スタイル論 2 前回で、だいたい僕の考えているダイビン
グのスタイルとは、どのようなことなのか、わかっていただけたと思う。スタイルの区別わけをするときに定めておく定義がある。辞書だとか用語集の定義は、例えば「ダイビングとは、ここでは、水に潜ることを言う。飛び込み競技を指す場合もある」と言うように、できるだけ異論が無いようにしたいが、いや、違うと、議論が必要になる場合も多い。ここでも、テクニカルダイビングとは、なにか?ここでは、二つの定義について考えた。今はもっと多岐にわたっているかもしれない。しかし、選択肢が多いと定義にならなくなってしまう。ここで意図するところは、ダイビングという行動、活動を、出来るだけ分析的に見てゆこうとするもので、何をしているのかわからなければ、安全についても、わからない。古い言葉で言えば、敵を知り己をしらなければ、勝てない(安全には潜れない)。
今でこそ、テクニカルダイビング と呼ばれるスタイルが拡大しつつあるが、テクニカルダイビングは、日本においてはおよそ20年前、自分が60歳で100m潜水をやったころから、人が口にするようになった。 アメリカでもテクニカルの団体ができはじめたのはその前後だったと思う。 僕の100m潜水の医学的なバックアップは、若いころ、素潜りで30mまで行って魚を突いていた後藤與四之先生だった。ダイビングについては、鶴燿一郎の弟子であった。ここまでのところ、医師として、彼以上のダイバーはいない。埼玉医科大学で梨本先生の下で潜水医学を研究をされていたが、現在は群馬県で開業されている。(医療法人かがやき) その後藤先生が、1993年.アメリカではすでにテクニカルダイビングが盛んになっているが、僕の潜水が日本におけるテクニカルダイビングの嚆矢となると、言われ、自分もその気になった。 後藤先生は、アメリカの潜水生理学の権威であるハミルトン博士と親交があり、博士がJAMSTECへ、折よくお出でになるので、お目にかかって、僕の100M潜水の減圧スケジュールを決めていただき、いくつかのアドバイスもいただいた。その折に、後藤先生の肝いりで、社会スポーツセンター主催で、浜松町の地産ホテルで日本人ダイバーのためのハミルトン博士の講演会を開催された。テクニカルダイビングについての講演である。1995年10月26日、PRもしない、私的な講演会と思っていたが、驚くほどの人が集まった。テクニカルダイビングについての関心がたかまりつつあったからであろう。
その講演で、ハミルトン博士が述べたテクニカルダイビングの定義は、「スクーバであること、レクリエーションダイビングの限界である40mを超えて潜ること、従って混合ガスを使用すること、ハイレベルなトレーニングとセルフ・コントロールが要求されること、」であった。
60歳の100m潜水、自分ではテクニカルダイビングにしたいと心にきめていたが、一緒に潜ってアシストしてくれる田島雅彦は、彼が1000時間を超す、ナヒモフ号での飽和潜水で手馴れていたホースで送気するシステム潜水でなければ、安全が保証出来ないと主張した。90mまでは、ステージで降下して、90-100mをステージから離れて泳ぎだして、スクーバで潜降した。この部分だけが完全なスクーバである。そこまでして、スクーバにこだわったのは、テクニカルダイビングは、スクーバであるとする、ハミルトン博士の定義にこだわったからであった。そして、日本で最初にテクニカルダイビングで100m潜ったというタイトルが欲しかったのだ。定義から外れていれば、そのことは認めてもらえない。この潜水について、後藤先生は潜水医学誌にテクニカルダイビングとして発表されている。 ステージで降下し、90-100mだけスクーバで行った。
