、なんとか上がることができた。
2回目の潜水も同じ芦辺で、すこしポイントを変えて、もう少し深度がとれる、すなわち急深のところをねらう。
ボートに乗ってチェックするとGoProのバッテリーが上がっている。仕方がない、ニコン、1300だけにする。
午前のポイントよりも、起伏があり、深いので、採集はこちらの方がよさそうだ。
およそ14時に潜水開始 水深7.3m 水温26度、潜水時間47分
エンジン付きが、近くまで来ていたので、少し船べりが高いがひっぱりあげてもらった。ちなみに、僕を除いた、全員が独力でエンジンボートにはい上がれる。僕は、少し低い赤いボートが限界だ。
無事に2回の潜水を終了して、壱岐の郷の裏港に入る。
恐怖の遠足
船が港に入ると、食事は船ではなくて、町に行って食べることになる。ここの教授たちは、なぜなのか、歩くのが好きで、すべて歩くことをポリシーとしている。どこまでも、目標まで歩くのだ。
港に近く、町があるはずだから、歩いて食事に出る。それが、毎航海の、僕にとっては恐怖の遠足になる。これまで踏破した町は、数えきれない。外国ではイスタンブール、ナポリ、ジェノバ、を歩き倒した。とにかく歩く。ナポリは山の上のホテルに泊まり、はるかかなた、にナポリの夜景が美しい。歩くのだ。それでも帰りはタクシーに乗せてもらえた。
壱岐、郷の浦も小さな町が港に接近してあるが、ちょうどいいラーメン屋とかがない。
まず、町を探し回った。二か所ほど、食べ物屋があったが、先生たちは気に入らずパスした。
やがて、町を離れて坂を上り始める。「峠の茶屋」に行くのか、峠を越えて次の街にいくのか。30分、いや、40分を歩いたと思う。坂道を登りながらだ。港の近くの街にも小さいスーパーがあったのだが、大きいスーパーに行きたいらしい。
この郷の浦も、ご多分にもれず、古い町のお店はシャッターになっていて、町はずれにおおきなスーパーがあるらしい。スマホで調べて登っていく。もう歩くのはいや、というところに、相応のおおきさのスーパーがあり、入って物色している。どうやら、いつの間にか、食堂に入って食べるのはやめて、食材を買って、バーベキューをやりたいらしい。それならそれで、買い出しなら買い出しと言ってくれれば、船で待っていたのに。しかし、歩くことは健康に良いのだ。だいたい、僕は歩かなさすぎる。そのことを心配して、僕を強制的に歩かそうとしているのか? それはそれで、感謝もするけれど、1日に2本潜って、それから遠足に歩きだす。81歳だ。年齢のことを言ってはいけない。
一軒目のスーパーに入って、何も買わずに出てきて、さらに次のスーパーを目指す。
次のスーパーは、さらに峠を登ったところにある。壱岐の島も車社会になっている。車社会とは、車がなければ日常の生活ができない社会である。歩いて1時間、坂を上ったとしても、車で行けば10分以内だ。町はずれ、山の中腹にスーパーが、威容を誇っている。これでは、町の商店街は潰れる。こんな山だけの小さい島、壱岐も、町外れに大型スーパーがある文化になっている。
後発のスーパーは、さらに町から離れたところに建てることになる。麓から、次々に山の上にスーパーができる。山の上のほうがあとからの進出だから、上に行くほど、スーパーは大型になる。車で走れば、3分の距離だ。
みんなでバーベキューの食材を2軒目のスーパーで買ったが、歩くのが趣味なのだろう中尾先生は町田と一緒にさらに上のスーパーに行った。
鬼のような島だ。僕は一応見て、それでも20分は見て、何も買うものもないので、僕のフォローをしてくれる、中村君と一緒に坂を下り始めた、四分の一くらい戻った時、後ろからタクシー(買い込んだ食材を運ぶため、さすがに大量の食材を持って歩くのは?それとも僕のためか)が来て、ピックアップしてくれた。
車ならば、坂を下り、豊潮丸まで、5分余で船にもどった。
北大の酒井先生は、バーベキューを学生と一緒に作って食べるのが、趣味なのだろう。とても良い先生なのだが、
バーベキューの味は?それほどでもなかった。