窒素酔いは、アルコールとおなじような習慣性がある。中毒になる。アルコール酔いのような不快性がない、そして二日酔いもない窒素酔いジャンキーになる危険性がある。この危険を書いたものは、あんまり見ない。 90メートルまで、と本のタイトルにしたころの伊豆海洋公園グループは、中毒だった。僕もそうだった。ここに書くのは、今やなりたくてもなれなくなった窒素酔いジャンキーへの挽歌かもしれない。
テクニカルダイバーと言う人たちも、その源流をたどれば窒素酔いジャンキーだったののだろうと僕は思っている。トライミクスとは、窒素酔いに耐えられる程度の窒素分圧に設定するのだから、適当な酔の窒素酔いになれると言ってもいい。残念なことに、僕はトライミクス酔いを経験していない。60歳の100mはヘリオックスだった。しかし、トライミックスで窒素酔いになるところまで潜るのは、空気の60m潜水よりも危険だろう。窒素酔いスポットは全国に多数あると思うが、ここで取り上げるのは、大瀬の先端、大島の秋の浜、赤沢、それに海洋公園だ。
畑正憲は、目標は記録ではなくて水中生物だといって、1963年の僕と舘石さんの記録を目指した90m潜水を下に見た。彼の考えでは、潜りつく先に魅力的な生き物がいればそれは正当化されるのだろう。シーラカンスもそれだ。宝石珊瑚も正当化されているから、そのとおりだろう。ただ、魅力的な生物が居なくても、ダイバーは深く潜りたがる。
窒素酔いジャンキーのポピュラーな目当ては、ハナダイ、ある種のハゼ、オキノスジエビ、 ここではその代表として、まず、一番ポピュラーな、誰でも手軽に見られる。言葉を換えれば一番危険な生き物としてハナダイを取り上げよう。
1970年代の伊豆海洋公園の玄関を入ると、大きな水槽にサクラダイが群泳していた。益田グループが、掬いとって来たものだ。一時、魚を水中銃で殺すのはいけないが飼育して殺すのは良いと思われていて、魚を網で捕らえては、飼育していた時代があった。
ハナダイを見に、誰でも行けるのは、大瀬崎先端だ。もう僕はタンクを背負ってあのゴロタ石の上を歩くのは無理かも知れないが。
たとえば、春の濁りで湾内が透視度5mだったとしよう。しかし、先端では、キンギョハナダイが群れる20mあたりまでは濁っているが、サクラダイの群が広がる30ー40mになると20mは見える感じになる。40mでは、ナガハナダイ、スミレナガハナダイが、ぼつぼつ見えるが50mを越えれば多くなる。いくら写真にとっても、動画にしても、この酔いは再現できない。言葉でも言い表せない。畑正憲は70mのミュージックなどと言っているが、僕の窒素酔いは、音楽とも違う。クストーは深海の陶酔などと言ったが、その陶酔の中でハナダイを見る。写真などという無粋なものは撮りたくないと思ってしまう。それでも、カメラマン根性でシャッターは押し続けるが、再現はできない。吉野ユースケではないが、世界で一番美しいもの、かも知れない。窒素酔い愛好者のもう一つのたまり場が、伊豆大島の秋の浜だった。ここの水深70mで、オキナエビス(貴重種の大型巻き貝)の生体が観察採集されたことがある。僕は東大の海洋調査探検部のアドバイザーを40年の上やったが、そのOBが、秋の浜に入り浸ったことがある。僕の影響下のためかと焦ったが、なんとか無事に卒業したようだ。 赤沢では、バリアフリーダイビングの椎名さんが一時50mを賛美していた。僕はオキノスジエビを見ようと、赤沢で55mまで潜ったが、美しいオキノスジエビの雲霞のような群れは見ることが出来ず。20尾ぐらいのかたまりだった。
窒素酔いで、しかもタッチアンドゴーの深度だから、人に見せられる写真は撮れていない。この写真も45mぐらいの水深だ。
魅力的な生き物を見ることについて、きざに言えば生と死の境に身をおいて見る光景なのだ。撮ってきた写真を見ても、それは写真だ。
