日本に初めてアクアラングが(正式に報道されている)紹介されたのは1953年、東京水産大学、小湊実習場で、アメリカの海底地質学者、ロバート・ディーツ博士が持ってきて、使って見せて、多分講習のようなこともしたのだと思う。この時、写真のようなシネカメラを持つてきて、撮影すると共にご自分の撮影した映画を映写して見せた。 この時に、多分、習ったのが、僕の恩師の宇野寛先生(当時助手)と漁業科の神田献二先生(当時助手)ふたりとも教授になり、今は亡い人だ。当時の事を聞く由もない。この写真は神田先生の教室のものを複写させてもらった。 残念ながら、僕は1955年に東京水産大学に入学し、スキンダイビングはその年に始めたが、最初にアクアラングから呼吸したのは1956年、宇野先生から講習を受けたのは、1957年だから、ディーツ博士にお目にかかることはできていない。 この写真を見ると、カメラはベル・ハウエルのDR70 (世界的な名機でスプリングモーターで巻き上げるシネカメラ、後に僕もこのカメラのハウジングをつくり、沈没したが現在は富戸の大西博物館にある。) この前ちょっとフェイスブックに書いたが、スプリングモーターのシネカメラは、手動で巻きあげるから、電池も必要ない。全部が機械メカだから、壊れるところがない。ああ、日本にもこのカメラを修理する名手がいて、今名前が思い出せない。その職人さんの娘が美人で、ダイバーだった。 そんなことはどうでもよいのだが、 第2次大戦も、ベトナム戦争もこのカメラで戦われ、カメラマンが地雷を踏んで、身体は砕け散ってもカメラは残り、現像すれば、その時に写ったものが再現できる。という伝説がある。 水没してしまえば、終わりだ。
大西宅においてあるDR70は、水没済みだ。ポナペ島で、鶴町が水没させた。死んでもまだ言われている。このハウジングとカメラがある限り、その時の事を思い出す。 ポナペのドロップオフで、サメを撮っている時のことだった。 これは、水没の前に、日本で初めて、摩周湖に潜って撮影した時のカットだ。 日本テレビのドキュメンタリーだった。たしか1966年か67年のことだった。この時のフィルムがどこかにあるはずだ。多分、日本スキューバ潜水(ゼロの系列会社)にあるはずだ。
このハウジングを作ったのは1967年、日本潜水会(日本初の潜水指導団体)を設立した年だ。そして、このハウジングは大沢商会を通じて売った。その大沢商会に今一緒に水中科学協会をやっている白井常雄さんがいて、水中機器部門を始めたところだった。 僕らの世代のニュースカメラマンはこのカメラ一台で世界を旅して、ドキュメンタリーを作った。カメラマンが冒険家であり探検家であった時代だ。今のように税関でバッテリーが抑えられることもないし、お道具はこれ一つだ。ただ、20フィート巻のフィルムは、一本で3分しか回らない。30秒のカットが6カットで終わりだ。一回潜水して、6カットしか撮れない。回し始めたら、30秒は回さないと、つかいものにならない。短すぎると切った貼ったの編集ができないのだ。30秒の中の良い部分、使える部分が10秒あれば、そのカットはなんとか成立する。その頃はやった、お富さんという歌、「粋な黒塀見越しの松」を歌い終わると28秒になる。水中でこの歌を頭に浮かべてフィルムを回す。間違って回し始めても、カメラを静止させて、歌い終わるまでは我慢して、何かを撮る。 これはビデオでも同じことだが、魚を撮るとして、突然魚からカットが始まってもこまるのだ。何もない水中が5秒ぐらいあって、そこに魚が泳ぎ込んでくる。ビデオは回しっぱなしにしておけばいいだけだが、フィルムの場合は、から待ちになることがある。 だから、今の時代、ビデオを回さないで持っているのは、いけないことなのだ。撮影する場所に来たら、常にカメラは構えた形で回っていなければいけない。そこに何かが現れるようにする。フィルムでもカメラは目の前に構えて、何時でもシャッターを切れる態勢で泳ぐ。目の端に魚が見えたら、回し始めてゆっくりカメラの方向にパンをするか、魚が泳いで入ってくるのを待つ。
大西宅においてあるDR70は、水没済みだ。ポナペ島で、鶴町が水没させた。死んでもまだ言われている。このハウジングとカメラがある限り、その時の事を思い出す。 ポナペのドロップオフで、サメを撮っている時のことだった。
このハウジングを作ったのは1967年、日本潜水会(日本初の潜水指導団体)を設立した年だ。そして、このハウジングは大沢商会を通じて売った。その大沢商会に今一緒に水中科学協会をやっている白井常雄さんがいて、水中機器部門を始めたところだった。 僕らの世代のニュースカメラマンはこのカメラ一台で世界を旅して、ドキュメンタリーを作った。カメラマンが冒険家であり探検家であった時代だ。今のように税関でバッテリーが抑えられることもないし、お道具はこれ一つだ。ただ、20フィート巻のフィルムは、一本で3分しか回らない。30秒のカットが6カットで終わりだ。一回潜水して、6カットしか撮れない。回し始めたら、30秒は回さないと、つかいものにならない。短すぎると切った貼ったの編集ができないのだ。30秒の中の良い部分、使える部分が10秒あれば、そのカットはなんとか成立する。その頃はやった、お富さんという歌、「粋な黒塀見越しの松」を歌い終わると28秒になる。水中でこの歌を頭に浮かべてフィルムを回す。間違って回し始めても、カメラを静止させて、歌い終わるまでは我慢して、何かを撮る。 これはビデオでも同じことだが、魚を撮るとして、突然魚からカットが始まってもこまるのだ。何もない水中が5秒ぐらいあって、そこに魚が泳ぎ込んでくる。ビデオは回しっぱなしにしておけばいいだけだが、フィルムの場合は、から待ちになることがある。 だから、今の時代、ビデオを回さないで持っているのは、いけないことなのだ。撮影する場所に来たら、常にカメラは構えた形で回っていなければいけない。そこに何かが現れるようにする。フィルムでもカメラは目の前に構えて、何時でもシャッターを切れる態勢で泳ぐ。目の端に魚が見えたら、回し始めてゆっくりカメラの方向にパンをするか、魚が泳いで入ってくるのを待つ。