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Channel: スガジロウのダイビング 「どこまでも潜る 」
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半日考えごとをして過ごしてしまった。生産的積極的な考えではなくて、非生産的な考えごとだ。ブログに出すことがためらわれるが、せっかく、かんがえていたことだ。
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 日々、というほどではないが、年々、フィジカル、身体的な能力は衰えて行く、俄か身障者なのだ。この上になにか痛みを伴う病気が伴えばどうだろう。それでも、それに負けるつもりはないが、どこも痛くないことの幸運を思いつつ、出来る限り積極的に生きる意欲を持ち続けようとしている。 そのことを、若い健康なダイバーから見れば、暴走、無謀と見え、受け取られるのだろう。しかし、若くして死ぬという幸運に恵まれないかぎり、人はだれでも、その日を迎え、戦わなければならない。 若いころ、ギボンのローマ帝国衰亡史が愛読書だった。なかでも皇帝ユリアヌスが若くして戦場に倒れ、周囲の人たちに見守られつつ、自分が若い死を迎えることの幸運を述べる一節が好きだった。いま、書き抜こうとして、岩波文庫の全10冊を探したら、その部分の3-4がない。どこかに別にしてある。  自分の一生を振り返ると、すべてが、現在生きている世代の先頭であったような気がする。男女共学、そんな言葉は、今の人達は感覚的にわからないだろう。旧制高校から新制への移り変わり、社会的にも、食料事情でもすべて新しいことだった。車を自分が持つことなど考えられもしなかった。潜水、ダイビングについては、特に、すべてのことが未経験、未開の地へのチャレンジだった。ヤシの木の下で潜れることなども予想できなかった。ダイビング機材についても、技術についても、日々革新だった。ニッポン潜水グラフィティという本を書いた。その時代に生きられたことは幸運で、今の人達からみたら羨ましいと思われる。 しかし、ある年齢を越えると、身体能力、知的能力は下降線をたどる。一方で、技術、器材は上昇線だ。その下降線と上昇線がグラフ上で交わるところで、60歳の区切りとして100m潜った。その時もフィジカル、健康上で無謀ととらえられ、さまざまな健康チェックを受けた。トレッドミルにのっての14メッツ達成などは、僕の心臓にとっては、死に一番近いところだったのかもしれない。そして、心臓カテーテルチェック、それがすでに20年前のことだ。80歳の時まで生きて人並みに潜っていられることを目指したが、到底達成できないこととおもわれた。事実、その20年間に癌の手術もうけた。80mもぐること、無謀であり、なんの意味のないこと言われる。言う人にとっては、意味のないことなのだろうから、そのことに反論はしない。 衰え行く身体能力を、器材とか物理的なもので補っていき、無謀と言われる可能性のある条件を排除していくしかない。 80歳でも潜れる、身障者でも潜れる器材の開発と準備がターゲットになった。そんな、沈んでいくだけの潜水ならば誰でも出来ると言われる。そう、ダイバーならば誰でも出来ることを目指している。 そして、それでも無謀と言われる。生きていること、水に潜ることがすでに無謀なのだ。ヘリウムを吸うと何が起こるか分からないといわれる。60歳のときはヘリウムを吸って、ただ、呼吸抵抗が少なかったが、何事も起こらない。浮上中、ヘリウムからナイトロックスに戻す時もショックがあると言われたが、何も無かった。20年経てば変わっているだろうが、基本的に自分はガスの変化には耐性があるのだと考えよう。  潜水していれば、何時倒れて、仲間に迷惑をかけるかわからない。しかし、若くして突然死ぬ人もいる。遺族は賠償責任を追求する。今の自分は死んでも当然だとも考えられるから、賠償責任の迷惑はかけない。 自己中心に考えなければ、ダイビングなどはやくやめて、寝たきり老人として余生をおくらなければならない。ダイバーにとっては、水に潜れないことが、すなわち、陸上人間の寝たきり状態なのだ。 この状況も、あとに続いてくる60代の日本人、そしてダイバーの先頭を切っている。僕はフィジカルにスーパーマンでもない。病弱である。ダイビングさえやめれば、生きていることが保証されるものでもない。 自分としての、つまり自己中心の答えは死ぬまで生きる。寝たきりとなり、介護に家族の人生をロストさせるところまで来れば、事実上生きていないことになる。死ぬまで生きるということは、主治医の河合先生にも伝えてある。死ぬまで生きることを誰も止められない。生きていることを止められれば、死を選ぶほかない。つまり、寝たきりになる。町を歩いていたとしても、それはダイバーとしての寝たきりだ。 死ににくい人間と、そうでない人間とがある。僕は自殺する自信がない。だから、自分は死なないとは言わないが、自律的に死を回避してしまう。危険であることを前もって自覚して、危険を避けることに集中している時、人は死なない。80m潜る時も、日常に45mまで潜る時も、毎度、危険を頭のなかでシミュレーションする。恐怖を感じるのはエントリー・エキジットだ。 こんな生き方を選んだことは不幸なことだったと思う。もっと安楽な道はたくさんあった。 自分で選んだ人生なのだから、愚痴を言ってはいけない。愚痴ではなくて、反論なのだ。  やがては、80歳のダイバーが増えてくることだろう。一つのサンプルでありたいと思っている。自分は病弱だから、平均レベルだと考えられる。スーパーマンはサンプルにはならない。

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