スタイル論
ここから書くところだが、考えながら書いているので、意図したことと全く違う結論になったりして、書きなおしては書いている。論理的に筋が通らない部分もあるかもしれない。いずれ書きなおすことになれば、さらに書き改めるが、ここでは、考えに任せて、書き進むことにしたい。
読んでいただけた方が、それは違うと思ってくださって良いし、面白がって読んでいただければ、さらに嬉しい。
先日も、なんで、こんなことをやるのかという、アドバイスというかお考えをメッセージとしていだだいた。81歳になってダイビングを続けていることの是非もあるだろう。それは生き方のスタイルであり、価値観という言葉にも置き換えられる。
それぞれの人に生きて行くスタイルがある。流儀と言っても良い。ダイビングにもスタイルがある。いつもいつも、ダイビングで大事だと言っている運用、段取りは、スタイルによって大きく変わる。スタイルによって決まるといっても良いくらいだ。
昔、たしかビギンという雑誌だったが、PADI、NAUI 、全日本潜水連盟、のインストラクターの漫画を並べて違いをみせていた。PADIは「彼女が水着に着替えたら」風、NAUIは真面目ぶっているスタンダード、全日本潜水連盟はウエットスーツは、つぎはぎで、作業ダイバー風だった。今探してみたのだが、その雑誌が紛失している。このところ、捜索が続いているので、もう嫌だ。それでも、その雑誌のころは、PADI、NAUI、全日本潜水連盟と並べられていたが、今では水平線の下に沈んでいる。これも、このスタイルの差の結果だろうか。
すがた、かたち、で言えば、いまの僕も、20年前のウエットスーツをきていたりして、笑ってしまう。
スタイルといった時、国別の区別もある、ジャパニーズスタイルと、コリアンスタイルはちがう。アメリカン、ウエイオブライフのために、アメリカは戦争も辞さない。
大きなつかみから、小さい差まで、なんでもスタイルという言葉は使える。
さて、書きたいのは、ダイビングに関わるスタイルだが、やはり、指導団体によってスタイルは変わる。また、所変わればと昔から言うように、場所によっても違う、ショップによっても違う、先に述べた人、個人によってもかわる。つまり、インストラクターによってもガイドダイバーによってもかわる。微妙な違いから、大きな違いもある。あまり細かいところまで入り込むと、重なりあってもいるし、収拾がつかなくなってしまうから、ここでは、大雑把にわけたもので、をまず考える。
ダイビングの大きなスタイルわけとして、前提条件として、まずスクーバであることとしよう。レクリエーションであるか、業務であるかという分け方もあるが、これについては後で述べる。
今の自分の周囲の地域的な状況かもしれないが、テクニカルダイビングという新しい、目立つスタイルがあり、これに対応するように普通のダイビングがあるのだが、普通のダイビングをスタンダードスタイルと、クラシックスタイルに分けてみよう。
テクニカルダイビングについては、あとで論ずるので、まず置いておき。クラシックスタイルとは、1970年台、1980年代に絶頂を迎え、後は下り坂のスタイルである。良いスイマーは良いスキンダイバーになり、良いスキンダイバーは良いスクーバダイバーになれる。というのが基本で、とにかく泳力重視、泳力が生命を救う。いまでも繰り返し行われているフリッパー競泳もこのスタイルでの、安全策である。器材については、シンプルイズベスト、複雑なものは好まない。例えば、電子制御のリブリーザーなどは、範疇の外である。原則として、活動は自己責任、かつては、60mあたりまで潜っていたが、規則の改訂で、40mが最大となった。クラシックスタイルは、作業ダイビングに近く、軽作業、研究者の潜水も含まれる。
次にスタンダードスタイルだが、指導団体の精緻なプログラムに従って、階段を登っていく。オープンウォーターから始まり、マスターダイバーだとか、ダイブマスターだとか、アシスタントだとか団体によって呼び方はちがうが、頂点はインストラクターであり、もちろん、そのインストラクターにもクラスわけがある。階段のどこかで、停止することも、ドロップアウトして、ダイビングをやめてしまう人も多いが、とにかく、階段を登っていくスタイルである。
全日本潜水連盟だが、僕が理事長の時代は、クラシックスタイルを信奉していた。今では、スタンダードを目指しているように見える。PADIと同じ土俵、同じスタイルで勝負するなというのだが、スタイルがよくわかっていない。
全体としてみれば、指導団体にも、いくつかの特長あるスタイルがあったほうが良い、と思っている。全日本潜水連盟もクラシックスタイルを前面に立てて、勝負するならば、10%くらいのシエアは取れるのに、と思うが、もはや過ぎた話だ。