これとは別に、テクニカルダイビングの定義について、テクニカルダイビングを看板にしているTDI(1994年に米国で設立された、テクニカルダイビングインターナショナル という団体)の支部を日本に作った佐藤矩郎氏 が「潜水の歴史:社会スポーツセンター:2001」で、テクニカルダイビングについて、およそ10pに渡って書いている。そこでは、「テクニカルダイビングとは、コマーシャル(作業)ダイビングやミリタリー(軍事)ダイビングとレクリエーションダイビングの中間を指すダイビングの分野ということができよう。したがって、テクニカルダイビングの範疇にはレクリエーショナルダイビングの限界を超える(水深40m以深)ディープダイビング、沈船や洞窟への侵入、アイスダイビング、単独潜水、リブリーザーを使うダイビングなど雑多なものが含まれている。 一方で1995年秋のテクニカルダイビングについてのハミルトン博士の講演では、テクニカルダイビングを「二種類以上のガスを使った潜水方法で、レクリエーションを目的としたもの」といった定義をしている。」 TDI 佐藤さん。
この、佐藤さんの定義だと、難しい潜水はすべて、テクニカルダイビングの範疇にはいる。これでよろしいということであれば、僕の100m潜水は、議論の余地もなくテクニカルダイビングであり、スクーバにこだわる必要もなかった。 しかし、スクーバにこだわらなければ、潜水作業のシステムで100mに潜ったというだけになってしまう。 そして、僕はハミルトン博士の講演で、レクリエーションであること、という定義は聞いていない。聞いていないけれど、実際に行われるテクニカルダイビングの多くはレクリエーションである。ハミルトン博士の定義には、自己責任であること、という定義は見当たらないが、スクーバでレクリエーションの制限深度を超えて潜るとなれば、自己責任でなければならないだろう。しかし、自己責任であるか否かを問題にするのは、日本だけなのかもしれない。アメリカでは、論ずるまでもなく、自己責任であるのだろうか。 このあとで述べる業務潜水というカテゴリーには、自己責任という条件は、当てはまらない。常に管理責任が事業者の側にある。 テクニカルダウビングの目的としてはレクリエーションであったとしても、深度制限などによって、テクニカルと一般のレクリエーションは区別される。しかし、最近ではレクテク、レクリエーショナル・テクニカルダイビングというカテゴリーもできたので、スタンダードの先にもテクニカルがあるともいえる。 そして、2012年、水中科学協会編纂の最新ダイビング用語事典では、テクニカルダイビングについて、「閉鎖環境や40m以深の水中に2種類以上の呼吸ガスを使い、計画的な減圧停止を伴う、スクーバ潜水をいう。」と定義した。そして、日本の高気圧作業安全衛生規則に基づく潜水についての潜水士テキストには、テクニカルダイビングの語は見当たらない。そして、「混合ガス潜水は、単に呼吸ガスを空気から混合ガスに変更すれば済むものではない。混合ガス潜水の計画と実施には、専門的な知識と専用の設備機材、、多くの支援要因が必要となる。大深度での長時間に及ぶ潜水には、大きなリスクを伴うことは容易に想像できるが、潜水者個人の能力だけで、それに対処することは不可能である。混合ガス潜水の実施には、適切な設備と訓練された要員によるシステマティックな取り組みが必要であり、「簡易な混合ガス潜水」はありえない。
僕の60歳記念100m潜水大掛かりで、お金が飛んでいった。
潜水業務に用いられる混合ガス潜水の範囲は、スクーバから送気式潜水、「バウンス潜水」「飽和潜水」と多岐に渡る。このうち、スクーバは閉鎖回路型潜水器で行われることが多く、飽和潜水はその対象が概ね水深90-100mより深い深度であることから本項では送気四季潜水によるものを主に、その概要について記すことにする。以下、システム潜水について述べられている。 ここで述べてきたような定義のテクニカルダイビングで、業務に類することは、一切出来ないのだろうか。とすると、テクニカルダイビングは、日本では、レクリエーショナルダイビングに限定されることになる。議論が必要だろう。潜水士テキストは規則ではないが、規則同様の役割を果たすことが多い。 そもそも、定義とは、自分はこう思う、こう決めたという定義、決心かな?。辞書などの定義、そして、規則における言葉の定義、これは、仕事に大きい影響がある。それについては、また後で規則について書くときに述べる。
