「わかる潜水士試験、完全攻略テキスト&問題集」を、札幌で、潜水士受験の準備講習をおそらくは一番たくさんやっていて、特に専門学校、大学の講習を引き受けている工藤和由君と共著で書いた。この一冊で合格するし、得られる知識も潜水士テキストを補えることを目指して書いた。
受験について、潜水士テキストが、規則に準ずるものになっている。国家試験の問題は、テキストのフレーズが○×、五択の問題にそのままでるし、もしもの場合に監督署側が参考にするのは、潜水士テキストなのだ。僕たちが書いた問題集は、潜水士テキストの解説書である。テキストから逸脱することはできない。 解説するためにテキストを熟読すると、潜水士テキストの問題点も、しいて言えばこの規則の問題点も考えさせられる部分が見える。潜水士テキストが普通の書籍ならば、何の問題もない。しかし、国家試験の問題で、潜水士テキストのフレーズが○になる、そして、原則としてだが、潜水士テキストに書いていないようなことを国家試験に出題してはルール違反なのだ。 そして、高気圧作業安全衛生規則の世界では、この潜水士テキストが正であり、テキスト以外の考えは誤りになる。 潜水士テキストは規則ではないが、このテキストのスタイルが準規則になる。このテキストを書いた人のスタイルが準規則になる。人は誰でも自分のスタイルがある。自分のスタイルは、自分は正しいと思っているが、一般論としては、偏っている場合もある。
前に、潜水士準備講習の講師をやっていた時、冒頭でこんなことを言っていた。これから講義することは、みなさんの潜水の常識、あるいは指導団体の基準とはまるで違うかもしれません。これは、潜水士ワールドという次元の違う世界のことだと思ってください。もちろん、物理的な法則などは、普遍的なものですが、こと潜水技術に関する限りは、別世界かもしれません。皆さんが習ってきたことと違うことも多々あります。しかし、違っていてもそれは正しいのです。テキストに書いてあることが正解なのです。 しかし、この説明もまちがっている。自分の若さだった。これでは、これから講義する自分の考えが正であり、潜水士テキストの記述が誤になってしまう。 潜水士テキストの記述は、誤ではない。一つの考え方なのだ。一つの考え方が準規則になってしまっては困る。 物理化学の問題、数値的な処理の問題は、決めつけて、それ以外の回答は誤であってよい。規則の問題は後で論じなければ、いけないが、規則は出来る限りで幅広くしてもらいたい 疑問はダイビングの運用について、そして機材についてだ。これを物理化学の問題と同様に決めつけてもらっては、現場で困る事態が起きる。 出来る限り最大公約数であり、しかも技術の進歩に柔軟に対応しなければならない。どうしても、最大公約数が得られない事柄については、一つの考え方があるならば、必ずそれに対抗する考え方もあり、最大公約数を見出すことができない、説明があればいい。
昭和60年(1985年)海洋科学技術センター、(現JAMSTEC)が潜水技術用語集を編纂した。委員にさせていただいたが、学識経験者だけではなく、僕のような実務家、雑誌編集者、スポーツマンまで広くまたがった委員で意見を交わし議論をした。まとめる事はできずに、再度、一次案検討メンバーに意見を添えて戻すことになったが、国が定める規則による、国家試験の問題になるような、準規則になる潜水士テキストである。その用語の選択、内容の検討に潜水関連各界の委員を選んで、委員会を作って作業してもらいたいと望む。何も学識経験者だけでなく、一般レジャーダイバーもまた学生ダイバーのなかからも選んだメンバーで議論すれば理想的である。目標はこの規則が安全な潜水に役立つことである。短い期間に結論がでることは難しいとは思う。短い期間である必要はない。潜水士テキストを5年間隔くらいで改訂するとすれば、議論の期間は5年ある。前の版がたたき台になるはずだから、そして歴史もあることだから、問題点は絞られるから、それほど時間はかからないかもしれない。要は異論、反論を受け付けて議論した結果であるのかないのかである。
これは、今度改訂したいと思っている自分たちの最新ダイビング用語事典についても言えることで、他残の石としよう。
前には、規則がレジャーダイビングをカバーするのならば、一章をレジャーダイビングのために裂くべきだと思ったり言ったりしたことがあるが、今では無いほうが、触れてもらわない方が良いのではと思ったりしている。最大公約数で処理できれば、そのほうが良い。PADIの色彩が強くなったら、他の指導団体のインストラクターが困るだろうし、その逆もある。 作業潜水の分野でも同じことが、言えているはずだ。だから、このテキストを書くご苦労は想像できる。しかし、テキストの表現、これはルールになってしまうのだが、表現について議論をくぐり抜けて来たものだとは思えない表現が多い。前述したように、間違いではない。ある視点でみれば、正しいと思う。視点の固定化がこのようなテキストでは困る。すでに各項目の実務家の議論を経ているというならば、そのことを巻頭に明記するべきだと思う。
※今度の規則改正では議論が行われ、その経過をネットで見ることも出来る。ただし、レクリエーショナルダイビングの分野からの意見は見られなかったが、同様なことが、潜水士テキストでもできないことはない。議論の順から言えば、まずは、テキストの議論があり、その後に規則改正の議論があるべきだと思う。そのようなシステムになってはいないから、仕方がないのではあるが。