続く
ここから書くところだが、考えながら書いているので、意図したことと全く違う結論になったりして、書きなおしては書いている。論理的に筋が通らない部分もあるかもしれない。いずれ書きなおすことになれば、さらに書き改めるが、ここでは、考えに任せて、書き進むことにしたい。
読んでいただけた方が、それは違うと思ってくださって良いし、面白がって読んでいただければ、さらに嬉しい。
先日も、なんで、こんなことをやるのかという、アドバイスというかお考えをメッセージとしていだだいた。81歳になってダイビングを続けていることの是非もあるだろう。それは生き方のスタイルであり、価値観という言葉にも置き換えられる。
それぞれの人に生きて行くスタイルがある。流儀と言っても良い。ダイビングにもスタイルがある。いつもいつも、ダイビングで大事だと言っている運用、段取りは、スタイルによって大きく変わる。スタイルによって決まるといっても良いくらいだ。
昔、たしかビギンという雑誌だったが、PADI、NAUI 、全日本潜水連盟、のインストラクターの漫画を並べて違いをみせていた。PADIは「彼女が水着に着替えたら」風、NAUIは真面目ぶっているスタンダード、全日本潜水連盟はウエットスーツは、つぎはぎで、作業ダイバー風だった。今探してみたのだが、その雑誌が紛失している。このところ、捜索が続いているので、もう嫌だ。それでも、その雑誌のころは、PADI、NAUI、全日本潜水連盟と並べられていたが、今では水平線の下に沈んでいる。これも、このスタイルの差の結果だろうか。
すがた、かたち、で言えば、いまの僕も、20年前のウエットスーツをきていたりして、笑ってしまう。
スタイルといった時、国別の区別もある、ジャパニーズスタイルと、コリアンスタイルはちがう。アメリカン、ウエイオブライフのために、アメリカは戦争も辞さない。
大きなつかみから、小さい差まで、なんでもスタイルという言葉は使える。
さて、書きたいのは、ダイビングに関わるスタイルだが、やはり、指導団体によってスタイルは変わる。また、所変わればと昔から言うように、場所によっても違う、ショップによっても違う、先に述べた人、個人によってもかわる。つまり、インストラクターによってもガイドダイバーによってもかわる。微妙な違いから、大きな違いもある。あまり細かいところまで入り込むと、重なりあってもいるし、収拾がつかなくなってしまうから、ここでは、大雑把にわけたもので、をまず考える。
ダイビングの大きなスタイルわけとして、前提条件として、まずスクーバであることとしよう。レクリエーションであるか、業務であるかという分け方もあるが、これについては後で述べる。
今の自分の周囲の地域的な状況かもしれないが、テクニカルダイビングという新しい、目立つスタイルがあり、これに対応するように普通のダイビングがあるのだが、普通のダイビングをスタンダードスタイルと、クラシックスタイルに分けてみよう。
テクニカルダイビングについては、あとで論ずるので、まず置いておき。クラシックスタイルとは、1970年台、1980年代に絶頂を迎え、後は下り坂のスタイルである。良いスイマーは良いスキンダイバーになり、良いスキンダイバーは良いスクーバダイバーになれる。というのが基本で、とにかく泳力重視、泳力が生命を救う。いまでも繰り返し行われているフリッパー競泳もこのスタイルでの、安全策である。器材については、シンプルイズベスト、複雑なものは好まない。例えば、電子制御のリブリーザーなどは、範疇の外である。原則として、活動は自己責任、かつては、60mあたりまで潜っていたが、規則の改訂で、40mが最大となった。クラシックスタイルは、作業ダイビングに近く、軽作業、研究者の潜水も含まれる。
次にスタンダードスタイルだが、指導団体の精緻なプログラムに従って、階段を登っていく。オープンウォーターから始まり、マスターダイバーだとか、ダイブマスターだとか、アシスタントだとか団体によって呼び方はちがうが、頂点はインストラクターであり、もちろん、そのインストラクターにもクラスわけがある。階段のどこかで、停止することも、ドロップアウトして、ダイビングをやめてしまう人も多いが、とにかく、階段を登っていくスタイルである。
全日本潜水連盟だが、僕が理事長の時代は、クラシックスタイルを信奉していた。今では、スタンダードを目指しているように見える。PADIと同じ土俵、同じスタイルで勝負するなというのだが、スタイルがよくわかっていない。
全体としてみれば、指導団体にも、いくつかの特長あるスタイルがあったほうが良い、と思っている。全日本潜水連盟もクラシックスタイルを前面に立てて、勝負するならば、10%くらいのシエアは取れるのに、と思うが、もはや過ぎた話だ。
続く