こんなことを書くと、行きたい、見たい、となるダイバーが多く出てくる。言うまでもなく、空気で窒素酔いになる深度を超えることは、絶対的に自己責任だし、その結果について、誰をも責めることはできない。
窒素酔いについては個人差が大きいし、慣れも必要だから、安全を重視する一般ダイバーは、30mを超える潜水は、しない方が良い。ナイトロックスは、窒素分圧が低く設定されているので、30m-40mへの潜水はナイトロックスの方が良い。しかし、酸素中毒の恐れがあるので、ナイトロックスで、40mの制限深度をこすことはできない。 自己責任について、書き添えれば、伊豆海洋公園で、若い人が益田さんに相談することもなく、シロオビハナダイを目指して、潜り、二人が生命をおとした。どういう結末になっただろうか。裁判沙汰にもなっていない。関係筋に密かに聞いてみた。若い人のご両親が、益田さんを訪ね、ご迷惑をかけましたと頭を下げたということだった。益田さんのことだから、弔意については出来るだけのことはやったに違いないが、裁判の判例というのもあるのだから、自己責任の解決例として、このことを書いても良いだろう。ずい分昔の話だ。 しかし、振り返って見ると、僕のブログだけで、スクーバで空気で潜水した窒素酔いの死亡事故を何回か書いている。数年前にも、大分県で、3人のダイバーが空気のスクーバで60mだったかで全員死んだ時に書いた。減圧症の死亡事例は、書いた記憶がない。半身不随は、いくつも書いたけれど。
40メートルより深くは混合ガスでと規則に決められるのは、仕方のないことだろう。
混合ガスでも50メートル相当の窒素ガス分圧まで潜れば、50mの窒素酔いになれるが、空気で50m潜ることよりも、遥かに危ない。簡単に窒素酔い中毒になれた昔が、過ぎ去ったよき時代なのだろうか。別に完全な自己責任のレクリエーショナルダイビングならば、潜れるのだが、そんな馬鹿なダイバーは絶滅危惧種になった。 誰も危惧などしていないか。 このごろ気が小さくなって、こういう反潜水社会的なことを書いて良いのか、と心配している。
いつだったか、大瀬の50mから上がっている時、スレ違いに、一人のダイバーが水平の姿勢で、矢のように、降りていくのを見た。誰だろう、こんなダイバーが居たのかと思った。
テクニカルダイバーと言う人たちも、その源流をたどれば窒素酔いジャンキーだったののだろうと僕は思っている。トライミクスとは、窒素酔いに耐えられる程度の窒素分圧に設定するのだから、適当な酔の窒素酔いになれると言ってもいい。残念なことに、僕はトライミクス酔いを経験していない。60歳の100mはヘリオックスだった。しかし、トライミックスで窒素酔いになるところまで潜るのは、空気の60m潜水よりも危険だろう。窒素酔いスポットは全国に多数あると思うが、ここで取り上げるのは、大瀬の先端、大島の秋の浜、赤沢、それに海洋公園だ。
畑正憲は、目標は記録ではなくて水中生物だといって、1963年の僕と舘石さんの記録を目指した90m潜水を下に見た。彼の考えでは、潜りつく先に魅力的な生き物がいればそれは正当化されるのだろう。シーラカンスもそれだ。宝石珊瑚も正当化されているから、そのとおりだろう。ただ、魅力的な生物が居なくても、ダイバーは深く潜りたがる。
窒素酔いジャンキーのポピュラーな目当ては、ハナダイ、ある種のハゼ、オキノスジエビ、 ここではその代表として、まず、一番ポピュラーな、誰でも手軽に見られる。言葉を換えれば一番危険な生き物としてハナダイを取り上げよう。
1970年代の伊豆海洋公園の玄関を入ると、大きな水槽にサクラダイが群泳していた。益田グループが、掬いとって来たものだ。一時、魚を水中銃で殺すのはいけないが飼育して殺すのは良いと思われていて、魚を網で捕らえては、飼育していた時代があった。
ハナダイを見に、誰でも行けるのは、大瀬崎先端だ。もう僕はタンクを背負ってあのゴロタ石の上を歩くのは無理かも知れないが。