続く
受験について、潜水士テキストが、規則に準ずるものになっている。国家試験の問題は、テキストのフレーズが○×、五択の問題にそのままでるし、もしもの場合に監督署側が参考にするのは、潜水士テキストなのだ。僕たちが書いた問題集は、潜水士テキストの解説書である。テキストから逸脱することはできない。 解説するためにテキストを熟読すると、潜水士テキストの問題点も、しいて言えばこの規則の問題点も考えさせられる部分が見える。潜水士テキストが普通の書籍ならば、何の問題もない。しかし、国家試験の問題で、潜水士テキストのフレーズが○になる、そして、原則としてだが、潜水士テキストに書いていないようなことを国家試験に出題してはルール違反なのだ。 そして、高気圧作業安全衛生規則の世界では、この潜水士テキストが正であり、テキスト以外の考えは誤りになる。 潜水士テキストは規則ではないが、このテキストのスタイルが準規則になる。このテキストを書いた人のスタイルが準規則になる。人は誰でも自分のスタイルがある。自分のスタイルは、自分は正しいと思っているが、一般論としては、偏っている場合もある。
前に、潜水士準備講習の講師をやっていた時、冒頭でこんなことを言っていた。これから講義することは、みなさんの潜水の常識、あるいは指導団体の基準とはまるで違うかもしれません。これは、潜水士ワールドという次元の違う世界のことだと思ってください。もちろん、物理的な法則などは、普遍的なものですが、こと潜水技術に関する限りは、別世界かもしれません。皆さんが習ってきたことと違うことも多々あります。しかし、違っていてもそれは正しいのです。テキストに書いてあることが正解なのです。 しかし、この説明もまちがっている。自分の若さだった。これでは、これから講義する自分の考えが正であり、潜水士テキストの記述が誤になってしまう。 潜水士テキストの記述は、誤ではない。一つの考え方なのだ。一つの考え方が準規則になってしまっては困る。 物理化学の問題、数値的な処理の問題は、決めつけて、それ以外の回答は誤であってよい。規則の問題は後で論じなければ、いけないが、規則は出来る限りで幅広くしてもらいたい 疑問はダイビングの運用について、そして機材についてだ。これを物理化学の問題と同様に決めつけてもらっては、現場で困る事態が起きる。 出来る限り最大公約数であり、しかも技術の進歩に柔軟に対応しなければならない。どうしても、最大公約数が得られない事柄については、一つの考え方があるならば、必ずそれに対抗する考え方もあり、最大公約数を見出すことができない、説明があればいい。
昭和60年(1985年)海洋科学技術センター、(現JAMSTEC)が潜水技術用語集を編纂した。委員にさせていただいたが、学識経験者だけではなく、僕のような実務家、雑誌編集者、スポーツマンまで広くまたがった委員で意見を交わし議論をした。まとめる事はできずに、再度、一次案検討メンバーに意見を添えて戻すことになったが、国が定める規則による、国家試験の問題になるような、準規則になる潜水士テキストである。その用語の選択、内容の検討に潜水関連各界の委員を選んで、委員会を作って作業してもらいたいと望む。何も学識経験者だけでなく、一般レジャーダイバーもまた学生ダイバーのなかからも選んだメンバーで議論すれば理想的である。目標はこの規則が安全な潜水に役立つことである。短い期間に結論がでることは難しいとは思う。短い期間である必要はない。潜水士テキストを5年間隔くらいで改訂するとすれば、議論の期間は5年ある。前の版がたたき台になるはずだから、そして歴史もあることだから、問題点は絞られるから、それほど時間はかからないかもしれない。要は異論、反論を受け付けて議論した結果であるのかないのかである。
これは、今度改訂したいと思っている自分たちの最新ダイビング用語事典についても言えることで、他残の石としよう。
前には、規則がレジャーダイビングをカバーするのならば、一章をレジャーダイビングのために裂くべきだと思ったり言ったりしたことがあるが、今では無いほうが、触れてもらわない方が良いのではと思ったりしている。最大公約数で処理できれば、そのほうが良い。PADIの色彩が強くなったら、他の指導団体のインストラクターが困るだろうし、その逆もある。 作業潜水の分野でも同じことが、言えているはずだ。だから、このテキストを書くご苦労は想像できる。しかし、テキストの表現、これはルールになってしまうのだが、表現について議論をくぐり抜けて来たものだとは思えない表現が多い。前述したように、間違いではない。ある視点でみれば、正しいと思う。視点の固定化がこのようなテキストでは困る。すでに各項目の実務家の議論を経ているというならば、そのことを巻頭に明記するべきだと思う。
※今度の規則改正では議論が行われ、その経過をネットで見ることも出来る。ただし、レクリエーショナルダイビングの分野からの意見は見られなかったが、同様なことが、潜水士テキストでもできないことはない。議論の順から言えば、まずは、テキストの議論があり、その後に規則改正の議論があるべきだと思う。そのようなシステムになってはいないから、仕方がないのではあるが。
続く