Quantcast
Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1388

0701 大岩先生

$
0
0
大岩弘典先生が亡くなられた。真野先生が亡くなり、そして、大岩先生、人の命は有限だから当然のことなのだが、並んだ世代でお世話になってきた友人が亡くなって行く度にいろんなことを考える。  潜水する以上は、潜水医学とは切っても切れないかかわりがある。潜水とは、そういう行動なのだ。幸いにして自分は潜水病の治療を受けるという形では大岩先生にも、真野先生にもお世話にならないで時を過ごしてくることができた。しかし、自分の潜水を計画するときは、旗印(監修)として、お名前を借りる。自分の潜水は良い加減な無謀なものではないのだという証である。そう言われることが多いので。
b0075059_07061367.jpg
 大岩先生は、僕の潜水病ワールドを真野先生と二分してきた。一番親しい友人である潜水医学者は後藤輿四之だから、自分の60歳記念の100m潜水は後藤輿四之先生が中心で実施した。後藤輿四之先生もすでに潜水医学についての著作もあり、スポーツ潜水の健康基準についての監修でも実績があったが、報告書、あるいは著作の巻頭を飾る著言は、大岩先生か真野先生のどちらかにしなければならない。こういうときには、たくさん悩まなければならない。悩んだ末、大岩先生にした。すると次には真野先生にご挨拶にゆかなくてはならない。親しくさせていただいているからこそ、話をとおしておかなくてはならない。
b0075059_07064149.jpg

 楽しい思いでもたくさんある。それを全部は到底紹介しきれない。二つ三つだけ。 大岩先生は海上自衛隊の潜水医学の頭だった。それで、陰では大岩元帥などと呼んでいた。 元帥が横須賀の地区自衛隊病院の院長であったとき、敬意を表しに遊びに行った。昼食においしいものを食べさせてくれるということで、連れて行っていただいた。横須賀のベース(基地)の中に入った。元帥だから、基地へも自由に入れる。連れて行かれたのは、ハンバーグショップだった。街のマクドナルドとかいうショップとは違って、ここが日本では一番おいしいのだそうだ。 店にはいるとベースのアメリカ人子供がたむろしていて、それこそハンバーグ屋の看板になりそうな太ったアメリカ人おっさんが、カウンターのむこうで、こちらに向いてハンバーガーを焼いている。はずかしながら、ハンバーガーとは、こうして焼くものだとしらなかった。その後これよりおいしいハンバーガーを食べていない。 さて、大岩先生のおしえは、こんなことは著作には書かれていないが、テーブルより余分にかけろ、ということだった。細かく云わず、そのときの状況でできる範囲で長く減圧停止する。 その、大岩先生の気楽な監修下で僕の100m潜水は行われた。少し肩がうずいたが、船上減圧だから、余分に減圧をのばして、無事にタンクから出てきた。 そして、潜水が終わって、その深夜に自分は海岸沿いを走って。東京に戻ってしまった。みんなが帰った祭りの後が寂しかったのだ。 潜水の当日、先生は伊豆高原だとかの別荘に来ておいでになり、実験潜水の成功を知って、翌日の朝、お花をもって現場に来てくださった。僕は潜水の当日の深夜に東京に戻ってしまっている。なんと、スタッフは、大岩先生に実験潜水の実施を事前に知らせてなかったのだ。 元帥だから怒ることもなく引き続き親しくさせていただいた。 今度の80歳80m潜水も先生に骨を拾ってもらう監修をしていただこうと思っていた。今度こそは現場に来ていただいて、などと思っていた。 先生と最後におめにかかったのは、マリンダイビングフェアで、高齢者の潜水について健康診断の重要性についてちょっとしたお話をいただいた。良い意味でのアバウトさ、そんなものがあるかどうかは疑問だが、本質は繊細で、きっちりした理論が構築されていて、意外にうるさいかもしれない、まあいいか、近々、お話に行こうとしていた矢先の訃報だった。

お通夜におじゃまして、ご冥福と、お礼を 申し述べた。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1388

Trending Articles