グのスタイルとは、どのようなことなのか、わかっていただけたと思う。スタイルの区別わけをするときに定めておく定義がある。辞書だとか用語集の定義は、例えば「ダイビングとは、ここでは、水に潜ることを言う。飛び込み競技を指す場合もある」と言うように、できるだけ異論が無いようにしたいが、いや、違うと、議論が必要になる場合も多い。ここでも、テクニカルダイビングとは、なにか?ここでは、二つの定義について考えた。今はもっと多岐にわたっているかもしれない。しかし、選択肢が多いと定義にならなくなってしまう。ここで意図するところは、ダイビングという行動、活動を、出来るだけ分析的に見てゆこうとするもので、何をしているのかわからなければ、安全についても、わからない。古い言葉で言えば、敵を知り己をしらなければ、勝てない(安全には潜れない)。
今でこそ、テクニカルダイビング と呼ばれるスタイルが拡大しつつあるが、テクニカルダイビングは、日本においてはおよそ20年前、自分が60歳で100m潜水をやったころから、人が口にするようになった。 アメリカでもテクニカルの団体ができはじめたのはその前後だったと思う。 僕の100m潜水の医学的なバックアップは、若いころ、素潜りで30mまで行って魚を突いていた後藤與四之先生だった。ダイビングについては、鶴燿一郎の弟子であった。ここまでのところ、医師として、彼以上のダイバーはいない。埼玉医科大学で梨本先生の下で潜水医学を研究をされていたが、現在は群馬県で開業されている。(医療法人かがやき) その後藤先生が、1993年.アメリカではすでにテクニカルダイビングが盛んになっているが、僕の潜水が日本におけるテクニカルダイビングの嚆矢となると、言われ、自分もその気になった。 後藤先生は、アメリカの潜水生理学の権威であるハミルトン博士と親交があり、博士がJAMSTECへ、折よくお出でになるので、お目にかかって、僕の100M潜水の減圧スケジュールを決めていただき、いくつかのアドバイスもいただいた。その折に、後藤先生の肝いりで、社会スポーツセンター主催で、浜松町の地産ホテルで日本人ダイバーのためのハミルトン博士の講演会を開催された。テクニカルダイビングについての講演である。1995年10月26日、PRもしない、私的な講演会と思っていたが、驚くほどの人が集まった。テクニカルダイビングについての関心がたかまりつつあったからであろう。
その講演で、ハミルトン博士が述べたテクニカルダイビングの定義は、「スクーバであること、レクリエーションダイビングの限界である40mを超えて潜ること、従って混合ガスを使用すること、ハイレベルなトレーニングとセルフ・コントロールが要求されること、」であった。
60歳の100m潜水、自分ではテクニカルダイビングにしたいと心にきめていたが、一緒に潜ってアシストしてくれる田島雅彦は、彼が1000時間を超す、ナヒモフ号での飽和潜水で手馴れていたホースで送気するシステム潜水でなければ、安全が保証出来ないと主張した。90mまでは、ステージで降下して、90-100mをステージから離れて泳ぎだして、スクーバで潜降した。この部分だけが完全なスクーバである。そこまでして、スクーバにこだわったのは、テクニカルダイビングは、スクーバであるとする、ハミルトン博士の定義にこだわったからであった。そして、日本で最初にテクニカルダイビングで100m潜ったというタイトルが欲しかったのだ。定義から外れていれば、そのことは認めてもらえない。この潜水について、後藤先生は潜水医学誌にテクニカルダイビングとして発表されている。