たとえば、春の濁りで湾内が透視度5mだったとしよう。しかし、先端では、キンギョハナダイが群れる20mあたりまでは濁っているが、サクラダイの群が広がる30ー40mになると20mは見える感じになる。40mでは、ナガハナダイ、スミレナガハナダイが、ぼつぼつ見えるが50mを越えれば多くなる。いくら写真にとっても、動画にしても、この酔いは再現できない。言葉でも言い表せない。畑正憲は70mのミュージックなどと言っているが、僕の窒素酔いは、音楽とも違う。クストーは深海の陶酔などと言ったが、その陶酔の中でハナダイを見る。写真などという無粋なものは撮りたくないと思ってしまう。それでも、カメラマン根性でシャッターは押し続けるが、再現はできない。吉野ユースケではないが、世界で一番美しいもの、かも知れない。窒素酔い愛好者のもう一つのたまり場が、伊豆大島の秋の浜だった。ここの水深70mで、オキナエビス(貴重種の大型巻き貝)の生体が観察採集されたことがある。僕は東大の海洋調査探検部のアドバイザーを40年の上やったが、そのOBが、秋の浜に入り浸ったことがある。僕の影響下のためかと焦ったが、なんとか無事に卒業したようだ。 赤沢では、バリアフリーダイビングの椎名さんが一時50mを賛美していた。僕はオキノスジエビを見ようと、赤沢で55mまで潜ったが、美しいオキノスジエビの雲霞のような群れは見ることが出来ず。20尾ぐらいのかたまりだった。
魅力的な生き物を見ることについて、きざに言えば生と死の境に身をおいて見る光景なのだ。撮ってきた写真を見ても、それは写真だ。
こんなことを書くと、行きたい、見たい、となるダイバーが多く出てくる。言うまでもなく、空気で窒素酔いになる深度を超えることは、絶対的に自己責任だし、その結果について、誰をも責めることはできない。
窒素酔いについては個人差が大きいし、慣れも必要だから、安全を重視する一般ダイバーは、30mを超える潜水は、しない方が良い。ナイトロックスは、窒素分圧が低く設定されているので、30m-40mへの潜水はナイトロックスの方が良い。しかし、酸素中毒の恐れがあるので、ナイトロックスで、40mの制限深度をこすことはできない。 自己責任について、書き添えれば、伊豆海洋公園で、若い人が益田さんに相談することもなく、シロオビハナダイを目指して、潜り、二人が生命をおとした。どういう結末になっただろうか。裁判沙汰にもなっていない。関係筋に密かに聞いてみた。若い人のご両親が、益田さんを訪ね、ご迷惑をかけましたと頭を下げたということだった。益田さんのことだから、弔意については出来るだけのことはやったに違いないが、裁判の判例というのもあるのだから、自己責任の解決例として、このことを書いても良いだろう。ずい分昔の話だ。 しかし、振り返って見ると、僕のブログだけで、スクーバで空気で潜水した窒素酔いの死亡事故を何回か書いている。数年前にも、大分県で、3人のダイバーが空気のスクーバで60mだったかで全員死んだ時に書いた。減圧症の死亡事例は、書いた記憶がない。半身不随は、いくつも書いたけれど。
40メートルより深くは混合ガスでと規則に決められるのは、仕方のないことだろう。
混合ガスでも50メートル相当の窒素ガス分圧まで潜れば、50mの窒素酔いになれるが、空気で50m潜ることよりも、遥かに危ない。簡単に窒素酔い中毒になれた昔が、過ぎ去ったよき時代なのだろうか。別に完全な自己責任のレクリエーショナルダイビングならば、潜れるのだが、そんな馬鹿なダイバーは絶滅危惧種になった。 誰も危惧などしていないか。 このごろ気が小さくなって、こういう反潜水社会的なことを書いて良いのか、と心配している。
いつだったか、大瀬の50mから上がっている時、スレ違いに、一人のダイバーが水平の姿勢で、矢のように、降りていくのを見た。誰だろう、こんなダイバーが居たのかと思った。