これとは別に、テクニカルダイビングの定義について、テクニカルダイビングを看板にしているTDI(1994年に米国で設立された、テクニカルダイビングインターナショナル という団体)の支部を日本に作った佐藤矩郎氏 が「潜水の歴史:社会スポーツセンター:2001」で、テクニカルダイビングについて、およそ10pに渡って書いている。そこでは、「テクニカルダイビングとは、コマーシャル(作業)ダイビングやミリタリー(軍事)ダイビングとレクリエーションダイビングの中間を指すダイビングの分野ということができよう。したがって、テクニカルダイビングの範疇にはレクリエーショナルダイビングの限界を超える(水深40m以深)ディープダイビング、沈船や洞窟への侵入、アイスダイビング、単独潜水、リブリーザーを使うダイビングなど雑多なものが含まれている。 一方で1995年秋のテクニカルダイビングについてのハミルトン博士の講演では、テクニカルダイビングを「二種類以上のガスを使った潜水方法で、レクリエーションを目的としたもの」といった定義をしている。」
この、佐藤さんの定義だと、難しい潜水はすべて、テクニカルダイビングの範疇にはいる。これでよろしいということであれば、僕の100m潜水は、議論の余地もなくテクニカルダイビングであり、スクーバにこだわる必要もなかった。 しかし、スクーバにこだわらなければ、潜水作業のシステムで100mに潜ったというだけになってしまう。 そして、僕はハミルトン博士の講演で、レクリエーションであること、という定義は聞いていない。聞いていないけれど、実際に行われるテクニカルダイビングの多くはレクリエーションである。ハミルトン博士の定義には、自己責任であること、という定義は見当たらないが、スクーバでレクリエーションの制限深度を超えて潜るとなれば、自己責任でなければならないだろう。しかし、自己責任であるか否かを問題にするのは、日本だけなのかもしれない。アメリカでは、論ずるまでもなく、自己責任であるのだろうか。 このあとで述べる業務潜水というカテゴリーには、自己責任という条件は、当てはまらない。常に管理責任が事業者の側にある。 テクニカルダウビングの目的としてはレクリエーションであったとしても、深度制限などによって、テクニカルと一般のレクリエーションは区別される。しかし、最近ではレクテク、レクリエーショナル・テクニカルダイビングというカテゴリーもできたので、スタンダードの先にもテクニカルがあるともいえる。 そして、2012年、水中科学協会編纂の最新ダイビング用語事典では、テクニカルダイビングについて、「閉鎖環境や40m以深の水中に2種類以上の呼吸ガスを使い、計画的な減圧停止を伴う、スクーバ潜水をいう。」と定義した。そして、日本の高気圧作業安全衛生規則に基づく潜水についての潜水士テキストには、テクニカルダイビングの語は見当たらない。そして、「混合ガス潜水は、単に呼吸ガスを空気から混合ガスに変更すれば済むものではない。混合ガス潜水の計画と実施には、専門的な知識と専用の設備機材、、多くの支援要因が必要となる。大深度での長時間に及ぶ潜水には、大きなリスクを伴うことは容易に想像できるが、潜水者個人の能力だけで、それに対処することは不可能である。混合ガス潜水の実施には、適切な設備と訓練された要員によるシステマティックな取り組みが必要であり、「簡易な混合ガス潜水」はありえない。
潜水業務に用いられる混合ガス潜水の範囲は、スクーバから送気式潜水、「バウンス潜水」「飽和潜水」と多岐に渡る。このうち、スクーバは閉鎖回路型潜水器で行われることが多く、飽和潜水はその対象が概ね水深90-100mより深い深度であることから本項では送気四季潜水によるものを主に、その概要について記すことにする。以下、システム潜水について述べられている。 ここで述べてきたような定義のテクニカルダイビングで、業務に類することは、一切出来ないのだろうか。とすると、テクニカルダイビングは、日本では、レクリエーショナルダイビングに限定されることになる。議論が必要だろう。潜水士テキストは規則ではないが、規則同様の役割を果たすことが多い。 そもそも、定義とは、自分はこう思う、こう決めたという定義、決心かな?。辞書などの定義、そして、規則における言葉の定義、これは、仕事に大きい影響がある。それについては、また後で規則について書くときに述べる。